山岸 |
これまでお話ししてきたような社会の仕組みを
理解していないと、
「うまくいかないのは、悪いやつがいるからだ」
と、想像上の存在に
責任を押し付けてしまうことがあるんです。
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糸井 |
陰謀理論‥‥というやつですね。
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山岸 |
そう。
たしかに、悪いやつはいるかもしれませんが、
実際「個人の力」なんて大したことない。
でも、まわりの人間が同調してしまうと、
「しがらみ」がますます強くなってしまって‥‥。
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糸井 |
ええ、ええ。
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山岸 |
日本が第二次世界大戦へと突き進んだのは?
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糸井 |
はい。
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山岸 |
当時の軍のえらい将校がバカだったからと
言うのは簡単ですが、
それは、陰謀論と同じ構造をしてます。
つまり、当時の高級軍人たちも
「これって‥‥まずいよな」と思っていても
状況に押し流されて、
反対の声をあげることができず、
つまり「しがらみ」に囚われてしまって、
「ええい、もう行っちゃえ!」というふうに
なってしまったんだと思うんです。
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糸井 |
集団でものごとを決めるときって、
外部に対しての顔もあるし、
「あいつがこう言うなら、こう言わなきゃ」
みたいな
内側の「立場上の発言」も必要だし‥‥
そういうやりとりが
積み重なって、
おかしな方向に行ってしまった、と。
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山岸 |
そうだと思います。
国民のあいだでも同じことが起こっていて、
みんなが
「こんなこと言っちゃいけない」
という自主規制を、していたと思うんです。
本当は「このままじゃ、マズい」と
思っていても、
まわりのみんなが口に出さなければ
「ほかの人は
そんなこと考えていないんだ」と
思えてきてしまう。
かといって
たった一人で「間違ってる!」と叫んでも、
孤立無援、
ヘタしたら「袋叩き」に遭ってしまいます。
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生徒 |
先生、質問してもいいですか。
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山岸 |
どうぞ、どうぞ。
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生徒 |
最近、混乱する日本で
ファシストが政権を取ってしまうという小説を
読んだんです。
第二次世界大戦の開戦前の時代もそうですけど、
国全体が
そういうムードになってしまったら、
個人はどうアクションを起こせるのでしょうか。
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山岸 |
めちゃくちゃ難しい問題ですね。
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糸井 |
‥‥先生、どう答えるんだろう?
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山岸 |
スカッと解決法を言いたいところですが、
残念ながら、
基本的に「個人」では「ほぼ何もできない」と
わたしは思っています。
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糸井 |
ほう。
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山岸 |
状況が、そこまで逼迫してしまったら。
ですから、重要なことは
「どうにもならない」状況に陥る前に
手を打たなければならない。
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糸井 |
なるほど。
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山岸 |
少なくとも、全体的な状況に対抗していくためには、
「個人」での戦いではなく、
「組織」で立ち向かわないといけないでしょうね。
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糸井 |
あるいは、そういう状況下に置かれても
「自分を失っていない人」の
生き方に、学ぶことが重要だと思います。
ダライ・ラマが、
多くの人にリスペクトを集めているのも、
そのあたりと関係ありそうな。
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山岸 |
うん、うん。
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糸井 |
やはり「戦う」にはテクニックも必要で、
闇雲に、体当たりすればいいというわけじゃない。
ときには、逃げることだって必要です。
そういうことを学んでおく、ということも
わかい人たちには、大切だと思います。
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生徒 |
ありがとうございました。
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糸井 |
「状況に対する自分」ということで言うと、
今度の震災のあと‥‥4月くらいかな、
ぼく、ツイッターでこういう発言をしたんです。
ぼくは、自分が参考にする意見としては
「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
「より脅かしてないほう」を選びます。
「より正義を語らないほう」を選びます。
「より失礼でないほう」を選びます。
そして
「よりユーモアのあるほう」を選びます。
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山岸 |
ほう。
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糸井 |
たとえば「スキャンダラス」というのは、
「最近、鼻血が出るのは放射能の影響だ」
みたいな、
「大変だぞ!」と思わせて
人を動かそうとする発言のことです。
でも、少し調べれば
それが「嘘、あるいは嘘の可能性が高い」と
すぐにわかるんです。
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山岸 |
ええ、ええ。
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糸井 |
だから、あまりにスキャンダラスだなと
感じた場合は、
「本当なのかもしれないけど、
ちょっと落ち着こう」
と、思うようにしているんです。
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山岸 |
正しい考えだと思いますね。
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糸井 |
「より脅かしてないほう」というのも、同じ。
「こうしないと、大変なことになる!」
と、ぼくらを脅してくる言葉とは一線を置く。
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山岸 |
うん、うん。
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糸井 |
また「正義」の名のもとに
ひとつの選択肢を
選ばせようとする言いかたも、違うと思う。
選択肢というのは、たくさんあるわけだし、
だから
「より正義を語らないほう」を選ぶんです。
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山岸 |
なるほど。
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糸井 |
つまり、人の選択肢を狭めようとしていたり、
考えることをやめさせようという
意図のある言葉には、
「あ、気をつけよう」と思うようにしていて。
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山岸 |
‥‥ユーモアのあるほう、というのは?
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糸井 |
ユーモアって、
一生懸命に考えないと出ないんですよ。
あわてて、焦って発言している人の言葉には
ぜったいユーモアは混じらない。
そのことも、
誰かの意見を参考にするときの、ぼくの基準。
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山岸 |
なるほど、なるほど。
ちなみに、
ひとつの考えや意見に凝り固まってしまうと
想像上の「悪者」や「仮想敵」を
つくってしまいがちだったり、しますね。
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生徒 |
原発のことについて、質問なのですが。
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糸井 |
はい、どうぞ。
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生徒 |
原発って、誰も本当のことがわからない、
ということが多くて、
いろんな説が飛び交っていますけど、
信じるべき基準を持つには
ぼくらは、どうすればいいんでしょうか?
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糸井 |
‥‥山岸先生。
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山岸 |
はい。
たとえば「今すぐ逃げなければダメ!」
みたいに
危険を煽るような意見に飛びつくのは、
「リスク回避」の行動です。
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糸井 |
ええ。
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山岸 |
このとき、何が問題になるかというと、
「本当のことを
わかっているつもり」だと思い込んでしまうこと。
つまり、
「考えが凝り固まってしまう」おそれがある。
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糸井 |
うん、うん。
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山岸 |
個々人が「信じるべき基準」について言えば、
すべての事象に対して
一定の基準を設けることは、難しいでしょう。
そこで、やはり問われてくるのは
個々の「リテラシー」なのではないかな、と。
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糸井 |
‥‥なるほど。
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山岸 |
おっしゃるとおり、
原発に関しては正確な情報が少なくて、
あるいは、
さまざまな説が飛び交いすぎていて
何を信用して良いか、わからなくなる。
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糸井 |
はい。
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山岸 |
リテラシーという言葉は、
よく「メディアリテラシー」という言い方で
使われますけれど、
つまり「メディアをどう読むか」ということ。
これは、個々人の経験に基づく部分も
大きいのですが、
さきほど、大きなヒントが出ましたね。
糸井さんのおっしゃる
「よりスキャンダラスではないほうを選ぶ」
というのも、
ひとつの「リテラシー」ですから。
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糸井 |
そうですね、うん。
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山岸 |
自分が何を信じればいいのか‥‥については、
リテラシーに、手がかりがあります。
原発問題については
「リスクが大きそう」に見えてしまうから
つい「スキャンダラスなほう」を
選択してしまいがちですが、
「スキャンダラスではない考えかた」も
しっかり選択肢に加えること。
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糸井 |
はい。
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山岸 |
そうすることで、バランスをとって、
自分のあたまで考えること。
‥‥どうですか、糸井さん。
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糸井 |
ぼくは「どちらが正しいかわからないとき」は、
あまり急いで決めないようにしてします。
ふだん、あんまり意見の合わない人でも、
言ってることが正しそうなら
ちょっと追いかけて、
正しいかどうかを、見きわめていますね。
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山岸 |
はい。
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糸井 |
そうやっていると、意見をコロコロ変えずに、
抑制的に、しっかり意見を言っている人が
「信頼に足る人」として、残ってくるんです。
<つづきます> |