「豊岡」との出会いから生まれたMITTANのあたらしいカバンづくり。

上質なコットンのタイプライター生地を
幾重にもかさねて作られる、
MITTANのレイヤードバッグ。
カバンの産地として有名な兵庫県豊岡で
このバッグの生産を担当している
「Maison Def」の下村浩平さんと、
縫製担当の「ましゅまろ天使」の
佐々木亜希子さん、縫製スタッフさんから、
MITTANの三谷武さんがお話を聞きました。

Maison Def

「ここでしか出会えないもの」を
扱うことをコンセプトにした、
兵庫県豊岡市のショップ。
https://www.maison-def.com/

ましゅまろ天使

兵庫県豊岡市の縫製工場。
オーダーメイドゴルフカバーの制作、
販売・オリジナル、企業ロゴ、会社名などの
刺繍・洋服のお直し、仕立て、
OEMによる商品の制作等をおこなっている。
https://www.masyumarotensi.com/shop/

学生の頃からカバンを手作り

三谷
このカバンの生産を
下村さんにお願いすることになったのは、
ほんとに、たまたまだったんですよね。
たまたま伺った豊岡で、たまたま。
下村
ご縁があった。

Maison Def 下村さん

三谷
そのとき、ぼくは豊岡を目指してきたわけじゃなくて、
休暇で城崎に来たらカバンの産地が近いっていうので‥‥。
ここ豊岡がカバンの産地っていうのは
知っていたんですけど、
実際のところ、ちゃんとは、わかっていなかったんです。
でもずっとカバンを作れるところを探してはいたので、
そういうお話ができるところがないかなと思い、
カバンのお店、アルチザンさんで
「Maison Def」さんのフライヤーを見て、
この方なら! と思ってお話したのが最初でしたね。
下村
ほんとうに、ご縁があったんですねえ!
三谷
下村さんは、
どうしてカバンを作るようになったんですか。
豊岡のご出身じゃないんですよね。
下村
はい、出身は福岡県です。
春日市っていうところなんですけど、
博多と太宰府のちょうど真ん中くらいで、
博多で働いてる人のベッドタウンです。
大学は北九州で法律をやってたんですけれど‥‥。
三谷
法学部だったんですか。
下村
いまの仕事と何の関係もないですよね。
当時からファッションは好きで、
m.a+(エム・エー クロス)とか
マックイーン(Alexander McQueen)とか着てました。
三谷
学生の頃ですよね。
高いのに、よく買えましたね。
下村
バイトを3つくらい掛け持ちして。
で、好きなら作ればいいかって、
自己流で服やカバンを作ったり。
特にカバンが好きで、
素人ながら、知り合いのセレクトショップに
卸したりしていたんです。
それで漠然と、
「ブランドを立ち上げたいな」と、考えていました。
それで就職をどうしようかなというときに、
「日本の革」っていうムック本を見たんですよ。
そこに豊岡の特集が組んであって、
ここで長く活躍されている凄腕の職人を知りました。
それが植村美千男(うえむらみちお)さんっていう人で、
生ける伝説として、カバンのお直し工房をやっていました。
もともと植村さんは職人でもあるけれど、
歴史ある鞄メーカーの先代社長なんです。
2005年にカバンストリートが発足したときに
豊岡に工房を構えられたんですね。
三谷
カチッとしたトランクを作られてる会社ですよね。
下村
そうですね、トランクの会社です。
美千男さんの工房では、海外メゾンの
トランクを修理したりもするんですよ。
僕は美千男さんに会いたくなったんですが、
ただ会いに行くだけではなく、
その時求人の募集してた会社の
入社試験を受けに来たんです。
で、美千男さんにも会えて、会社も受かって、
2010年にこっちに移住してきました。
その会社には7年間勤めて、2017年に辞めて、
そこから「Maison Def」を始めました。

柳細工から始まったカバンの産地

三谷
豊岡って、どういう産地なんですか。
下村
立地的に山間(やまあい)で、
湿気が多いから柳の枝がめっちゃ育つんですよ。
そして湿気が多いから加工もしやすいっていう理由で
柳を細工するようになった。
それがね、西暦27年とからしいですよ。文献によると。
三谷
え! 
下村
2000年くらい前(笑)。
組合の資料にそう出てくるんです。
で、「柳行李(やなぎごうり)」が産まれて、
その産地として有名になったんです。
三谷
もともと自生してた柳を加工して。
下村
明治、大正時代は
どの家でも柳を編むのが当たり前だったそうです。
第二次世界大戦後にGHQが、
日本の産業に介入していったじゃないですか。
その過程で、この辺の人たちは柳を編むから
手先が器用だということになって、
米軍の軍需品を作らせて経済を回そうとしたんですね。
それが、カバン。西洋式の。
三谷
えっ、そっちなんですか。
なんか自然発生的に、柳行李からカバンに
シフトしていったのかなと思ったんですけど。
下村
諸説あるようですが、そうした背景があったみたいです。
その時に作ったデザインが、
時代を経て民間に降りてきた結果、
野球部員が持つエナメルバッグになったんだそうです。
三谷
えっ? あのバッグですか?
下村
他には、70年代に高校生のあいだですごく流行った
かまぼこみたいなかたちのバッグです。
MADISON SQUARE GARDENって
プリントされてるボストンバッグみたいなもので、
すごく売れたらしいですね。
三谷
上の世代の人たちは、
そのバッグ、懐かしいって言いますよね。
下村
はい。だから今60代以上の職人さんは
その時代を経験していて、
その頃は土日も昼も夜もなかった、
盆も正月もなかったって言います。
それくらいめちゃんこ忙しかったらしいです。
その後も、裏原ブームがあったじゃないですか、
あの時に爆発的にヒットしたバッグなんかを、
この豊岡のメーカーが作っていたんです。
三谷
そういう特需的な商品を作れる土壌があって、
産地として大きくなっていったんですね。
下村
ぐっと広がったタイミングはそういう状況ですね。
それが2010年代くらいまでずっと伸びてて。
産地としてのバリエーションが広がったわけです。
三谷
国内生産でいうと、シェアが8割とか?
下村
集計データによるらしいんですけど、
7から8割ですね。

一般のメーカーにはできない仕事

三谷
下村さんは、独立するときにはもう、
ビジョンがあったんですか。
下村
自分でクリエーション活動をしたかったんです。
三谷さんみたいに専門的な学校に行ったこともなくて、
いきなりプロの世界に入っちゃったんですけれど、
ブランドを立ち上げてクリエーション展開するのは、
前の会社でやってたんです、僕。
三谷
会社にいながらってことですか?
下村
社内起業みたいな形でブランドを作っていたんですよ。
でも組織の中でそういうアクの強いことをやるのは、
合理性だけでは説明がつかないことも多いし、
分かってない人まで分からせないと前に進めない、
そういうところにどうしても限界を感じてしまいました。
会社のお金でやれて、しかも給料ももらえるから、
社会人としてはリスクが少ないんですよね。
だけど、給料がゼロになってもいいから
誰にも邪魔されたくない! という気持ちのほうが勝って。
じゃ起業するしかないなって思ったんです。
三谷
そうなんですか。
下村
僕、起業した当初は、今回みたいに
外部のブランドさんとの仕事って
やるつもりはなかったんですよ。
もともと僕の出自って、
OEM(発注を受け、相手先のブランドの形をとった
ものをつくること)メーカーなんです。
三谷
OEMメーカーは工場は持っていても
自社のブランドは持っていないことが多いですね。
企画や開発をするけれど、ブランドではない。
でも、下請けとは違うんですけどね。
下村
そのOEMが故の、発注元の方が上、みたいな
そういう世界も知っていたから、
だから独立してまたそういうことをやるのは
自分にプラスになるとは思えなかったんです。
けど起業してみると、
今までの人間関係で「ああいうのできない?」
「こういうのできない?」「できるでしょ」って、
めちゃくちゃ相談がきたんですよ。
僕も、しぶしぶ話くらいは聞いてたんですけど、
聞いているうちに、実はそこに
需要があることに気づいたんです。
三谷
そうなんですか。
下村
なおかつ一般のメーカーにできないことを
自然とやってるっていうことに
第三者から指摘されて気づきました。
例えば、企画と生産はうちでやったものでも、
外部のクライアントの商品だったら、
出荷したら普通そこで終わりだと思うんです。
三谷
そうですね。それがOEM。
下村
だけど、それをこの「Maison Def」の店で仕入れて、
ここで売ってくれっていう、
そういうクライアントさんがいたんです。
このビジネスモデルってあんまり聞かないんですよ。
特に豊岡では、まずないんです。
豊岡で作ってることを一切匂わせたくないみたいな
ブランドもあるんですけど、
そのクライアントさんはそういう感じがなくて、
一緒にやってる仲間みたいに扱ってくれたことが
すごくうれしかったんですよ。
あなたたちが作ってるものなんだから、
ここで売ったらいいじゃないか。
商品のこと、めちゃめちゃ語れるでしょ、って。
セレクトショップのバイヤーさんにも、
これは「Maison Def」で作ってるんだよ、って
普通に言ってくれるんですよ。
それが、今までのちょっと閉塞感のある
豊岡のOEM環境になかったので、ガツーン! ときて。
だったら、僕がやるべきことは、
名前を出したくなるようなメーカー業だ、と思いました。
「Maison Def」って印がついてるわけではないけど、
うちと取引をしてくれるブランドのみなさんが
そういう要素を恥ずかしくないこととして発言できる。
「Maison Def」で作ってるなら安心だよね、
と思ってもらえる。
僕らは僕らで独自のものを作って出すし、
ちゃんとしたものを作る責務が生まれるし、
かといって他のブランドさんの
お手伝いをしてることを隠すことなく、
むしろ仲間っていう扱いをお互いにする。
そういう感覚でやっていただければうれしい。
三谷
OEMっていうと商品の背景が見えなかったり、
主従関係みたいなものができてしまうみたいな
デメリットが存在している部分がありますよね。
そういう中での新しいやり方を
「Maison Def」さんが実践されてて、
うち自身もそういうところに魅力を感じて
お願いしたいなと思ったんです。

「一つ屋根の下」の信頼関係

下村
この「Maison Def」っていう屋号を、
僕、18歳のときに決めていたんです。
メゾンっていうのは、
精神的な概念で一つ屋根の下っていう意味合いだと、
今、僕は理解してるんです。
精神的なつながりとしてメゾンであり続ければ
おのずといいものができると思ってて。
三谷
一つ屋根の下というのが、
自社ブランドの屋根だけに留まらないところが、
やっぱり「Maison Def」の一番の特徴ですね。
下村
OEMのブランディングっていうと安っぽいんですけど、
ここに渡せば大丈夫っていう安心感があるといい。
そこには信頼関係っていうものがあると思うんです。
うちに出入りしてる職人さんは、大勢いますけど、
みんな、商売相手って感じが、一切ないんですよ。
お金のやり取りだけで付き合ってる人はいません。
「ファミリー」ですよ。
三谷
それは仕事を受ける場合も、
クライアントさんとの関係も同じように?
下村
まずは、需要がある限りはお応えしたい。
うちを買ってくれてるわけですからね。
ただ、お付き合いの中で「違うな」って気づく、
そういう相手はやっぱりいますし、自然と離れます。
だから長く続くクライアントさんとは、
お金じゃない、みたいなところがありますね。
もちろんお金は大事ですよ、仕事ですから。
でも東京に行っても仕事の話何もせずに帰ってきたり。
だって仕事の話はラインやzoomでできるじゃないですか。
直接会ったときはご飯食べに行って、遊びに行って。
で、合間にちょっと思い出して仕事の話したり。
でも、それでいいんです。
三谷
確かにそうですね。
対面のコミュニケーションが持ってる情報量って
ものすごく多いですもんね。
下村
一緒に食事することで嗅覚味覚もわかるし、
この人何が好きとか、嫌いとか。
それこそ仕事に関係ないプライベートの話も、
僕は聞きたいんですよ。
そうやって仲良くなって、
もちろん仕事はちゃんとやる。
三谷
それがベストですね。
下村
お互いが踏み込めるところまで踏み込んでいけば、
シフトする方向性がわかって、
仕事のレベルがさらに上がっていくんですよ。
なんか、そういうのを望んでますね。
三谷
人それぞれ、違うと思うんですけど、
その違いも楽しめるような感じなんですか。
下村
もちろんその人の性格、パーソナリティーがあるし、
僕が相手から吸収したい要素とかも違いますよね。
あんまりしゃべらなくて、仕事の話が好きな人もいる。
僕をただの仕事相手だと思ってるのかもしれないし、
本人がそういう性格なのか、どっちかわかんない。 
だけど僕はその人の仕事の仕方とか、
仕事そのものに興味があるから、
なんかこう、触れてるだけでいいみたいな。
その人からはそういうところを学んでる。
そうなると自己満足に近いですけど。
三谷
なるほど。
人によってコミュニケーションのかたちは
同じじゃないですもんね。
下村
信頼関係がすごく大事だと思ってて。
100パーセント合致って、まずありえないですけど、
同じ目線っていうか、どういうものを作って
どういう形で誰に提供したいのかっていうのが見えて、
少なからずそれにうちが共感できたらいいと思います。
三谷
そうですね。
お金はもちろん基準のひとつではありますけど、
気持ちよく仕事ができるかっていうのも
ひとつの指標だと僕は思ってます。
お互いに信頼してお付き合いができて、
いいものが作れたらいいですよね。

ラフに見えて、とても繊細な仕立て

三谷
さて、実際にカバンを縫ってくださってるのが、
ましゅまろ天使さん。
屋号がかわいらしいですよね。

▲左が、ましゅまろ天使の佐々木さん

佐々木
姉と、最初に名前を決めようっていうときに、
姉の子供が「ましゅまろ」がいいんじゃない、って。
赤ちゃんの、ふわふわなイメージで、
赤ちゃんって言ったら天使だよねって、
「ましゅまろ天使」になったんです。
本当に簡単な理由なんですけど。
三谷
なるほど。
佐々木さんはどういう経緯で
縫製の仕事をはじめられたんですか?
佐々木
はじめは洋服のお直しの店に勤めてたんです。
3年前かな、独立っていうか、自分でお店を出して。
洋服のお直しのほかに、弟がゴルフをしているので
パターカバーをオーダーメイドで作ってるんです。
オリジナルの刺しゅうを入れたりとか。
洋服のお直しのほうが専門なんですけども。
オーダーメイドで服も作ったり着物のリメイクとか。
最近ちょっと刺しゅうに力を入れてる感じです。
三谷
豊岡ってカバンの一大産地じゃないですか、
そういうお仕事のつながりもあったりするんですか。
佐々木
一時、カバン屋さんでは縫えない薄物の、
トートバックみたいなものを作りましたね。
下村
カバン屋と佐々木さんとでは、
技術や機材ってやっぱり違うんですよね。
僕らは素材が革が多いですから、
分厚ければ分厚いほど、よう縫いますけど。

カバンを縫うのは「目の力」

三谷
今回、レイヤードバッグを縫っていただいてる
スタッフさん、難しいところ、気を付けてるところは
どのあたりですか。
スタッフ
そうですね、
ステッチがなかなかまっすぐにいってくれないのと、
同じ間隔になってるかっていうのが
難しいなと思いながら縫ってます。
あとはマチのところが、
厚みと糸の密度がかなり密になるので、
直角に縫い合わせるのが難しいですね。
三谷
普段のお仕事とはだいぶ感覚が違いますか。
スタッフ
そうですね。
厚みと、生地の目がかなり細かいので、
そこを整えながら縫うのが難しいですね。
三谷
スタッフさんも、かなり体力使いますか。
スタッフ
結構力も使いますし、目がチカチカします。
ステッチが多くて細かいので、ゆがまないように、
あと周りを見ながら整えながら縫うので、
かなり目の力も使ってると思います。
三谷
じゃあ、神経も使うし体力も使うしっていう。
お疲れ様です。
なんか申し訳ない感じがしてきます。
スタッフ
フフフ。
最初は難しいな、縫えるのかなと思いましたけど、
段々とこう、コツをつかんでくると
面白くなってくるカバンだなって
作りながら思いますね。
三谷
今すごくきれいに縫っていただいてます。
スタッフ
本当ですか、ありがとうございます。
出来上がったときの達成感がすさまじいです、はい。
三谷
いやいや、美しいなと思って。
普通に使ってるだけだと、
その辺の苦労というのがなかなか分からないから
こうやってお話が聞けて、よかったです。
ありがとうございました。

(おわり)

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