詫間康二 (たくま・こうじ)
1973年生まれ、山梨県甲府市出身。
詫間宝石彫刻代表。甲州水晶貴石細工の伝統工芸士、
山梨県認定のジュエリマスターでもある。
高校を卒業後、金属加工を学び、
家業である貴石彫刻にたずさわるように。
彫刻作品からジュエリーまで、幅広い制作活動をおこなっている。
加工の技術が土地に残った。
HOBO SIRI SIRI水晶コレクションの
制作を手がけてくださったのが、
山梨県甲府市にある詫間宝石彫刻さんです。
山梨県は「宝石の町」とよばれる
日本有数のジュエリーの産地。
数千年前には、山梨県北部の金峰山周辺から
透明度の高い水晶や白色水晶など、
良質な水晶が採れたことから、
古くから水晶産出の地として
発展してきました。
詫間宝石彫刻の詫間康二さんに、
その歴史についてうかがいます。
「江戸時代、山梨で採れた水晶を京都に運ぶために、
その場で宝石を研磨して、彫刻、貴金属加工をして
運搬するためにここが集積地となりました。
さらに、その場で加工して届けるため、
加工する技術も発展していったんです」。
そのため、ジュエリーにたずさわる職人や工場が
山梨に数多くあつまってくることに。
閉山し、水晶の採掘は禁止になりましたが、
職人の高度な技術は受け継がれ、
歴史や文化がこの土地に残りました。
なので、甲府の人にとって、
水晶は身近な存在なんだそうです。
「最近では、近隣の方が、
『そういえば』と思い出したように
持ってきてくれることもありますね。
それくらいあたり前に採れていた。
僕たちも、家の周りは石だらけで、
めずらしい環境ではないと思っていましたが、
遠くから来てくださった方はおどろきますね。
『そのへんに水晶が転がってる!』って(笑)。
採掘できなくなった今も
集積と加工の技術は残っていて、
国指定の伝統工芸にもなっています。
それくらい素晴らしい技術がここにはあるんです」。
産地によって色味も違えば、個性も違う。
1967年に、父である詫間悦二さんが
「詫間宝石彫刻」を創業し、
息子である康二さんと亘さん兄弟が
伝統工芸士として家業を継ぎました。
「かつては、水晶玉や龍など、
オブジェのような大きな彫刻品が
水晶でよくつくられていました。
やがてその技術が工芸へと受け継がれ、
「用の美」を重んじた、
茶器や数珠など
小さなものを水晶でつくるようになっていきます。
父・悦二も
花瓶や茶碗などをつくるのが得意でしたね。
そこから、さらにさらに小さくなり、
今のジュエリーへと
近づいていったのだと思います」。
バブル期までは山梨の研磨宝飾は順調だったが、
ふたりが仕事をはじめたバブル崩壊後は、
市場は縮小の一途をたどっていたそうです。
「輸入品がどんどん台頭してきたこと、
職人の高齢化など問題は山積みで、
正直未だに解決していないこともたくさんありますが
当時は研磨宝飾産業が厳しい状況でした。
実際に、父親に継ぐことを拒否されましたしね。
ですが、水晶はとてもおもしろいんです。
個性豊かで、おどろきもたくさんあるし奥深い。
とくに僕は、産地が大事ですね。
水晶は採れた場所の土の成分に影響されるので、
産地によって同じ石でも色味も違えば、個性も違う。
名前まで変わってしまうこともあります。
だから買いつけに行くのが大好きで、
年に3回は海外を飛び回っていて。
こんなに行く人は
なかなか居ないかもしれないですね(笑)」。
石をみて、どこをどう扱うと、
どんなインクルージョンが出るのか。
それは宝探しのようなワクワクがあります。
「感覚的ですけど、
いろんなことを考えながら
思わぬ石に出会うのが楽しいですし、
石を丁寧に扱いたいという気持ちがあります」。