糸井 | 睡眠時間を管理しようという発想は、 企業の商品管理のロジックを そのまんま人間に当てはめてると言えますね。 商品管理ですね。 |
井上 | ロボット扱いしてくれてるんです。 規格外のものはもう病人だという、認識。 それか、規格外だと自分が思ってしまって 不幸になってるということですね。 規格外こそ価値があると、 オレは物と違うんだという、 そういう自信が持てないわけですね。 |
糸井 | みんなが占いを喜ぶのは、 ひとつは何かの規格に入りたいという気持ちと、 もうひとつは、いろいろあるっていう喜びを 同時に、味わえるからなんですね。 |
井上 | そうでしょうね。 |
糸井 | 星座だけでも、12に分かれると 少なくとも普段やられてる 背丈やなんかのことよりは 気持ちがきっと「違う」って言えるんですね。 |
井上 | そうですよね。 生まれた日にちにしろ、生まれた年にしろ、 みんな自分の固有のものですから、 他と違うんで、これだということに 安心するわけですね。 |
糸井 | 二重のおもしろさがあるから 占いは流行るんですよね。 今日は、睡眠の話が、 哲学の話になりましたね。 |
井上 | 脱線してしまいましたね。 |
糸井 | ほとんど、眠りを眠り独自として 取り出して考えるということ自体が、 もう、ある意味ではダメなんですね。 ものごと全部そうだと思うんですけど。 |
井上 | 眠ることと、生きてることは同じなんですよね。 生きてることは何かという、 非常に哲学的な問題は、 眠りとは何かということと、 全く同じなんです。 大昔から、眠りに対していろんな人が、 哲学者がいろんなこと言ってますけど、 サイエンスになる以前に、眠りというのは もう太古の昔から、人々が関心をもってたんですね。 それは、サイエンスの言葉で説明できなかったけど、 本質はある程度ついてただろうと思うんです。 非常に哲学的な面で 本質に近いものをカバーしていれば、 それで、よかったんですが、 サイエンスというのは、 そういうものからどんどん 希薄になっちゃってるもののひとつだと。 |
糸井 | 解体してますよね。 |
井上 | そうなんです。 分析がいきすぎましてね、 その分析結果をもとに、規格を作って 「ロボット、かくあるべし」というような 数式ができてしまったから、 よけい眠りを忘れてしまった、 ということでしょうね。 |
糸井 | 他のジャンルの専門の領域も 全部そういう傾向がありますよね。 不自由にして自分を苦しめて、 新しい商品やら、 その仕事に携わる人が増えていくから、 法律の解釈をめんどくさくして、 官僚が増えていくのと同じようなことが 起こってますよね。 |
井上 | それが行き過ぎてるから 地球まで壊しかけてる。 とこまで行き着くでしょうね。 飛躍が激しいですけどね。 そういう発想自体が非常に危険なとこに来ている、 ということは確かだと思いますね。 |
糸井 | それを突破するのは「甘め」、 ということですね。 |
井上 | そうです、そうです。 もっと言いますとね、 生き物に戻れということでしょう。 そうすると、もっと甘くならざるを得ない。 いろんな状況に応じて、命さえ保てれば これでいいんだという、 そういう最低のとこまでいくでしょうね。 それで、いいと思うんですよね。 |
糸井 | 「甘め」というのは、 言わば遊びのお話でもあるし、 しょうもないと人が思ってることの 無駄の話でもあるし、 そこまで全部光と影の関係みたいに キラキラ、キラキラ、 裏表になって人生だよというような、 ほとんどお坊さんの話みたいになってますね。 |
井上 | ははは。 |
糸井 | そういう考えは 先生は若いときからお持ちだったんですか。 |
井上 | そうですね。 わたくし医者じゃなくて、 理学部の卒業なのですが、 理科へ行って偉い先生の講義を聴いたら、 なんで、こういう、枝葉の末梢の 最先端のことだけ一所懸命やって、 全体の根元のほう見ないんだろうと。 要するに、最先端の学問って、日本じゃ、 もう枝の最先端しか扱わないんですね。 全体の根元まで見るような、 そういう見方ができないような、 そういう育ち方してる人ばっかり。 それが非常に不満だったんです。 「もっと、さかのぼって本流からスタートして、 そこの意味をつかまなきゃ」というようなことは、 常に偉い先生方の講義聴きながら思ってましたね。 人は、休んだり、働いたりということが 繰り返されないと、 自力で生きていけない装置なんだということですね。 それがダメになるので、 次世代を作って次の世代へ命をつなぐ。 そこが、本質的に、 非常に生き物が生き物らしいとこだ、 ということは、学生の頃から思っておりまして、 そういうことを全部カバーした上で、 自分なりの研究を展開しようという姿勢を 持っていましたけどね。 ただ、そんなことは、 どこでも主張できることじゃなくて そんなことを発表したら、 もう、おかしなやつだと‥‥ |
糸井 | 言われますよね。 |
井上 | 頭がおかしいと思われるくらいですからね。 最先端の、先の先のところに、 ちょびっと付け足すようなことを、 学会では、論文に書いて 発表したりするわけだけれど、 日本はその先端の先端だけで、十分なんですね。 だから、あまりこういう議論をするとね のってくる人は、文科系の人は 議論には加わるけれど、 我々の同類と言いますかね、 同業者は、そんな退屈な話には 付き合えないというのが、 ほとんどですね。 |
糸井 | はぁ、そういうものですか。 まあ、そのほうが 自己の能力を発揮しているような気はしますものね。 |
井上 | そこを考えるのは、無駄だと。 そんな時間あるなら、こっちやらなきゃと、 そういう功利的なことでしょうね。 本来そっちが栄養になって、こっちが出てくるんだ、 ということの方が大事だと思うんですね。 そういう意味で睡眠というのは、 休みながら、言わば充電してさらに活動するという、 そういう発想を持ち込まない限りは、 より現象を正確にはつかめないだろうと。 ただそれは評価される問題じゃないですから、 そこへエネルギーつぎ込むのは無駄だ、 損だということの方が現代的ではあるでしょうね。 ただこっちは、また昔話に戻りますけど、 高校生のとき1年間、 寝たまま本を読むしかなかったから、 結果としていろんなことを自分なりに考える 充電期間が非常に長くあったわけですね。 受験勉強なんかですり減らずに済んだ分だけ、 それがいまになって、ある程度 つながってるかなという気はしますね。 |
糸井 | それが大きくつながってるような気持ち、 ほんとに幸福感がありますよね。 研究なさってた睡眠と 高校生のときに考えていたようなことが つながってますよね。 |
井上 | 幸福かどうかわかりませんけれど、 いま、そういう意味では、なにしろ、 ちゃんと寝てればいつ死んでもいいやと いうような(笑) そういう気分で毎日生きていられるということは ありがたいと思ってはいますけどね。 そういう意味じゃ、 人と同じような発想しないし、 ひねくれじじいになっちゃったけども、 その自分自身の管理は自分でやって、 自分で勝手なことをできるだけ、 幸せなことだなという、 そういう感じはします。 |
(つづきます。) | |
2008-02-26-TUE |