周防 | ぼくは『Shall we ダンス?』の企画をはじめる 1年前に、モスクワのボリショイ劇場で 『ジゼル』を観ました。 そのときに客席で寝ちゃって、 「あぁ、ぼくは人生でバレエを観ることは 二度とないかもしれない」 と思って、劇場を出ました。 そうしたら、その1年後に バレリーナをキャスティングして 映画を作っちゃった。 |
||
糸井 | だけど、そうやってちょっとずつは バレエに近づいていたんでしょう? |
||
周防 | いえ、そのときモスクワに行った目的は、 バレエじゃなくて、全く違う取材のためです。 ボリショイ劇場に行ったのも ほとんどまぁ、観光です。 |
||
糸井 | 取材を兼ねて、知識として。 | ||
周防 | はい。まさか、いまは寝ませんよ。 『ジゼル』ってこういう踊りだったんだ、 ということがわかって、 それから何回も観ています。 |
||
糸井 | だけど、その「おもしろいスイッチ」が 入ることさえわからないで、 一生が終わっちゃうことも、ありえますよね。 |
||
周防 | ありえます。 特にクラシックバレエのスイッチには、 なかなか出会えないかもしれない。 バレエはすぐ傍らにあるんですけどね。 だいたい、幼い頃は 女の子の友だちが習っていたでしょう。 |
||
糸井 | クラスに何人かいましたね。 | ||
周防 | 少年野球をやっていた子どもたちが 大人になってプロ野球を観ることを考えたら、 普通のバレエ公演にも もっと人が集まってもいいんじゃないのかな。 「昔やってたんですよ」とよく聞くわりに、 みんな意外に観に行ってなかったりする。 「バレエって、習い事」で終わっているんです。 バレリーナというのは習い事の先生ではなく 「踊りを舞台でみせる人たち」なんだ、 ということを実感できてないのかもしれない。 |
||
糸井 | 習ってた子は そんなに観なくなっちゃいますか? |
||
草刈 | 自分が昔「やってた」ということだけだと、 ひんぱんには観に行かなくなっちゃうかも しれません。 |
||
糸井 | うーん、すばらしいものに触れなくても、 バレエを終わりにしちゃえるんですね。 そろばんを習うように、 機能として「できた!」という気に なっちゃうんでしょう。 |
||
草刈 | そうですね‥‥、というよりもね、 たいがいの人が「できた感じ」を 味わってないと思うんですよ。 |
||
糸井 | そうなの? | ||
草刈 | 自分には合わないとか、 別のことをやったほうがいいんじゃないかとか、 そういうことでやめていく人のほうが 多いと思います。 だから、たぶん 「子どもの頃は習ってたんだけど」 というところで止まって 「できた!」という感じをつかんでる人はいない。 |
||
糸井 | ははぁ、そうか‥‥では、 「できない感じ」でやめるんですね。 |
||
草刈 | そうなんです。 バレエって、続けるのがすごく大変なので、 習ったことのある人は、 まずその大変さはわかっています。 |
||
糸井 | 「大変だなぁ」ばっかりはわかっちゃう? | ||
草刈 | そう。 まずそれがわかるから、けっこうつらいんですよ。 「バーにつかまって 手を広げた形を取るだけでもすごくつらい」 って‥‥うちの妹は言って、 「なんで私がこんなことしなきゃいけないんだ と思ったら、 お稽古に行きたくなくなっちゃった!」 と言ってやめました(笑)。 |
||
糸井 | 妹はそうだったんだ。 | ||
草刈 | 結局は、そのつらさが 「適正かどうか」なんだと思います。 私はそんなの当たり前だと思ってました。 全然つらいと思わないし、 多少難しくてできないとか、 ちょっとつらいことが歓びだったりしますから。 大変なことをやればやるほど おもしろいと思えました。 |
||
糸井 | かっこいいなぁ。 それは8歳の頃? |
||
草刈 | そうですね、小さいときも、いまもそうです。 そういう肉体的苦痛が苦手な人は バレエには向かないので、 そこで適性がわかっちゃう。 |
||
糸井 | 草刈さんは子どものときから すごい時間をバレエに費やしているでしょう? 何年間なさっていたんですか。 |
||
草刈 | 36年です。 この映画がほんとうの最後の最後で、36年。 |
||
糸井 | 小さい頃の楽しい遊び時間や ぼーっとするだらけの日々、 そこで友だちに「じゃあね」と言って バレエをやるわけでしょ? |
||
草刈 | そうですね。5年生ぐらいから ずーっと毎日、稽古しているんですが 全然平気でした。 友だちと帰る方角が違うとか、 一度家に帰ってからすぐ出るとか、 そういうことは当たり前だと思っていました。 むしろ、そういう生活をしてる自分が 誇らしいと思っていたところも あったんじゃないでしょうか。 他の子とは違うということをうれしいと感じる、 私はおそらくそういう性格なんでしょう。 そういうほうが、 自分を支えているという感じがして、 合っていたみたいです。 |
||
糸井 | 子どもとは思えない、その独り立ちぶり。 | ||
周防 | 草刈に、どれほど「プロ」という 意識があったのかわからないのですが、 習いはじめてすぐの頃、すでに 「私は将来大きくなって舞台で踊るために いま訓練しているんだ」 という意識だったと言うんです。 おそらく、プロ野球選手でも そういう人がいると思います。 ああ、「そう思えちゃう人」っているんだなぁ と思いました。 |
||
糸井 | うん、いるいる。 つい先日、(立川)志の輔さんと しゃべったときも、そういうことを思いました。 志の輔さんも、極限に近いような落語の取り組みを これまで何度もやっています。 そうか、この人は、 自分が落語をやってるんじゃなくて、 落語がこの人を選んじゃったんだ、と思いました。 草刈さんもまさしく、 「バレエがおまえを選んだ」という気がするし。 |
||
周防 | うん、そうですね。 |
||
糸井 | 悪く言えば‥‥いちばん悪い言い方をすれば、 それは、奴隷なんですよ。 |
||
草刈 | ええ。まさにそうです。ダンサーは多いですよ。 上に行けば行くほどそうです。 そうでないとまず体が作れません。 全身をさらして踊るので、 「バレエの奴隷」くらいじゃないと、 舞台に立ってお客さまを引っ張り、 周りのダンサーを引っ張る、という 存在にはならない。 「あ、これはすごい」と思うダンサーは ほとんどそうです。 |
||
糸井 | 自分が選んでるという程度だったら、 いつでもやめることができますからね。 むこうからつかまえられないとね。 |
||
草刈 | そうですね。 ‥‥でも、結局、 すごい人はみんなそうだから、 そういうものなんだと思っています。 |
||
糸井 | 踊り全体に、そういう人が多いんでしょうか。 | ||
草刈 | とにかくストイックですね。 バレエダンサーは最もストイックな人たちだと よく言われます。 男性も、足の形がきれいじゃなければだめだし。 足先をどうやって伸ばせばきれいなのか、 鏡見ながら毎日毎日、 子どもの頃から稽古してるんです。 美意識のあり方が ちょっと違うのかもしれませんね。 役者さんは鏡があると稽古しづらいと 聞いたことがありますが、 私は、8つのときから毎日 鏡いちめんの場所に立ってたので、 全身さらされてもあまり気になりません。 |
||
糸井 | いつも360度の鏡ですね。 | ||
(つづきます) | |||
2011-06-24-FRI |