糸井 | スポーツみたいにボール持ったまま ダーンってぶつかって、 倒れてる隙にこっち回ってってみたいなこと、 絵ではどうするんだろう、 っていうのを想像したら、 大橋さんの作品のなかに、 その答えがあったような気がします。 たとえば、女の子の髪の毛を黄色で描く、 あれ金髪っていうことだから黄色ですよね。 その時に、初めて黄色の髪を出したときには、 大橋さんに頼んだ人は 黄色の髪が出てくるとは 思ってなかったと思うんです。 ときに、「えーいっ、黄色だぁ」 っていう気持ちよさ。 そういう仕掛けがいっぱい、 この展覧会の中にありますよね。 たとえば、下書きの鉛筆の線が、 消してあるべきか、 見えていてもいいのかってときに、 たとえば「ある」。 それから、頭の大きさを どのぐらいにするかっていうときに、 「ちいさくしたらカッコよかったから、 ここはもう小さくしちゃったの」っていうのも、 人体からしたらこんなにちっちゃいわけだから 「ちいさすぎるだろう」って、 言う人は言いますよね。 大橋さんはそれを 「これがカッコいいと思うのよね」っていう形で、 どっかでボール持って疾走してますよね。 |
大橋 | そうです。 たとえば頭をちいさく描いた時も、 おかしいよっていう人が たくさんいたわけですよ。 バランスが悪いとか。 でも、中には「いいねえ」って 言ってくださった、 その言ってくださった人のほうが少なくても、 自分が描きたいことだったので、 「変だよ」と言われることは もう頭の中からなくなって、 いいって言ってくださる人のことしか もう聞かなかったというか、 耳を貸さなかったというか。 すごい頑固なんだと思います、 やりたいことに。 |
糸井 | そうですね。ある瞬間に 頑固スイッチが入るんですね。 |
大橋 | そうなんですね。 |
糸井 | 会場にあったもの以外にも 表現を山ほどなさってるけど、 やっぱりそのつど、 ここは誰かの隙を突いてこうしたんだとか、 ここはもうケンカになるのを承知でやったんだとか、 ここは言うことを聞いたふりして、 もっと過剰に言うことを聞くことによって 乗っけてったんだとか、 そのつど、格闘の痕が たぶんあるんだと思うんです。 ご自分でぜんぶそれはきっと 憶えてらっしゃるようなことだと思うんですけど。 |
大橋 | あんまり憶えてないかもしれないですけど。 |
糸井 | 意識的にやってますよね、明らかにね。 |
大橋 | 意識的にはやってます。 やっぱりその時代みたいなものの中で、 とくにもう70年からずっと すごく急にいろんなことが動いてきますよね。 その中で、 「自分がちゃんと憶えてなければ怖いぞ」 みたいなものがどこかですごく あったと思いますけれども、 でもそれは、たぶんどなたかが私に アドバイスしてくださったことを 聞いているだけでは、たぶん、 一緒に走っていけなかった。 だから、私は私の中の感覚で、 ここをちょっとこうしようとか、 ああしようとかっていうことで、 それがずっと先につながってきているかな、 っていう気はしますね。 |
糸井 | その意味では、描いている世界が わりにファッションに 近いところにあったっていうのは、 大橋さんにとってもたのしい刺激が。 |
大橋 | そうです、そうです。 |
糸井 | 変化そのものが自分の仕事にもなっていく。 髪形一つでも、この髪形はこの時代にはいいけど、 この時代には合わないよね、みたいなのは、 自然にときどき変化されてますよね。 あのへんっていうのは、なんだろう、 大橋さんがどのぐらい意識されてたんですか。 |
大橋 | たとえばその時代の流行の中で 客観的じゃなくて、 「私もしたい」とか、 「私もアレが好き」とか、 たぶんいっつもそういうところが。 |
糸井 | 「私のやりたい」っていうことは、 たとえばあの女の子たちのお化粧を、 「私」もしてたんですか。 |
大橋 | 実は、若いときには、 ほんとに今の方みたいにつけまつ毛して、 ここにソバカス描いてとか、 似合わないけど、してましたね。 |
糸井 | あぁ、つまり一緒に歩いてたんだ。 自分が見る側の人だったんだ。 |
大橋 | 一緒に。そうですね。 |
糸井 | 大橋歩さんが描くものを、 受け取る側の人として もうひとり、大橋歩っていう人が たしかにいたんですね。 |
大橋 | というような気がしますね。 |
糸井 | ひとりでおままごとしてる。 「お父さん、ごはんができましたよ」、 「はい、いただきましょう」 っていう、ひとり遊びみたいな。 あれは大橋さんは、千代紙なんだ。 |
大橋 | ああ、そうかもしれないですね。 |
糸井 | そう思うと、よくわかります。 つまり、人はわりに 勉強しちゃうんですよね。 特にファッションにかかわったり、 時代の感覚を取り入れなければ いけないっていうのを、 「ねばならぬ」で時代の空気を もっと取り入れなきゃダメだよっていうのを 勉強したり、たくさん資料を取り寄せたり、 そういう勉強会に行ったり── みたいにして取り入れちゃうと、 「私」がうれしくないんですね。 |
大橋 | お勉強。 |
糸井 | あの時代、ディスコとか、そういうところに スーツの人たちが見学に行ってたんです。 そういう人たち、ずい分会ってますよ。 「糸井ちゃんさ、もっと勉強しなきゃダメだよ」 って、ぼく、言われてましたもの。 「もうさぁ、すごいんだよ、いま踊りは」 なんて、そんなの‥‥ ぼくはそういうところに行かない人間だったんで。 |
大橋 | そうですか、そうなんですか? |
糸井 | そうなんです。 実はね、ぼくはテレビみたいなものに 出始めた時に、 『11PM』っていう番組があって、 事務所が原宿だったんで、 「もう原宿のことといえばね、 ぼくはね、“原宿ちゃん”と 呼んでるんだよ。糸井ちゃんです」 なんつって愛川欽也さんに紹介されて、 “原宿ちゃん”かよって。 「今、どうなってんの、若い子たちは」って、 ‥‥知らないんですよ。 |
大橋 | そうだったんですか! |
糸井 | そうなんです。 だから、「○○は、今どうなっています」 っていうことで仕事したことなんて 1回もないんです、実は。 |
大橋 | そうなんですか、知らなかったです。 |
糸井 | ないんですよ。 つまり、そこをやっちゃったら、 勉強家になっちゃうんですよ。 なんでもいちばんいけないのは、 物事をダメにするのは勉強家だと思うんですよ。 そうすると、つまんないのに 上とか、下とかっていうのができちゃうんで、 これでつまんなくなっちゃう。 |
大橋 | なるほど、わかる気がしますね。 |
糸井 | たぶん大橋さんは、 オシャレな環境の中にはいたんですよね。 |
大橋 | そうでしょうね。 好きだから、 そういう環境の中に 入ってってるっていうか。 |
糸井 | 「私、これがほしい」とか、 「へぇ、そんなの新しいの来たの?」 っていうのは、 お客さんとして思ってるんですよね。 |
大橋 | そうです。 |
糸井 | それはすべてに近い、 「原点中の原点」だっていう気がするなぁ。 今もそういうところがあるじゃないですか。 |
大橋 | そうです、今もそうです。 |
糸井 | 同じですよね。 当時、洋服で表現されてたものっていうのが、 今、何として出てくるかわからない。 ひょっとしたら布地かもしれないし、 ただの石ころかもしれないし、 みたいになってるわけですよね。 そうかぁ、一生「お客さん」を これだけやれるっていう。 |
大橋 | そうやって言われれば、本当にそうですね。 『平凡パンチ』の時もそうだったんですけど。 私は実は、男の子たちの格好が あまりにもカッコよくて、 私が男だったらこんな服を着たいな、 みたいなことからああいう絵が描けたっていうか。 女の子の絵はすごい下手だったんですけど。 |
糸井 | まずは男の絵から始まってますもんね。 自分が好きな人の似顔絵を 自分で描けたら描いてみるかもしれない、 そんなことですよね。 最高にたのしいですね。 変な頼まれ方さえしなければ、 「私、いつまでもやっていきます」ですね。 |
大橋 | そうですね。ただ、それがやがて、 自分だけで楽しむって いうわけにはいかなくなって、 依頼される時も、 条件みたいなものがいろいろと めんどくさいような、細かかったりすると、 自分で遊べないんですよね。 でも、そういう仕事の場合は、 最終的に、私たち、色を塗りますでしょう。 その塗ってるものが楽しければいいや、 ってなっちゃうんです。 |
糸井 | その中でたのしい時間を見つけることにした。 |
大橋 | 見つける。 じゃないと、逆にいうと、 それを私たちも悪いなと思うので、 とにかく一所懸命に相手の意図をくんで、 描くわけですけれども、 せめて、塗るのを楽しもうと思って、 私は塗ってました。 |
糸井 | やっぱりそれも、 ちょっとままごと遊びっぽいですね。 葉っぱを刻んでる時間が楽しければいい、 みたいなことですものね。 (つづきます) |