残り3県となりました。
収録中に、
「残り3県としたら、
 今回の収録で終了できるね。
 行けるね」
という話になりました。
実際にまわるのであれば、行けないですが、
悲しいかな、言葉では、まわれます。
東京都 かっこうの仮想敵。
ほぼ日

あと3県です。結構遠いところと、
近いところが残っています。

みうら 近いところは、なんたって、東京ですもんね。
ぼくの東京の話は長いですよ。
上京してからの話をしますから。
ほぼ日 それはちょっと、長そうですね。
みうら

東京というのは、
ぼくにとっては観光地ではありません。
上京地ですから。
これは、時間とりますよ。
東京がいま当たってしまったら、
今回の収録では終わりきれないかもしれません。
(県のくじを引く)
なんか、へばりついてんなぁ、この県。
細長い。これは東京とは違うと思います。

ほぼ日 (みうらさんの引いたくじを見て)
東京です。
みうら

東京ですか。

ほぼ日 はい。
みうら 選んじゃいましたか。
しょうがないですね。
くり返しますが、東京の話は長いですよ。
ほぼ日 はい、お願いします。
みうら まず、東京にやってくる人というのは、
大別すると4種類くらいに分かれます。
・観光客の方々
・商社マン、つまり、仕事の取り次ぎをする人
魚河岸
そして
・上京者
ほぼ日 はあ。
みうら

現在の上京者ファッションは、
ぼくらの時代とは、
大きく違ってきています。
そのことが、いまの東京を
ものがたっているような気がするんです。
だいたい1980年くらいまでは、
上京するファッションは、
上下白のスーツだと、
決まっていましたので。

ほぼ日 ‥‥そうなんですか。
みうら

つまりそれは、白装束のイギリス版だ、
ということです。
これから巡礼をする、修行をする、ね?

ほぼ日 はあ。
みうら

当然ぼくも、新幹線に乗って上京するときは、
白の上下のスーツでした。
見送りに来てくれた友達からも、
「何しに行くんだ」
と言われました。
ぼくは、単に浪人生活を送るために
東京にやってきました。
荷物は先に送っていましたので
みんなが見送りに来たときのぼくは
「白の上下に、ギターケース」という
いでたちでした。

ほぼ日 はははは。
みうら

でも、当時はそれほどの
フルメタルジャケットで、
「東京に負けないぞ」という気持ちで
上京してきたものなんです。
そして、東京のアパートの
冷たい壁にもたれて歌うのは、
冷たい人の波にのまれた自分の
悲しい歌でした。
東京がどんだけ冷たいか
歌っていく、
それが上京者のあり方でした。
世間が厳しい、冷たい、うまくいかない、
そういうことを全部
東京のせいにしていくのが、
上京者としての正しいあり方だったんです。

ほぼ日

なるほど。

みうら しかしそうしているうちに、
東京も東京以外も、
そんなに変わらない風景になってきました。
駅前は全国どこでも
コンビニがあったりローン会社があったりします。
そないに変わらなくなってきた昨今、
当然、白の上下は避けていったほうがいいし、
どうやら
自分がつらい目にあってるのは
自分のせいであって
東京ではない、
ということが
判明したんです。
ほぼ日 うはははは。
みうら 関西の義務教育では、
「東京では道を訊いても教えてくれない」
と教えられます。
「鬼が住んでる」とも教えられます。
それほど構えて、それでも行きたかった、
あこがれた東京でした。
しかしいまは、東京以外にもラッパーはいるし、
あれほど上京者の心を射ぬいた
甲斐バンドの甲斐よしひろさんのせつない声も、
いまは音楽がネット配信で、
一斉に配信されるようになったもんで、
誰が上京者で、誰が地元の人で、
誰が商社マンなのかも

もう、わからなくなってしまいました。
あの童貞者にも似た、
いつも45度の角度を見上げながら
おどおどと街を歩いた人たちは、
いったいどこに行ってしまったんでしょうね。
ほぼ日 上京にまつわる思い出、
ありがとうございます。
上京のあとの東京のお話はいかがでしょうか。
みうら

上京以後の思い出は、ありません。
普通に暮らしてるだけなので。

ほぼ日 いや、あの、では、
上京されてからすぐは、
どういった活動をされたんでしょうか?
みうら 1960年代、青春期を多感にすごした人たちは
ご存知だと思うのですが、
高円寺、吉祥寺に
フォークシンガーの方が
軒を連ねているという話がありました。
中央線は、線路ではなくて軒なんです。
軒を連ねた長屋に
フォークシンガーの方がいっぱい住んでいる、
そのことを強く意識して上京した人は、
上京後も、中央線から
離れられないことになります。
いわゆる「中央線しばり」です。
ぼくは、三鷹からはじまりましたけど、
いまだに中央線沿線を離れたことが
一度もありません。
ほぼ日 それはすごいですね。
みうら 上京スピリッツを忘れないで生きていくことを、
「筋が一本通っている」
というんですよ?
筋、というのは、中央線のことなんです。
ほぼ日 うはははは。
みうら 最初に東武線に住んだ人は、
東武線にずっといればいいんです。
ほぼ日 東京については、
読者の方からも、やっぱり見越したように
上京のメールが多かったです。
みうら そうでしょう。
ほぼ日 「東京の人は冷たい、
 東京の人はぶつかっても謝らない
 東京は、もうおしまいだ、などなど、
 『木綿のハンカチーフ』の
 都会が人を変えた的世界感で、
 悪者扱いにされている気がします。
 なぜ東京の悪口は無防備に言っていいことに
 なっているんでしょうか。
 (「奉公人の孫」さんより)」
みうら それはね、さきほどから言っているように
一本筋が通ってないからそうなるんだと
ぼくは思います。
総武線だったら総武線、
中央線だったら中央線と
一本筋を通した人は、
そこに長いこと住んでると、
自分が悪いんだということに、
ある日、気がつきます。
しかし、田園都市線とか、
線を浮気した人は、いつまでも
東京は冷たいと、吐いてる人が多いと聞きます。
ほぼ日 そうなんですか。
みうら 東京って広いですから、
全体を見ることはできないんですよ。
いろんなところにちょろちょろ住んで
「やっぱりここは向かなかった」
なんて浮気症は、ずっと
東京は冷たいところだと言う傾向にあるんです。
線を一本にして筋を通してる人間は、
「悪いのは 僕のほうさ 君じゃない」
と、マチャアキの
「さらば恋人」のように思えますよ。
ほぼ日 ところで、みうらさんはいつ
関西弁から標準語へ移行されましたか?
みうら 関西弁でなくなったのは、そうやって
「東京が悪いんじゃなくて、自分が悪いんだ」
と気がついたときでした。
県人会などで集まって酒を飲みかわすのは、
とてもすばらしいことだと思いますが、
そうじゃない場所で、お国の言葉を持ち込んで、
それを張りつづける人というのは、
「東京は冷たい、だから、
 あたたかい自分たちが正しいんだ」
と思おうとしてることだと思います。
ぼくは、関西弁を2年くらい、
しかも、強度の関西弁を、しゃべっていました。
ほぼ日 けっこう長かったですね。
みうら 東京の人に馬鹿にされないように
東京の人が入り込まないように
していたんでしょうね。
東急ハンズとかで売ってる、
猫避けスプレーがあるでしょ?
ほぼ日 はあ。
みうら 家のまわりに猫がマーキングをしないように、
わりと酸味いっぱいの
レモンの匂いがするやつを吹きつけます。
そのように、自分は
酸味いっぱいの京都弁を吹きつけながら、
東京の人が入ってこられないように
していました。
ところが、あるときに、
ある業界のパーティーに行ったところ
「あなたの京都弁は中途半端だ」
と、指摘されました。
ほぼ日 ええ?
みうら それは、大阪の人でした。
相手の方は酔っていて、タチが悪かったです。
「あんたは、関西の魂売ってんのちゃうか」
と言われました。
がんばって京都弁を保っていたつもりが
弱まっていると指摘されたんです。
そのときに、ぼくは
その人はとても寂しい人なんだと気づきました。
必死で自分のバリアを張りつづけ、
守っているだけなんです。
自分もそうだったから、わかったんです。
だから、そのとき、
「そうやと」言いました。
「そうや。関西の魂を忘れてんにゃ
「関西の魂を忘れてんにゃ
って、言いました。
ほぼ日 ははは‥‥(なんで、2回)‥‥ははははは。
みうら そのとき、ぼくは、
それまでの自分に別れを告げたような
すっきりした思いでした。
すごく、うれしかったです。
そして、その方に、
「そんなに関西の魂のことを言うなら、
 帰ればいいじゃないか」
と言いました。
そのあと、かなりのつかみ合い
ケンカになりました。
ほぼ日 はははははは。
みうら その人に問題定義をされ、
「忘れてんにゃ」
と言った瞬間、ぼくは自分が
東京でやっていく覚悟があるということに
気がついたんです。
ですから、そのことはすごくよく覚えています。
ほぼ日 東京に住んでよかったと思いますか?
みうら はい、思います。
何をも、人や街のせいではなく
自分のせいだということに
一度、人は気がつくべきだと思います。
そうするための、ちょうどいい、
かっこうの仮想敵として、
東京がいいんだと思います。
東京の人には、とても申しわけないですけど、
上京組は東京を仮想敵だと思ってやってきます。
でも、筋を一本通すことによって、
反省する人が多いのです。
ですから、東京の人も、
「何代つづかないと江戸っ子にならねぇんだよ」
なんて、そこは言わないで、
あたたかい目で上京者を見守っていただければ、
うれしいと思います。
ほぼ日 「アンチ」のものって
一回通りすぎたあとに必ず
ほんとは自分がダメだったんだと
わかりますもんね。
みうら そうです。
自分のプライドという
白いスーツを脱がしてくれるところ、
それが東京です。
今回のお話をノーカットでごらんになりたい方は
下の動画でおたのしみください。

いまでは、東京の人から
「まちがってるんじゃないか」
と言われるほど、語尾に
「じゃん」を連発する、
東京が大好きなみうらさんです。
これからも東京の一本筋を
力強く邁進していかれることでしょう。
さて、残ったのはあと2県。
つまり、次に登場する県ではない県が、
オオトリになるわけでございます。
来週をおたのしみに。

2008-07-27-SUN
みうらじゅんさん&安斎肇さんが
結成した「勝手に観光協会」作の
すばらしい東京都ご当地ソング
「すこぶるブルー東京」を
どうぞお聞きください。