僕たちの 花火の連絡、 見えますか。  スコップ団 平了+糸井重里 対談
第2回 見えなくていい花火。

記者会見に、
糸井さんは応援として
宮城県庁まで来てくださって。
糸井 うん。ぜひ行きたいと思いました。
一度だけスコップの現場に
行かせていただいたことがあるんですが、

「団長」という名前だけじゃなく、
実際に平さんがスコップ団のまんなかにいるんだ、
という実感がありました。
どこかに取り柄がきっとあるんだ、と(笑)。
はい。自分でも、俺の何がいいんだろうとか、
そういう気はします。
それだけ信用してもらって、ありがとう、
という気持ちはあります。
糸井 なんだかね、僕は若い人たちのことを
どんどん好きになってきています。
若者の活動を、年取った僕が
すごく素直に見られるようになりました。
そのおかげで、世の中はとても
よくなっている気がする。
平さんはそういうことに
気づかせてくれたひとりでした。

だから僕は、花火も
「できる」ということを見せたいんです。

スコップ団の人たちはみんな、きっと
なんでもない人たちだったと思う。
ここまでずーっと、つみあげてきた信頼、
「それなりに、やるじゃん」と勝ち得た何か、
それが貯金されてきました。
3月10日に花火があがって、
「ここまでできる」というところをみんなに
見せることができたら、
また別の場所で、新たな勇気が湧いてくる。
勇気の源を作りなおすことができると思います。
あきらめなければ必ずできる、というふうに
自分に言い聞かせてがんばります。
当日は、雨が降っても雲がかかってもいい。
僕たちがたのしむための花火大会ではないので、
よほどのことがないかぎりは
10日に打上げたいと思っています。
糸井 そうそう、そこがいいなぁ、と僕は思ってて。
糸井さん、記者会見でもそれを
言ってくださいましたよね。
   
1月17日 13:30 宮城県庁
「天国にぶっ放せ!」鎮魂花火打上げ
スコップ団記者会見

糸井 僕はスコップ団の花火を応援するひとりとして、
この会見場に来ました。

東北から距離の離れた場所に住む多くの方々は、
今回の震災について
何ができるんだろうということを
考えつづけたのではないかと思います。
そして、考えつづけてなかなかわからなかった、
というのが本音だと思います。

僕は「東京は元気です」という
メッセージを出していました。
手伝う側にいるのが東京です、
東京がへこたれちゃいけない、
という思いでいたのですが、
「では何ができるんだ?」ということが
やっぱりわからずにいました。

あるとき、ツイッターで
山元町の女の子と知り合いました。
その子が、
「生きている人間が亡くなった方のことを
 忘れてないということを伝えたい」
という意味で、
被災地のお墓に来てくれるとうれしい、
と教えてくれたんです。
僕はゴールデンウィークに
山元町の、土葬された方々のお墓に行きました。
そのときに感じたのは
平さんもおっしゃったとおり、
2万名の死者が出たということではなく、
1人ずつが亡くなったということでした。
そして、亡くなった方も、
生きている人や町と
いっしょにいるということでした。

あれだけのことがあったときには、
亡くなった方と生きてる人間とが
力を合わせてやっていくんだ、
それがこの場所にいる人たちのやり方なんだ、
ということがよくわかりました。
  スコップ団の人たちも
亡くなった方々といっしょにやっている。
そのことがとてもよくわかる仕事ぶりでした。
今回の花火も、
生きている人間が見るためではなく
天国に届かせるためだと聞きました。
この視点はこれから先ずっと
必要なんじゃないかなと思い、
ぜひ手伝いたいと申し出ました。

どうしたって、生きている人間が中心です。
僕らもそうです。
生きてる人間が何をするか、
ということばかり考えます。
でも、僕ら自身も、必ず最後は
死んだ人間になるわけです。
誰かが亡くなったあとも
亡くなったその人のことを考える、
そういう社会に生きているほうが誇りが持てるし、
うれしいと思います。

そういうことを、ここにいる
スコップ団の方々がやろうとしています。
震災のあとの
よくわからない苦しい気持ちを抱えたまま、
花火の資金を集めたり、彼らを見守ることで、
亡くなった人たちとともにその日を迎える、
その経験が大事なんじゃないかな、と思います。
  ふつう、花火大会って
雨や曇りをすごく気にするんですが、
この人たちは全く気にしてない。
「空から見えるはずだ」と言います。
地上にいる人間が
手向けるために花火を上げるからです。
自分たちがたのしむのはオマケだ、という気持ちが
こんなにしっかりと語られた花火大会は
世界中、いままで、
ないんじゃないかなと思っています。

こういう「めずらしい本気なもの」を
実現させる手伝いを
みなさまにお願いできたら、と思います。

   
糸井 平さんは、まず
ガソリンの調達をしたり
物資を配ったりしてたんですよね。
そこからスコップ団になるまでには
どんな道のりがあったんでしょうか。
そうですね‥‥あのころはみんな
ガソリンスタンドに並んで
横入りしたといってはケンカしたり、
スーパーで「おひとりさま3点まで」なのに
「あいつ、5点買ったぞ」という、
そういうちっちゃいケンカが絶えませんでした。

スーパーで5つ買うこと、
それが小さいことかといったらそうじゃない。
死活問題です。
ほんとうに「1点でも多く」という気持ちは
誰にだってあったでしょう。
ただ、そういうことを子どもたちに
あまりにも見せすぎたな、と思いました。
糸井 そういう実感が、ありました?
ありました。
僕自身はそういうことをできるだけ
やらないようにしようと思いました。
子どもたちの前で、自分が買ってきたものを
配ったりして、
「そういう大人だけじゃないんだよ」
ということを見せたい意識が
まずはありました。
糸井 悪い言葉を遣えば、いわゆる
「ええかっこしい」ですね。
はい、そうです。
糸井 「ええかっこしい」というのは
人間にとって必要なところですね。
人が「ええかっこしい」の部分を
なくしちゃったら、つまんない。
ええ。本性をさらけ出して
自分のこと以外は知らねえよ、
ということでいいのであれば、
この世の中はいったいどうなっちゃうのか?
もっと「ひどいこと」に発展する可能性も持った
思想のはじまりだな、と思いました。
だから、とにかく自分ががまんしてでも
僕は誰かのためにやるという姿勢を保とう、
と考えたんです。
だけど「できるのかな?」という疑問が。
糸井 自信がなかった?
自信はなかった。
やったことないから。
ただ、できる限りかっこつけようと思いました。
それならわかりやすいし、できる。
糸井 スコップ団の、
「名乗るほどの者じゃございません」
という掃除のしかたは、
そこから来たんだね。
はい。
 (明日につづきます)

対談場所 協力:エフエム仙台
2012-02-09-THU
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