「金網 つじ」さんの製品は、
もともと土楽・福森家で使っていました。
水コンロや囲炉裏など、炭を使う調理のときの焼き網です。
火力の強さから、つくりが弱いとすぐにだめになるため、
丈夫なものを探しているうち、
つじさんの金網に行き当たりました。
いまから3年ほど前のことでした。
京都の高台寺に店を構える「金網 つじ」さんですが、
現当主である辻徹さんが2代目。
この名前で開業して50年ほどという、
京都ではとても若いお店です。
じつはそれ以前も金工の家系で、歴史をたどると、
たとえば衛士籠(えじかご)といい、
銀製で作った籠の中に香木を入れ、
炭団(たどん)で下から熱を加えて
空薫(そらだき)をすることによって
直接煽がずとも香りが立つ道具などをつくったり、
散華(さんげ)や華籠(けこ)など
神社仏閣で使うものがメインだった時代もあったそうです。
お祖父さんが亡くなり、親族も手仕事から離れたのち、
あらためてお父さんが初代として立ち上げたのが
「金網 つじ」。
作家性を持たず、和菓子屋や料理屋で使う道具を
オーダーメイドでつくる仕事をはじめました。
その息子である徹さんは、
いきなり金工の世界に入ったわけではありません。
なんともともとはヒップホップ系や、
B-BOY系の洋服を売るお店を
京都で展開していた「洋服屋さん」でした。
とてもうまくいっていたその仕事を畳んで
金工の後を継いだ理由は、
「自分の手でつくって、
自分で売る仕事をしたいと思った」からでした。
こんなエピソードがあります。
手伝いで父親の作った道具を急ぎの納品に行った徹さん。
取引先の若い営業担当者は、
完成したばかりの道具を受け取るなり一言、
「遅い!」
そう言い放ち、道具をポンと投げました。
「こんな扱いを受けとるんや‥‥」
とても悲しい気持ちになったそうです。
けれども家に戻ると、お父さんは満面の笑みで
「どうや! 喜んどったやろ?」
それがきっかけで、徹さんは考えました。
こんな関係性で仕事を続けても、
誰も豊かにならないし、嬉しくもない。
金工としてのプライドを持つことも難しい。
「よし、自分が変えたる」
卸しをやめ、店を持ち、対面販売をすることで、
使い方やメンテナンス方法を説明をして売るという
現在のスタイルができあがりました。
そのあと、かんたんな道のりではなかったようですが、
いま「金網 つじ」さんの製品は
海外でも注目されはじめています。
たとえばロンドンでは紅茶用のストレーナー(茶葉うけ)。
ニューヨークでは焼き上がったケーキを冷ます台である
ケーキクーラー。
なかには、実用品としてつくった盛り網を
インテリアとして飾ってくださるかたもいるそうです。
そう、辻さんがつくるものはすべて
「使いやすいかたち」を目指しています。
うつくしさは、その結果、ついてくるもの。
金属と土のちがいはありますが、
そういうところが「土楽」の陶器や土鍋に、
通じるものがあるように感じます。
さて、蒸し網に話をもどしましょう。
この蒸し網には原形がありました。
「足付き蒸し網」というもので、
円形のステンレスの網に、3本の足がついていました。
「このままでも使えるかもしれない」と
ベア1号、2号で実験してみたのですが、
底が丸くなっているベアシリーズですから、
足があることで高さが出過ぎてしまうことと、
足がなくても安定するはずだと考えました。
円形の枠に金網をつける方法は、
ワイヤーを巻きつける方法と、
溶接でつける方法がありましたが、
巻き付け式は隙間があるため
熱膨張をうけとめるという利点があるいっぽうで、
食材がその隙間に引っかかってしまうという
デメリットがありました。
また、巻き付けると、土鍋の内側に
「点」で触れることになります。
溶接であれば、まず熱膨張にかんしては、
蒸し料理であれば問題なし。
そして円形の枠そのものが鍋肌に触れるので
(ささいなことですけれど)
土鍋にもやさしい触れ方になります。
そして、中心に取り外しのときにべんりな
「輪っか」をつけました。
これは道歩さんの提案でした。
全体のサイズは、高すぎず低すぎず、
お湯と食材がバランスよく入るように調整しています。
次回は、福森雅武さん、道歩さん、柏木円さんによる
土鍋の蒸し料理をご紹介します。
この冬の土鍋は、
11月22日(火)午前11時販売開始。
辻さんの蒸し網も
いっしょにならびます。
どうぞおたのしみに!
2016-11-17-THU