今回のMITTANの生地は、
愛知県尾張西部エリアから岐阜県西濃エリア、
愛知県一宮市を中心にした
「尾州」(びしゅう)という
織物の産地でつくられています。
木造の三角のこぎり屋根の工場で、
古い、ゆっくりとすすむ織機をつかい、
熟練の職人達の手でつくられる生地は、
MITTANの三谷武さんが
「こういう生地だったら!」と望むものに、
とても近いものでした。
機屋さんの管理をしている
万平(まんぴょう)株式会社の木方英貴さんと、
じっさいに生地をつくってくださった
苅安毛織(かりやすけおり)の苅谷道則さんに
お話をうかがいました。
(取材・写真=三谷武)
小さな織物工場をまとめる仕事。
- 三谷
- 木方さん、尾州という産地のお話を
まず伺わせてください。
そもそも尾州というのは
どういう産地なんでしょうか? - 木方
- 尾州はやっぱりウールに尽きるんですよね。
そこには歴史的な背景があるんです。
ウール織物というのは非常に高級で、
当時、工賃としても、
通常の綿織物などに比べ高かった。
最初は自分の家に織機を1台だけ入れて、
というスタートでした。だんだんそれが増え、
織機や職人がそろっていき、
小さな工場、いわゆる「三角のこぎり屋根」の
織物工場が、たくさんできていきました。
それが「工賃機屋」(こうちんはたや)と呼ばれる
「尾州ならでは」の風景になっていったんですよ。
- 三谷
- その、おおもとというんでしょうか、
それぞれの家庭的な工場に、
素材を供給する大きな会社も
あったわけですよね。 - 木方
- そうですね。やっぱり大手が何社かありました。
お金持ちな会社が多かったんです。
なぜかというとウールの糸は
半年から1年前に買い付けるんですが、
つまりは先にお金を払わないといけない。
生地で納めて現金化できるのは1年後、
もしくは1年半後なわけです。
だから資金繰りの余裕が
2年分ぐらいないとできないんですよ。 - 三谷
- ほかの織物に比べ、仕入れのコストも高く、
スパンが長いということですね。 - 木方
- そう。だから大手がやらないとできません。
「工賃機屋」が増えたのには、
そういった理由もあると思います。 - 三谷
- なるほど。その尾州という産地の中で、
木方さんの経営する会社「万平」さんは
どういう形で始められたんですか。 - 木方
- 先代の勤めていた会社が倒産したので、
従業員を連れて起業して、
なけなしで立ち上げたのが
今の万平株式会社です。
創業当時は、生産量も多く、
織物業界も血気盛んな時代でしたから、
売上げにしていまの5倍近くあったといいます。
私たちは、さきほど申し上げた
「工賃機屋」の生産する生地の品質と納期を管理する
というのが 基本的な仕事なんです。
「親機(おやはた) 」と呼ばれる、
いわゆる生地屋さんから生産の注文を受けて、
それを弊社と契約している機屋さん
「子機」(こばた)に依頼するんです。
直接、親機さんから
工賃機屋さんに依頼すればいい、と思われるでしょうが、
1年間続けて機械を回すのは、しんどいんです。
だって、ウールを着るのは、冬だけですから。
1年間、安定して仕事が出ないから、
機械を手放すところが増えたんです。
ところが、難しいウールの織物を
マスターした「職人さん」が出てきて、
織機が古くても良い生地が量産できたんです。
それで、そういう小さな織り手のみなさんに
いろんな生地を依頼して
機場の管理をしてくれる人がいた方がうまく回る、
ということになったんだと思います。 - 三谷
- MITTANもそうですけれど、
アパレルメーカー、と名はついていますけど、
ほとんどがファブレス(製品製造のための
自社工場を持たない製造業)ですよね。
僕らにとっては、万平さんのような会社は必要です。
- 木方
- そういっていただけると嬉しいです。
繊維業界の特徴じゃないかなと思うんですが、
僕らのような 生地の管理をしている会社の大半が
「生産背景」を持ってないと思うんです。
だからきちんとしたアパレルメーカーと組むのは
とても大事なことだと考えています。
時代にあわせた方向転換。
- 三谷
- 木方さんのところでも、
織機を買われたとおききしました。
今までは機の管理をしてきたのが、
生産も行なう会社に成長をしたいと。 - 木方
- そうなんです、今回中古のジャカード織機を2台買いました。
僕の中では腹をくくったところなんです。
うちは、尾州の中でジャカードの生地を生産する
インフラを長年やってきた歴史があります。
このまま、放っておくと無くなっちゃう。
そりゃあ、生産背景をまったく持たない状態の方が
身軽なんですよ、本音を言うと。
それを敢えて背負い込むことで、
我々自身が、どう変われるか、っていうのを、
新しい挑戦としてやってみようと思ったんです。 - 三谷
- 時代に合わせて方向転換をする、
ということかなと思うんですけれども。
もともとはインテリアが多かったと
おっしゃっていたので。 - 木方
- はい。
うちは、ジャカードの織物を昔からやってました。
ジャカードでは、カーテンや椅子張り、
パーテーションのような
インテリアがほとんどだったのに、
インテリアが無地へ変わったのと、
海外生産へシフトされ、
ジャカードで織るインテリアが減っちゃったようです。
そこで、先代が、
尾州での新たなチャレンジとして、
ジャカード織機を、
インテリアから衣料へシフトしたそうです。
最盛期は衣料関係が70%ぐらいで、
インテリアは30%くらいまで減ったようです。
僕が、会社に来た4年前ぐらいは、
衣料向けが多く、無地はコート生地がヒットして、
暑い夏も寒い冬も同じものを、織ってました。
なにしろ、1日1反あがるかあがらないかなので。
何台も同じような機を織ってました。
ただ今度は、衣料がこのコロナ直前で止まった。
衣料系が生産見直しで、
機場がガラガラになってきたので、
無地では、シーズン性が少ないインテリア系で
織る台数や機場を一気に増やしました。
結果、インテリアは現状で40%を超えて、
衣料が60%弱ぐらいのところまで下がりました。 - 三谷
- それは管理されてる機屋さんの中で
バランスを変えていくということですか。 - 木方
- そうです。と同時に、
やっぱり新陳代謝もしています。
どうしてもご高齢の方が何軒かあるので。 - 三谷
- そうですよね、
辞められたり、ありますよね。 - 木方
- はい。
僕はジャカードは別として、
この尾州地区で今後残ると思っているのは、
インテリア系のポリエステルと紡毛系のウール(*)、
この2ラインだけかな、と思ってます。
(*)紡毛(ぼうもう)とは、
短い羊毛を糸にしたもの。
やわらかさ、起毛のしやすさ、保温性にとむ。
フラノ、メルトン、ツイード、
ホームスパン、サキソニーなどがある。
逆に櫛で梳いて均一性を出した細番手の糸は
梳毛(そもう)という。 - 三谷
- どちらも、無地で、っていうことなんですね。
- 木方
- すみません、ジャカードは別です。
衣料として、ジャカードは残りますし、
うちと尾州のライフラインと思ってます。
無地で言うと、尾州の織機は古いものが多く、
梳毛(そもう)では生機の傷がでやすい。
そして織り手も高齢になっていくと、
細番手のものは見えにくいんです。
でも、機械が古くなったからもうダメ、じゃなくて、
機械の古さをうまい具合に使えるものは何なのか、
と考えると、紡毛とインテリア系だと思うわけです。
尾州でしかできない仕事を。
- 三谷
- 無地は特徴が出しにくかったり、
海外の方が性能のいい織機でコストも安いとか、
その辺の問題が出てくるのかなと
思ったりもするんですけど。 - 木方
- うん。そう思ってます。
反対に、だから海外はやりにくいんですよ、
紡毛にしてもインテリア系にしても。
紡毛は糸が切れやすいですから、手間がかかる。
そういうものって海外ではやりたがらない 。
また、世の中にはインテリアでも番手の細いもの、
先染のものが非常に多いわけなんですが、
ロットも大きいんです。
でもこちらは非常にちっちゃい整経でできてしまう。
だから海外でも他産地でもやりにくいものを、
いま、尾州は得意にしているんです。
それでも事故が多いんですけれどね(笑)。 - 三谷
- 今回、MITTANがこういう生地をお願いしたいと
ご相談したときに、
今回の苅安さん(機屋)を選定された理由は、
やっぱり設備ゆえ、ですか。 - 木方
- 今回リクエストをいただいた生地を
織ることができる織機は
尾州に2台だけあるんですが、
そのときに1軒の機屋さんが辞めるかどうか、
という話をしていました。
それで苅谷さんにお願いしようと。
彼はね、仕事が大好きなんですよ。
いい仕事がしたくてしょうがないのにできない、
というのがいまの尾州の生産者かもしれません。
そこに見合うつながりがつくれないというのが、
われわれがちょっと悩んでるところです。 - 三谷
- 継続的にお仕事を依頼しなければと強く思いました。
懇意にしてる縫製工場さんに対しては、
閑散期の時期に縫ってもらったりとかするんです。
でも機屋さんでそれをやったことがなかった。
空いてる時期をうまく埋められるような
仕事をつくるというのも、
アパレルメーカーが考えるべき仕事だと感じました。 - 木方
- ありがとうございます。
三谷さんのそういう言葉はすごくありがたいし、
ほんとにそういう形になるといいなと思います。
かといって今は、在庫はダメ、という時代なんですよね。
つまり余分なものを作らないでおこう、
要らないのにつくるのはSDGsの精神に反すると。 - 三谷
- そうですね。うちも閑散期にお願いするといっても、
それは別に余剰在庫というわけではなく、
確実に売れるものを今のうちに作っておこう、
という前倒し生産に近い考え方をしています。 - 木方
- そういうのがあった方がいいですね。
- 三谷
- もっと、アパレルメーカーとして
考えていかなくてはと思います。
ファストファッション、とは別のものを。
- 三谷
- こういう取材をさせていただくのも、
大事なことだと思っているんですよ。
MITTANもシャツで20,000円以上とか、
ジャケットだと4、5万やっぱりする。
「なんでそんなにするの?」っていうのが、
背景を知らない方だとやっぱりわからない。
うちとしては価格は頑張っているつもりなんですけど。 - 木方
- そうですよね。
- 三谷
- ファストファッションで一見似たようなものが
2,000円や3,000円で売ってるのに、
なぜこの価格なのかっていうのは、
背景を知らないと全然わからないんです。 - 木方
- そうでしょうね。
- 三谷
- なので、こういう方たちがお仕事をしている、
というところまで把握していただきたくって。
そうすれば価格にも納得いただけるし、
買ったものも、長く使ってみようかとか、
すぐには捨てないで補修して着ようとか、
他の方に譲ろうかとか、
何かしらで服のサイクルを長くしていかないと、
産業自体が立ち行かなくなるんじゃないかなと思っていて。 - 木方
- そうですね。
僕、最初に三谷さんとこからお話いただいて、
コンセプトとリペアの対応の仕方を見て、
すごく感銘を受けたんですよ。
こんなことをこんな前から
やってみえる方がいたんだということに。
僕は尾州のドロドロの中でまみれて(笑)
息も絶え絶えで。
でもこんな方がいるんだったら、
またちょっと頑張れるぞと。
ほんとに。
「儲からん。儲からん」ばっかりで、
どうしたいのっていう話をしないまま来てるのが
実態なのでね。
- 三谷
- いろんな産地でもそういうお話を伺います。
- 木方
- そうです、そうです。
情報のソースが少ないんです。
どうしても偏った情報になる。
じゃあ、新しい知恵が出て来るかって、
なかなかそんな接点もない。
だから新しい風を送り込んであげないといけない。
これからのZ世代には僕すごく期待してるんです。
そういった世代の方々と
新しい風を作って入れ込んでいくと、
ちょっと変わるだろうなと思いますよ。 - 三谷
- 木方さんにとって尾州産地でできる
Z世代の方たちとの取組みの
ビジョンみたいなものはありますか。 - 木方
- 今までのような受け身的な仕事からは
おそらくこの時代、何も出てこない。
じゃあ今Z世代の方とかどうだと言ったら、
自分の表現の行き場を探してるように見えるんです。
その表現の場所をわれわれのところで
発信できるような状態にして、
それをある程度みんなに認知していただいて、
そこを活力にして生産を広げたい。
ちょっとかっこいい理想かもしれんですけど。 - 三谷
- いやあ、素晴らしいと思います。
- 木方
- そのために古い織機を残し、
稼働させることができる状態にしとかないといかん。
それが、僕がこれからやっとくべきことなのかなと
勝手に自分で課してます。 - 三谷
- なるほど。ありがとうございます!
これからもよろしくお願いします。
10分の1以下になっても。
- 三谷
- 苅安毛織の苅谷社長にお話を伺います。
よろしくお願いします。 - 苅谷
- こちらこそ、よろしくお願いします。
- 三谷
- 苅安毛織さんがどういった形で
お仕事をされてきたのか、
伺ってもいいですか。 - 苅谷
- カーテンとカーシート、椅子張りが基本です。
そしてここ10年ぐらいは、衣料もやっています。
ジャカードは、尾州の場合、
ほとんどの機屋さんがカーテンか車両なんですよ。
衣料をやってるところはほとんどないんです。
- 三谷
- そうなんですね。
- 苅谷
- カーテンの形態も変わってしまいました。
ホームセンターなどの量販店で買う人が増え、
そういった量販店は自社生産をするようになりました。
それまではカーテンメーカーがあって、
僕らのような機屋が生産を担当し、
それを家具店なり専門店であつらえていたのだけれど、
いまは自社生産で、海外に工場があったりする。
尾州での生産は、20年ぐらい前に比べると
10分の1以下でしょうね。 - 三谷
- そんなに減ってるんですね。
- 苅谷
- 「尾州」のものづくり、どうなると言いたくなります。
じっさい、当時の仲間はいなくなりました。 - 三谷
- そうなんですか。
- 苅谷
- ジャカード機屋さんは、十数軒しかないですよ。
昔はとんでもない数がいました。
僕が若手ですから。63歳で(笑)。
僕より若い人はほとんどいないんです。 - 三谷
- うちが苅安さんにこうやって伺ってるのは、
万平さんからご縁をいただいたからなんです。 - 苅谷
- 万平さんは昭和55年頃からのおつきあいです。
先代の社長の時代からですね。 - 三谷
- 40年以上経ちますね。
ずいぶん長いんですね。 - 苅谷
- 今の木方社長とのおつきあいは
4年ぐらいになるのかな。
あと10年はがんばりたい。
- 三谷
- 今のような織機を揃えられたのは‥‥。
- 苅谷
- 昭和の終わりから平成3、4年頃の最盛期に、
うちもずいぶん投資したんです。
のちに時代が変わってガクンと来たけれど、
もうその頃には借金がなかったのがよかったです。
でもね、僕も、今、10歳若かったら、
辞めて勤めに出ていたかもしれない。
今は、当時より織機が値上がりしていて、
工賃も注文も下がっていますからね。
それと一番ネックなのが部品がないこと。
古い機械は、故障したとき替えの部品がないんです。
それぐらい、環境が厳しい。 - 三谷
- そうですよね。
- 苅谷
- 織機を制御する
コントロールボックスっていう基板も
15年ぐらい前と比べたら、
単価が5倍、6倍になっています。 - 三谷
- じゃあ基板に不良が出たら‥‥。
- 苅谷
- いつも、不安な気持ちです。
その投資がなかなかできませんから。
しかも手作りで3カ月、4カ月かかるかな。 - 三谷
- 一応作ってはくれるけど、ってことですね。
- 苅谷
- そう。だからコロナが落ち着いたあと、
どうなるか、ですね。
おそらく仕事は減るんじゃないかな?
でも僕はあと5年‥‥10年、
続けたいとは思っているけれど。 - 三谷
- すみません。そんな中、
うちの生地も織っていただいて、
ありがとうございます。 - 苅谷
- 「これはうちしかできないだろう」と。
でもね、今は織ってるけれど、
来年は機械が壊れて、やりたいけどやれない、
こともある世界です。 - 三谷
- ありがとうございます。
厳しい状況を伺えて自分たちもより
きちんと背景を伝えて行く必要性を実感できました。
今後も続けて仕事がお願いできるように
僕らもがんばります。
(おわり)
2022-08-05-FRI