※掲載したときに反響の大きかった2013年の記事を再掲載しています。
100年前の感情まで、伝わってくる。
ある日、一通のメールが届きました。
そこには「100年前の手帳」について、書かれていました。
短いメールではありませんでしたが、
内容、添えられた写真ともにたいへん興味深く、
「ほぼ日」の手帳チームはもちろん、
読んだ全員がわくわくさせられました。
書かれていたのは、
100年前のイギリスでひとりの婦人が使っていたという
1日1ページの手帳について。
送ってくれた読者のフィドルマムさん(ペンネーム)の
「たまたま借りたものですが、
見ていたらほぼ日手帳のことを思い出したので」
というひと言から、そのメールははじまっていました。
以下、ちょっと長いですが、お読みください。
この手帳の持ち主は、
いまからおよそ100年前のイギリスを生きた
オックスフォードの学者さんの奥様です。
途中3冊ほど抜けていますが、1901年から1918年までの手帳です。
読んでみると、
毎日書き込みがあるわけではないのですが、
たいてい月曜日には、食料品の買い物と代金のメモがあります。
また、息子さんが寄宿舎から帰ってきた日、
寄宿先にもどる電車の時刻、
誰とお茶とかチェスをした、などが淡々と書かれています。
こう思った、などの感想はまったく書かれていませんが、
けっこう頻繁にあるお茶会やディナーの記録から、
その優雅な生活の様子をうかがえます。
(たとえばこちらは1901年の手帳。
左ページの7月2日は、ティーパーティーの準備、
右ページが翌日3日で、ガーデンパーティー4-6時。
パーティー続きだったせいなのか、
同じ日の下にはHeadache (頭痛)とかかれています)
しかし1915年の夏。息子さんが戦死されます。
8月30日のページに、
「War Office(陸軍省)から、2時15分にテレグラム来る」
とあります。
それからしばらく、書き込みはなくなります。
月曜日の買い物の記録もなくなり、
「だれそれが来た」とだけあるので、
その人にお使いなどを頼んでいたのでしょうか。
空白からもなんとなく、その頃の空気が読めてしまいます。
ですがその年の10月、
彼女は赤十字のボランティアとしてフランスに渡っています。
このご婦人は頭のいい、お嬢様育ちの女性だったと思うのですが、
息子さんの戦死後、戦地に出向いていくほどの
強い意志をもったかただったことがうかがえます。
そして10月30日には「Hot Bath(熱いお風呂)」のメモ。
熱いお風呂は100年前のイギリスでも、
書き留めておくだけのイベントだったんですね。
メールの中でフィドルマムさんは
こんなふうにおっしゃっていました。
「こんな日常の断片でも空白でも、
つづけることで、残すことで、
歴史やその人のパーソナリティーを、
違う断面から垣間見れるような気がします」
「‥‥ひょっとしたらだれかのほぼ日手帳も
こんなふうに100年後、見知らぬ外国人が見て
いまの時代に思いを馳せたり、
共感することかあるかもしれないじゃないですか」
100年前、イギリスに暮らしていた女性から、
手帳を通じて、わたしたちに伝わったもの。
そして、ひょっとしたら、わたしたちの手帳から、
未来の見知らぬ誰かに伝わる、なにか。
おおげさかもしれませんが、
日々の生活を書きとめる手帳は
たとえ走り書きのメモの集積に過ぎないとしても、
時と場所を超えて、なにかを残し、なにかを伝えてくれる。
そんなポテンシャルを秘めているのかもしれません。