糸井 |
平さんは3月11日から急に
本番を迎えちゃったってことだね。
つらいけど、やるしかないよね。
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平 |
やるしかなかったです。
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糸井 |
でも、いわば「やりがい」はあると思う。
それは不謹慎なんじゃなくて、
人びとはみんな、それを求めてるから
スコップ団に来るんじゃないかな?
ぜったいに嫌なことだけど、
「がまんしてやりましょう」というだけじゃ
人は集まんないわけですから。
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平 |
うん、そうですね。
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糸井 |
人が求める、やりがいやおもしろさ。
それがないと地獄も乗り切れない。
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平 |
ぼくもそう思います。
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糸井 |
スコップ団を見てておもしろいのは
そこなんですよ。
「同じことやってみろよ」と言われたら
嫌だというような力仕事、地道なことを、
どこか「愉快さ」で
乗り切ってる気がします。
だって、スコップ団のみなさん、
解散前に集合写真撮ったらみんな明るい。必ず。
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平 |
そうですね、みんな、ほんとに。
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糸井 |
掃除して、明るく集まってみせて、
解散したら、ただ帰る。
あのへんのハードボイルドさは、
そうとう人間理解にかかわることだと
僕は思います。
「人間てそういうもんだよ」
「失敗するときはこういうことからするんだよ」
ということを、
よくわかってる人のやり方だと思う。
今回の花火は、そのスコップ団がこれまで
少しずつかきあつめた力を
ぜんぶ足さなきゃいけない。
それはきっとはじめてのことだと思うんですが。
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平 |
以前、スコップ団で
泉ヶ岳に行って子どもたちをポニーに乗せる
イベントのようなことをしたんです。
残念ながら雨で、ただ馬に乗って
たこやき食って終わったんですけどね。
さんざん乗せて、俺も落馬して、
たのしかったんですけど。
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糸井 |
(笑)
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平 |
そこから、海が見えたんです。
見渡す限りの宮城の海。
山元町とか船岡とか、
もうとにかく全部見えた。
「ここで花火上げたら、すげぇいいと思うんだよ」
そういう言葉が口をついて出ていました。
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糸井 |
そうか‥‥。海から、見えるんだ。
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平 |
そう。あっちから見えるでしょ、
こっちから見えてんだから。
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糸井 |
うん、うん、うん。
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平 |
被災は津波だけじゃない。
山の奴らだってつらい思いをしてるし
親戚や友人を亡くしてる。
だから、天国がイメージどおり、
ほんとうに雲の上にあるんであれば、
海からも見える、空にも近い、
この場所がいいんじゃないか、と思って。
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糸井 |
そうだね。
両方が苦しい、その気持ちは
そうとうわからないといけない。
「電気ついていいね」
と言われることのきつさは、
きっとあったでしょう。
亡くなった人が近くにいる場合と
そうじゃない場合も、やっぱり、
立ち上がるための時間が違いますから。
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平 |
はい、まったく時間に差ができてしまいます。
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糸井 |
気を遣いすぎちゃうと
なんにもできなくなっちゃうし。
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平 |
それになんだか、そういうことが癪です。
いちばんいいのは、もう、
しゃべらないことです。
だから、何もしゃべらず、
掘ることをしようと思った。
それに今回は、山から花火が上がるなんて、
誰もやったことねぇだろう、
せいせいするよね、という気持ちもあります。
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糸井 |
「冥福を祈ります」で終わっちゃうのは
嫌ですもんね。
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平 |
そうなんですよ。
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糸井 |
それぞれの人が、
天国に向かって「見てるー?」って
声をかけられる、
その花火大会は、もうほんとうに、したい。
みんなが話しかけるんだよ、
お坊さんのお経にまかせちゃってたことを
自分で声かける。
僕なんて、知らない人かもしれない、
だけど参加したいんです。
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平 |
田島貴男さんも同じこと言ってました。
亡くなった人たちは、
自分の歌を聴いたことがある
可能性のある人たちだった。
自分の声や、自分が作り上げた旋律が
耳に入ったかもしれない人たちの
家を片づけにいくことに
何の理由もいらない、って。
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糸井 |
うん。
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平 |
さわやかだなと思いました。
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糸井 |
田島くんは、
自分の泣き言を言わないですね。
反抗とか、声を上げるとか、
そういうことばかりする人がいるけど
スコップ持て、と言いたい。
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平 |
うん、そうですね、四の五の言わないで。
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糸井 |
だって、俺にしたって団長にしたって、
ほんとうは四の五の言うのが商売です。
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平 |
うん(笑)。
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糸井 |
それをがまんして。
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平 |
何もしゃべらないという選択肢で。
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糸井 |
そうだね(笑)。 |