- ──
- 池松さんは、どうしてぼくら人間には
物語が必要だと思われますか。
- 池松
- 神がいないからじゃないですか。
- ──
- うわ。
- 池松
- いや‥‥。
- ──
- それ、以前から考えていたことですか。
- 池松
- 何となく、いま出てきた言葉です。
- ──
- この質問、たまに聞いてるんです。
取材というかたちじゃなくても、
映画監督とか作家さんとか、
文化人類学者の人とか、
物語に関わっていて、
物語について、考えているような人に。
- 池松
- ええ。
- ──
- 是枝裕和監督にも聞いたことがあって、
それぞれの人から、
それぞれの考えが返ってくるんですが、
今の池松さんの答え、
すっごくおもしろいなあと思いました。
その答えの「続き」を、聞きたいです。
- 池松
- あの三船敏郎さんが、
おもしろい言葉を残しているんですね。
俳優というものは、
人間のクズがやるものなんだ‥‥って。
- ──
- クズ‥‥ですか。
- 池松
- なるほど、ぼくもそう思います、と。
人間のクズがやるもの‥‥っていうか、
クズでもやれる、
俳優なんか、誰でもやれる仕事だって、
ずっと思っていましたから。
- ──
- そうなんですか。
- 池松
- でも、三船さんは晩年に意見を変える。
俳優なんて人間のクズのやることだと
言ってきたけれど、ちがったと。
俳優は、
人間のクズがやるべき仕事ではないと。
- ──
- へえ‥‥。
- 池松
- それはなぜかと言えば、
俳優とは、神なきところで「人間」を、
それは「役を」という意味ですが、
「人間」を、構築しなければならない。
「人間」を、創造しなければならない。
- ──
- はい。
- 池松
- そして、その創造した「人間」を、
みなさんの前にさらして、
その人間を、
生きてみせなければならない、と。
そして、
何かを伝えなければならない、と。
- ──
- なるほど。
- 池松
- だとしたら、やっぱり
人間のクズがやっちゃあいけない、
人間のクズじゃできない仕事だと。
ぼくの解釈が入ってるかもしれませんが、
だいたいそんなことを、
三船さんは、死ぬ前に言ったそうです。
- ──
- 神はいない‥‥から、
俳優は、人間を創造しなければならない。
- 池松
- その意味では監督さえも神じゃない。
- ──
- おもしろいです。
- 池松
- そして、物語というものも、
神さまがつくってはくれないですよね。
- ──
- ええ、そうですね。
- 池松
- だから人間は物語をつくるんですよね。
そして、物語‥‥
ぼくの場合はおもに映画ですけど、
映画をやってる人って、
きっと、ふつうよりも、
物語が必要だった人たちなんだと思う。
- ──
- ああ‥‥。
- 池松
- 少なくとも、ぼくはそうなんです。
つまり、物語に魅せられたからこそ、
物語を紡いでいるんだと思います。
- ──
- 恩返しのように。なるほど。
- 池松
- 物語から学んだことがたくさんあるし、
物語から獲得した感情だって、
両手に抱えきれないくらいあるんです。
それが愛なのか憎悪なのか何なのかは、
人それぞれだと思いますけど。
- ──
- ええ。
- 池松
- ようするに、物語に救われたんですね。
だから、人間には物語は必要というか、
人間から物語を奪ってしまったら、
とんでもないことになると思うんです。
- ──
- 映画に限らず「救われた」というのは、
大きいことだろうと思っていました。
音楽家は音楽に救われたんだろうし、
小説家は小説に救われたんだろうし、
そういう経験をしているから、
こんなにも、
心に届く創造ができるんだろうなと。
- 池松
- そうだと思います。
映画とか小説といった、
かたちになった「物語」だけじゃなく、
名もなき誰かの物語に触れたときも、
ぼくらは何かを感じて、
自分自身を見つめ直したりしますよね。
- ──
- 無名の、無形の物語に‥‥。
- 池松
- 大切な人への思いを、重ねたりだとか。
- ──
- はい。
- 池松
- そんなふうに思ったりしてます。
- ──
- いつも考えてるんですか、そんなこと。
- 池松
- 考えちゃうんです。ひとりのときとか。
<つづきます>
2019-09-26-THU