フィンランドって、いちばん、
ぼくが「ひいき」をしちゃう国なんです。
最初に訪れたのは2012年のことでした。
映画「かもめ食堂」が話題になってしばらく、
僕の周辺でもフィンランドが
ちょっとしたブームになっていた頃です。
どうしてみんなフィンランドがいいと言うのかなって、
それが知りたくて行ったところもありました。
一度目のフィンランドでは、
ざっくりとしたヘルシンキの観光をしました。
岩の教会(Temppeliaukio Church)を見たりとか、
ヘルカっていう、ほとんどの家具にArtekを使用している
ホテルに泊まったりとか、入門編でした。
次に行った時には、
建築家アルヴァ・アアルトの自邸に行ったり、
ヴィンテージを探したり、
ちょっと深めの旅をしたと思います。
そしていつのまにか、
ヘルシンキという街が大好きになっていました。
この小さな都市の規模のなかで、
デザインのバランスがすごく高いと思ったんですよ。
たとえばミラノもそんなに大きな街じゃないけれど、
普通の生活と、ファッションと、アート、ビジネスが、
明確に分かれている印象がある。
けれどもヘルシンキはもっと「一緒」なんです。
そしてその有り様に、ピュアな感じを受ける。
たぶんそれはフィンランドの人がフィンランドを
すごく愛しているからなんじゃないかなって思いました。
もちろん都市であり国であるわけなので、
ぼくの知らない、「これはちょっとな」という部分だって
あるのかもしれませんけれど、
旅人の特権というか、異邦人の気楽さというか、
あるいはぼくの生来の楽天的な性格ゆえなのか、
「いいところだけを見ちゃう」わけですが、
「みんなが幸せそうだなぁ」って思いました。
じっさい、世界幸福度ランキングでは、
コロナ禍にあっても、
フィンランドが5年連続1位だそうです。
ヘルシンキにいると、人のやさしさも感じます。
それは過剰なものじゃないんですけど、
なんだか見守られているような空気がある。
そこもやっぱり、好きになっちゃった理由の
ひとつだと思います。
ヘルシンキは、都市であって、田舎であってみたいな、
その微妙なさじ加減がいい。
「市内でも、歩いて15分のところに森がある」
というような自然環境もすばらしいんです。
フィンランドの方のお宅を訪ねると、
マリメッコの布でテーブルセッティングをして、
イッタラのグラスで飲みものを出し、
アラビアの器で食事をどうぞ、みたいに、
自国のものでおもてなしを表現するんですよね。
しかも、みんなが、
ずーっと、同じものを使っているといいます。
そのおおもとには
「貧しかった時代のフィンランド」が
あるというのですけれど、
その中にあるぬくもりというか、つつましさっていうか、
それがデザインと共にぼくの中に入ってきちゃった。
「なんてやさしい国なんだろう」みたいな‥‥。
フィンランドのデザインに対して、
フィンランドの人たちが
ほんとに敬意を持っているということを、
今回の取材を通じて、あらためて思いました。
ファッショナブルかっていうと、そうじゃないんですよ。
自分を飾るっていう文化よりも、
デザインが生活を豊かにするっていうことがわかっていて、
つまりは文化の水準が高いっていうふうに
ぼくは捉えたんです。
ファッションの世界で生きているぼくには、
ほんとうにすごいことだなって思えました。
ぼくらも、以前は、
生活の水準を上げるのは、
「高くていいものを揃える」ことでした。
けれども今、とくに若い人って、
日常を大切にするようになっています。
自分たちの目線で集めた好きなもので
家をしつらえる文化が出てきた。
ぼくはそのヒントをフィンランドの暮らしに
求めているのかもしれません。
ぼくらがまだこうつかみきれてない、
今流の豊かさ、今の時代の心地よさが、
フィンランドにはあるような気がしたんです。
人間にとってのちょうどいいサイズ感として、
やっぱりフィンランドは参考になるなと思います。
今回、通訳としてヘルシンキ在住の森下圭子さんが
3日間の滞在中、ずっとご一緒くださって、
ぼくのつたないインタビューを
丁寧に訳してくださいました。
冬の雨が降る毎日でしたけれど、
1月にしてはあたたかな日が続き、
薄い光のなかで雪が溶け、
氷のあいだから水がうまれる景色は、
まるでぼくの好きなフィンランドのガラスのようでした。
知りたかったこと、見たかったもの、
いろんなエッセンスの詰まったその3日間は、
インタビューのコンテンツでお読みいただけます。
たのしんでいただけたら嬉しいです。
フィンランドって、行けば行くほど、
またさらに好きになる、そんなところです。