STAMPSの紙上旅行 フィンランドの光 STAMPSの紙上旅行 フィンランドの光
今回「STAMPSの紙上旅行」に登場する、
あざやかなプリント柄のスカートとワンピース。
そのもととなった絵「日曜日」を描いたのが、
フィンランド、そして日本でも知られている
アーティストのマッティ・ピックヤムサ
(Matti Pikkujämsä)さんです。

マッティさんを紹介してくださった
Kaunisteのミッラさんといっしょに、
ヘルシンキ市内にある
マッティさんのアトリエを訪ねました。
「聞きたいことが山ほど!」という
STAMPSの吉川さんによる、
熱いインタビュー、どうぞおたのしみください。


<マッティ・ピックヤムサさんのプロフィール>

Matti Pikkujämsä

アーティスト、イラストレーター。
1976年、フィンランドのリミンカ生まれ、
ヘルシンキ在住。
へルシンキ芸術デザイン大学(現アアルト大学)の
修士課程を卒業後、イラストレーターとして独立。
フィンランドの大手新聞社「Helsinki Sanomat」や
雑誌などの挿絵、また20冊以上の絵本の絵を手がける。

2013年、児童書に貢献した
イラストレーターに贈られる児童文学賞
「ルドルフ・コイヴ(Rudolf Koivu)賞」を受賞。
2015年にフィンランド国家イラストレーション賞、
2019年にThe Illustrator of the Yearを受賞。
描く世界は、自然、クラフツマンシップ、
日本の美意識にインスパイアされており、
多彩な表現でも知られている。
1998年以来、毎日スケッチブックに絵を描き続け、
ヘルシンキでの個展を数多く開催、
日本では2013年10月にはじめての個展を開く。

日本語版の著書(共著)に
『Cup Of Therapy いっしょに越えよう:
フィンランドから届いた疲れたこころをときほぐす
112のヒント』(小学館)

『まねっこ おやこ』(ブロンズ新社)
『めとめがあったら』(ブロンズ新社)がある。
Samuji、Lapuan Kankurit、Marimekko、
Kaunisteなどで生地のパターンデザインも手がけ、
キッチンウェアやファッションアイテムも注目されている。

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はじめまして、マッティさん。
写真
吉川
マッティさん、こんにちは、
お休みの日(日曜日)なのに、ありがとうございます。
このアトリエ、たくさん作品がありすぎて、
目がクルクルしちゃいます(笑)。
マッティ
いくつくらい作ったか、
ここにあるのか、まったく覚えていないくらいです。
吉川
作品だけじゃなく
いろいろなところと組んで
商品化されたものもたくさんあるんですね。
マッティ
ラプアン カンクリ(Lapuan Kankurit)という
天然素材のテキスタイルメーカーと組んだり、
カードはケフボラ・デザイン(Kehvola Design)
っていうフィンランドの
ペーパーグッズのブランドのもので、
マルカ(markka)という神戸の雑貨屋さんでも、
いろいろなアイテムを扱ってもらっています。
今回の吉川さんからのお話、
僕もとても嬉しくて。
なにしろ洋服の生地を、
ずっと、やってみたかったから。
12歳のときからマリメッコのテキスタイルを
集め始めていたくらい、好きなんですよ。
吉川
そうだったんですね!
写真
マッティ
子どもの頃から、テキスタイルについての本も
買って読んでいました。
その後、グラフィックデザインを学んだんですが、
テキスタイルデザインにもずっと興味があって。
吉川
小さい頃は、テキスタイルだけを
集めていたんですか?
マッティ
いえ、テキスタイルだけじゃなくて、今に至るまで、
いろいろなもの‥‥たとえば
ヴィンテージの陶磁器も、たくさん集めていますよ。
梱包したまま倉庫に取ってあるものもいっぱい。
吉川
そうなんですね。
マッティさんって、どうぶつなど、
かわいいキャラクターを描く人だというイメージが
僕の中にずっとあったんですが、
今回、ロカル(LOKAL=ヘルシンキのギャラリー)での
個展「Matti Pikkujämsä: Variations」
拝見してびっくりしたんです。
僕の知っているマッティさんとは、
画風がすごく違うぞ、って。
とくに、森を描いたシリーズが素晴らしくて、
僕、「Metsä (IV)」(森 No.4)という絵を
買うことにしました。
マッティ
ありがとうございます。
写真
吉川
マッティさんは、画風はひとつ、じゃないんですね。
マッティ
自分の中で、たゆまず動き続けている感じなんです。
僕は何よりもまず鑑賞者として観ることが大好きなので、
「ああ、いいなあ」という、
その好奇心とか、楽しいなって思ってる気持ちが、
ずーっと動いているから、
それが作品として出てくるんだと思います。
吉川
へえーっ。
マッティ
もちろん、僕の名前を知ってもらう
きっかけになったような独特のスタイルもあります。
ただ、僕は自分に制限をつけたくなくって。
フィルターのない状態の自分で描き続けたい。
そして、1つの作品を描き終えると、
それが次のスタイル、次の動きを、
自分に与えてくれるんですよ。
だからどんどんバリエーションが増えるんだと思う。
描いているうちに、
「あ、ああいうこともあるな」って。
つまり、自分の描いた作品が
次の自分を作ってくれてるっていう感じですね。
吉川
すごい! クリエイションが溢れてくるんですね。
マッティさんって、小さな頃、
どんな環境で育ったんですか。
どんなふうにして絵描きになったんでしょう?
マッティ
紙とペンがいっぱいある家でした。
でも、両親は全然アーティスティックではなかったんです。
でも母は保育士で、保育園で働いていたから、
子どもが絵を描くことが好きだ、
ってことはわかっていたと思います。
あと、おじが製紙工場で働いてたので、
紙がいっぱいあったんですよ。色紙とか。
それで、妹も絵を描くのが大好きだったので、
2人でずーっとお絵描きをしてました。
ただ、子どもの頃に絵を描くって、
みんながやってることじゃないですか。
他の子どもよりたくさん描いていたとは思うけれども、
特に得意だとは思っていなかったんですね。
そんな環境のなかで自分が変わったのは、
学校で先生が褒めてくれたのがきっかけでした。
はじめて「僕は絵を描くのが得意なんだ」って。
写真
ミッラ
そういうものですよね。
私も小さい頃から裁縫が得意で、
学校では家庭科が好きでした。
とくにテキスタイルの授業がすごく得意でしたから、
それがそのまま職業になっていったんだと思います。
マッティ
そういうことってありませんでしたか? 
赤い糸、じゃないけれども、
自分をこうずっと引き寄せてくれるようなことって。
すごく不思議なんだけれども‥‥。
吉川
ありますよね。
ちょっとした道の分かれ道で、
誰かが手招きをするみたいに、
「こっちじゃない?」みたいなこと。
マッティ
僕が生まれ育ったのは、
リミンカ(Liminka)という、とっても小さな町なんです。
オウル(Oulu)ってわかります?
吉川
はい、ヘルシンキの北、ボスニア湾に面した
フィンランド中部の都市ですよね。
行ったことはないんですが‥‥。
マッティ
そのオウルの近く、ちょっと南側です。
決して大きい町ではないはずなのに、
なぜか、小さい頃から、
いろんな情報が自分の頭に入ってきていて、
中学生のとき、通っていた絵のクラブで
指導教官と進学について話したとき、
「グラフィックデザインをやりたい」って、
はっきり言っているんです。
吉川
中学生で?!
マッティ
中学生で。
むしろ先生の方がよくわかってない状態で、
「君の望む進路について調べたんだけれど、
志望者の2、3パーセントしか進めないらしいぞ」
みたいなことを言われました。
「そんなだったら、美術の先生になった方がいい」
とも言われたんですけれども、
「いや、自分はグラフィックデザインに行く」。
どうしてそうなったかはわからないけれども、
とにかく小さい頃からすでに、
はっきりとそういう情報を自分の中で持っていました。
その頃から、今やってるようなことと
同じことをやっていて‥‥、
たとえば、地元の図書館の美術書の部屋があったんです。
その部屋の中でピカソの評伝を読むとか、
ガラスの器についての技術書だとか、
フィンランドのメーカーである
マリメッコやアラビア(製陶会社)のことを調べるとか、
そういう本を、ずーっと読み続けていました。
写真
吉川
へえーっ。もう、感心しかないです。
どんな感じの子だったんだろう、マッティさんって。
マッティ
中学生、高校生くらいのときに、
「1960年代がかっこいい」って思って、
そのスタイルをしていましたよ。
友達に60年代の音楽が好きなのがいて、
いつも一緒に出歩いて、
その頃の古着を買ってはリメイクして着たり。
吉川
マッティさんって何年生まれでしたっけ。
マッティ
1976年生まれです。
吉川
僕より11歳下‥‥なるほど、
その世代の子がティーンで60年代文化にハマるって、
なかなか珍しかったでしょうね。
じゃあちょっとサイケっぽい格好をしたり? 
マッティ
そう! パンタロンを穿いたり、
プラスチックのレインコートを着たり。
髪形は当時のビートルズそっくりにしてました。
それが「他の人たちとは違うんだよ」っていう、
自分たちの意思表示だったんです。
もともとはすごくシャイで、
学校でいじめられた経験もあったので、
そこから自分を解放したかったんですね。
「僕はこういう人間なんだ」っていうことを
きちんと見てもらいたかった。
自由が欲しかった。
そして、手に入れた自由を、すごく楽しんでいました。
写真
吉川
描くことを、ずーっと続けながらですよね。
そして、美術の専門教育は受けられたんですか。
マッティ
はい。高校を卒業して最初の1年間は、
ラハティ(Lahti)という町にある
応用化学大学のデザイン学科に通いました。
というのは、直接ヘルシンキ芸術デザイン大学に進むのは、
先生に言われた通りの狭き門で、
やっぱり2、3パーセントの学生しか入れないと知って。
きっとストレートにそういう学校に進む人は、
きっと美術系の高校から行くんだろうな、と思ったんです。
だから自分の気持ち的に、これで大丈夫! 受かる! 
と思えるようになるまでに、
1年かかった、ということです。
吉川
なるほど。
マッティ
僕が行きたいデザインの大学はヘルシンキにありました。
もちろん入れるかどうかわからないわけですが、
自分の中では、この1年が終わったら、
もうヘルシンキに住むんだと決めていたんです。
その大学に入るには、
ドローイングだったり、デッサンだったり、
コンポジション、ストーリーテリングなど、
最初の課題がいくつかあって、
それをまずクリアしなくちゃいけなかったんですね。
吉川
ストーリーテリングって?
マッティ
ストーリー性を構築できるか、ということですね。
最初の審査は、
そういういくつかの課題を郵送して行われました。
それが第1次審査で、それに受かった人だけが
第2次審査に進み、その試験は3日くらいかけて行われ、
そこからまた半数に絞られて‥‥。
吉川
生き残れるか、みたいな試験ですね。
たいへんだったでしょう。
マッティ
全部、楽しかったですよ!
怖がることもなかったし。
そして、最終試験にも合格しました。
吉川
おおーっ!
ミッラ
マッティの行った学校は、
ほんとうに狭き門なんですよ。
落ちても次の年またトライするとか、
あきらめて別の大学に行く人も
結構たくさんいます。
すごく人気の大学です。
今、アアルト大学って言われているところです。
写真
マッティ
当時はヘルシンキ芸術デザイン大学、
略称「TAIK(タイク)」といいました(*)。
(*)ヘルシンキ芸術デザイン大学は2010年に
ヘルシンキ工科大学、
ヘルシンキ経済大学と合併し、
アアルト大学と改称されました。


僕が通っていた校舎は、アラビアの製陶所の近くで、
そこに行くとたまに
器を安売りしてることがありました。
そのときに、カルティオ(Kartio=イッタラのガラス器。
カイ・フランクのデザイン)を、
春に1個、秋に1個というふうに買ったりして。
こういうものは絶対にカイ・フランクじゃなきゃ
いけない! って思ってました。
2023-04-10-MON
フィンランドのイラストレーター / アーティスト、
Matti Pikkujämsä(マッティ・ピックヤムサ)が
インテリアブランド
Kauniste(カウニステ)のために描いた柄をつかって、
ワンピースとスカートをつくりました。
愛嬌たっぷりのイラストがたのしめるキッチンクロスと、
1点ものの壁掛け作品もどうぞ。
写真
STAMP AND DIARY + ほぼ日

日曜日のワンピース

28,600円(税込)
写真
STAMP AND DIARY + ほぼ日

日曜日のスカート

26,400円(税込)
写真
Lapuan Kankurit

マッティのキッチンクロス

2,970円~3,850円(税込)
写真
マッティのウォールピース

46,200円~48,400円(税込)