糸井 | 美術として、アーティストとして 好きな表現をしなさいと、 好きな場が与えられたときって、 ぜんぶ自分の勝手じゃないですか。 だから、今回の展覧会でいうと、 最後に巨人が横たわっていて、 内臓が飛び出してみたいな、 あれは誰にも頼まれてないですよね。 あれをやる時には、 他の仕事をイラストレーターとして やってらっしゃる時と、 ぜんぜん違いますよね。 |
大橋 | 違います。 |
糸井 | なにがいちばん違いますか。 |
大橋 | 糸井さんも広告のお仕事をしてらっしゃると そうだと思うんですけれども、 私たち、イラストレーターみたいな者は、 とにかく「こういうふうなもの」として、 ある程度決まったものを頼まれて 描かなくちゃいけないし、 雑誌だと、何歳ぐらいにウケてる雑誌だとか、 そういう条件みたいなものがあって、 「あっ、だったらこうしよう」 と、仕事をしていくと思うんですね。 でも、ああいうアートみたいなもの、 インスタレーションみたいなものは、 そういうものが誰からもないし、 誰に見せたいということもないので、 自分が今やりたいことをやればいい。 あれは何かとても‥‥大変だけど、 気持ちはよくて。 |
糸井 | なんか、もう文字どおり 吐き出したぁ! みたいな。 |
大橋 | そうなんです。 |
糸井 | そういう表現ですけどね、あれ自体がね。 ぼくはやっぱりあれ、今回ああいうのもあるんだ、 というぐらいの気持ちで来たんですけど、 あの部屋にやっぱり圧倒されまして。 大橋さんが吐き出したものの分量の多さに! |
大橋 | うれしい! |
糸井 | ピンクのものがこう‥‥、 まあ、ふつうに見たら内臓に見えますけど、 それがこう、とぐろを巻いて、うねって、 で、少しじゃないっていうところが やっぱりすごいわけで。 重さから、量から、高さから。 で、あの分量がないと、あの表現にはならない。 |
大橋 | そうなんですね。 三重県立美術館のボランティアの方に 手伝ってもらわなかったら、 あれだけの量はできなかったんですよ。 |
糸井 | あれは「私が吐き出したいものは 誰かの手伝いで成り立ってる」っていう、 珍しい表現ですよね。 それまでの、頼まれた、ルールのある仕事を、 いい仕事として返すっていうことが仕事だよと、 その間にたまっていたものの分量が、 あんなにあるのか。 |
大橋 | そういうことなんですね。 |
糸井 | あんなにあるのか‥‥。 |
大橋 | 私もあれは自分の中でなんなんだろうと 思ってたんですけど、 今、糸井さんから話を聞いて 「あ、それだ!」と思います。 |
糸井 | たぶん、そうですよね、きっとね。 それまでに逆にルールがある仕事っていうので、 確実に私は返してきてますよっていうか、 来た球打ってますよという自信も おありだったと思うし。 だから、次の球を投げてもらえるし。 |
大橋 | そうですね。そういうことかもしれない。 |
糸井 | おそらく、そこのところでいちばん 大事にしてたことっていうのが、 「イヤだっていう気持ちは持たないようにしよう」 っていうふうに思ってたんじゃないかな、 って想像してたんです。 |
大橋 | そうですね。 |
糸井 | なぜ想像できたかっていうと、 ぼくがそうだからなんです。 「食器洗っといて」っていうのから、 「絵、描いて」っていうのから、 頼まれ仕事って、 相手が喜ぶことがうれしいわけですよね。 |
大橋 | そうです、はい。 |
糸井 | そういう時には、相手が喜ぶことをやるのに、 「オレはやりたくないんだけど」 って言ったらバレちゃいますよね。 |
大橋 | そうですね。 相手が喜ぶことっていうのも、 私がイラストできっとずっとやってきたから、 たぶんまた次の、そういうこと(アート)で 喜んでもらいたいというか、 結果的に喜んでもらえることに なったかもしれないと思って、 それで満足してるところも あるかもしれないです。 |
糸井 | それはたのしい遊びですものね。 子どもを育ててる時って、 その原型みたいなものがあると思うんです。 なぞなぞ出したらね、 うれしそうに子どもが答えようとしてる、 考えてくれてるっていうだけで、 親は嬉しいですよね。 あやしてるっていうのも、 その子どもが笑ってくれたら うれしいじゃないですか。 子どもは「笑わせてくれよ」とは 言わないわけで、 何かサービスするとか、 喜ばせるっていうことって、 大変だけど本当にたのしいんですよね。 |
大橋 | たのしいことですよね。 |
糸井 | しかもそれで、 生活のためのお金までいただいて、 それが循環できるわけですから。 大橋さんが、やっぱり、 楽しませるということについて 責任を持ってきたということが、 45年だったんだって思うと、 「いやぁ〜、ようやりましたなぁ」 みたいな気持ちになります。 |
大橋 | でも正直いうと、 時々、楽しんでもらうことをするのが つらくなった時もあるんです。 |
糸井 | わかります。 そのへんの話、お聞きしていいですか。 どういう時につらくなったりしますか。 |
大橋 | ストレートに、 自分がこういうふうにたのしんでもらいたい、 ということじゃないことを、要求された時。 一応、私たちは“いただく”仕事だったので、 「こういうものを描いてください」とか、 一応、条件がありますよね。 でも、今までずっと仕事をしてきたので、 その(大橋歩という)イメージを 向こうさんが持っていらっしゃるならば、 壊しては悪いと思うので、 一所懸命サービス精神で なんとかしようと思うんですけれども、 でも、そこらへんがうまく つながらないことも多かったんです。 そういう時はつらくて。 |
糸井 | イラストレーターって、 頼んでくる人が想像して、 こんなものがほしいと思いながら来ますよね、 基本的には。 そうじゃなかったら 大橋さんのところに来ないわけだから。 なんでもいいです、 とは誰も言わないですよね。 ま、たまには言うかな。 期待‥‥信頼関係があれば、 ある程度「なんでもいいです」も あるかもしれないけど、 「なんでもいいです」が来ないときは、 描き手としては、 「あなたは85点ぐらいのものを 想像してるかもしれないけど、 私にはもっとおもしろい、 60点のものを出す用意がある」とか、 「120点なんだけど、 嫌われるのを用意してる」とか、 いろんな遊び方、できるじゃないですか。 |
大橋 | そうですね。 |
糸井 | で、それが 「ちょうど私の想像してたものをください」 って言われたときには、寂しいんですよね。 |
大橋 | そう、ちょっとつらいですよね。 |
糸井 | あれ、なんでしょうね。 |
大橋 | もうねえ。 |
糸井 | 作り笑いみたいなことしか できないですものね。 |
大橋 | そうですね。 でも、一応仕事だから、 なんとか押しのけるんですけれども。 それが、とても、ちょっと、 あと味のよくないものだったりとか。 |
糸井 | そうですよね。 |
大橋 | あと味がよくないことはよくないから、 次はなんとかそういう仕事が来ても、 あと味が悪くならないようにと 思うんですけども、 やっぱり、そういう仕事は たまにありますしね。 |
糸井 | 自分の例でいうと、 ぼくも、85点でこういうものっていう、 「あのときみたいな」とか言われたときに、 やっぱりどういうふうに それをひっくり返すっていうのが、 いちばん一所懸命考えるところなんです。 たぶん、ぼくのほうがちょっとラクだったのは、 ひっくり返し方にいろんな答えがあるんですね。 |
大橋 | あっ、そうなんですか。 |
糸井 | 「こんなこと要求されてるっていうのは もう十分わかるけれども、 それよりこっちがいいでしょう」 っていうのを組み立てて返して、 押したり引いたりしながら通る、 っていうのが、 いちばんうまくいく仕事なんですね。 広告関係の方とかいらっしゃったら、 わかってもらえるかもしれませんけど、 年齢層がどうだとか、 性別がどうだとかって、 ほんとにおもしろいものとか、 ほんとにいいものって関係ないんですよね。 |
大橋 | そうですね。そう思います。 |
糸井 | 「ああ、このへんのアイデアだと、 このへんの年齢層の人だ」とか、 「これ、女性なんでね」とか言われた時に、 その人をつぶしてしまえば 何とかなるっていう時には、 もうスポーツみたいにボール持ったまま ダーンってぶつかって、 倒れてる隙にこっち回ってってみたいな。 やっぱり、なんていうんだろう、 そういう体力が要るようなことは、 けっこう、してましたね。 |
(つづきます) |