糸井 | 井上先生のお話をきいていると、勇気がでます。 思い当たるんですよ、 例えば、この間、眠かったのに映画に行ったんです。 3時間以上の映画だったので、 これ寝ちゃうかなと思ったんですけど、 とんでもなくて、 すこしは退屈なシーンもあったのに、 起きていられたんですね。 「おれ、このごろ睡眠不足だなあ」なんて、 まったく思わずに。 |
井上 | 結局、脳の活動が 睡眠の信号を上回るほど高ければ、 睡眠のほうが引っ込んでくれるんですよ。 引っ込ませようなんて思わなくても、 脳自体が、そういうレベルで活動して、 遠慮してくれる。 それほど、睡眠というのは 適応力が高いわけですね。 |
糸井 | 劇場で寝ちゃうときというのは、 「寝てもいい」と心の奥で思ってますね。 正直言って、「寝たらまずいぞ」という場面で 寝たことは、やっぱりないですね。 |
井上 | それは自己管理が、お上手なんですよ。 |
糸井 | そうでしょうか。 寝不足かどうかで、 ちょっと自分で催眠術かけているところもありますが、 「寝ちゃうかな」と思って出かけることは いっぱいあっても、 じっさいに寝ちゃってるときというのは、 やっぱり寝ちゃってもいいときですよね。 |
井上 | そうでしょうね。 そういう素直な態度で臨めば かなり睡眠というのは、 従順に仕えてくれるはずなんですね。 |
糸井 | それを肯定できるかどうかですものね。 歌舞伎では、たいていの男の人はコックリしてて、 女の人が起きていますね。 あれは、女の人は、楽しいんですよね。 「きれいねぇ」っていう褒め方があって。 男はやっぱりストーリとか考えるから、 遅々として進まぬストーリーに 寝てもいいかなと思うわけで、 女の人は、着物がきれいだとか 絶えず違う情報を受け取ってますからね。 「甘め」というのは、大きなキーワードですね。 |
井上 | そうですね。 |
糸井 | それは睡眠だけじゃなくて 役に立つ言葉だと思います。 先生、ご自分に、甘いですか。 |
井上 | 甘いですよ。 「今日は、これでいいや」という感じですね。 |
糸井 | お若いときの病気の体験が、やっぱり よく作用してるということですか。 |
井上 | そうでしょうね。 結局、それがどのくらいの因果関係かわかりませんが 結局、眠りをうまく取ってりゃ自分でなんとかなると。 医者なんかに行ってあれこれやられるより、 よっぽど、こっちの方が効くなという 実感を持ってるわけですね。 自分が調子悪いなと思ったら、 医者なんかに行ったり 薬飲んだりするよりも、 自分で寝ちゃった方がいいや、 何もしないで、という方がよっぽと有効。 それは一種の誤解なり信仰かもしれませんが、 結果的にそれでしのいでる。 お医者さんには申し訳ないですけど そういう「逃げの術」ですね。 |
糸井 | 自分のやり方なわけですね。 いまの話でおもしろかったのは、 「信仰かもしれませんが」 と、ご自分でおっしゃってて、 いわゆる科学者の態度としては、 信仰なんだろうか、信仰じゃないんだろうか、 というふうに、さらにかぶさって 追求していくようにも思えたんですけど。 |
井上 | いまの科学が、一番弱いのは、 平均値しか見ないということなんです。 個人差とかね、 生き物の本質的なところは 「みんな違う」ということなんです。 DNAがみんな同じじゃないんです。 クローンじゃないんですよ。 いや、クローンだって、個性が出てくる、 違ってくるんです。 要するに、多様性っていうんですかね 個別性がね、生物のほんとに大事になところなんですね。 ところが、それは、数式に乗らないでしょ。 だから平均値で代表させて、 これはこういうものだと言う。 データを1000個集めると、 それの中で一番多い集団はこのへんになって、 平均をとると、ここへ来るという、 そういうことで、再現性があるということで、 議論が進むわけですね。 だけど、ここにいるこの人が 不幸なのか不健康なのか、 ということは、問題にできないわけですね。 だからあくまで平均的なレベルで議論しちゃう。 結局、いまのサイエンスじゃ、 そこを扱えないんですね。 そういう個別性に対して この人の、この人物の、この時点での、 言ってみれば一番いい条件をどうやって評価するか、 ということは、できないから、 言ってみれば十把一からげで管理して、 「血糖値はここからここまでが健康です」と、 そういう言い方しかできない。 それは、結果として正しいやり方かもしれないし、 集団を管理するというやり方においては、 それしかできないかもしれませんが、 その集団の平均的存在でない人間にとっては、 非常に迷惑なことなんですね。 |
糸井 | うーん! |
井上 | だから、結局、 自分の平均像を自分が知ってなきゃいけない。 |
糸井 | そういえば、前に吉本隆明先生が 病院に通いながら、 言い方は失礼ですけど、 「下っ端のお医者さんが来ると 数字でああでもない、こうでもない うるさいことばっかり言ってるんだけど、 昔から知ってる上の先生は 『あ、そうですか』と言って おしまいにしちゃうんだよ」と。 「そっちの方がやっぱり信頼できるから、 患者として自覚しているんだ」 という話をよくなさってた。 「うるさいこと言うヤツはみんな 責任逃れだ」という言い方、 患者としてね、してました。 つまり、 「わたしはここで注意したんですけどね」 っていう話をしてるだけだから、 意味はないんだと。 「それは、オレの命だ」というところがあるし。 もうひとつは、長生きの先生がいるじゃないですか。 日野原重明先生。 日野原先生が、食べ物のことで、 「よく噛めば、おかゆと同じですから」 という言い方を ご自分の食事についてなさっていたんです。 感動したんですよね。気持ちのいい驚きでした。 「おかゆを食べなさい」という指導はよく聞くけど、 肉でもなんでもいいんですよ、と。 よく噛めば同じですからって。 目からうろこでした(笑)。 それ、ご自分でやってるんですか、 「もちろんですよ」と。 いまの話そっくりで。 |
井上 | そうですか。 結局そうなんです。 ですから、あまり表面的な 末梢的なことを気にすると 規格外だと不幸になりますけど、 もっと本質的なところで、みんな違うんだ、 ということが前提にあれば、 それだけでもずいぶん違うわけですね。 硬いもの食べてる人も、 柔らかいものを食べてる人も、 結局最終的にはおかゆにつながってるという、 そういうところさえわかってればいいわけですよね。 |
糸井 | そうですね。 |
井上 | だから、睡眠時間が短いと 嘆く意味もないわけです。 |
(つづきます。) | |
2008-02-25-MON |