郡山ブランド野菜とは。
──
鈴木さんが、野菜づくりをはじめたのは、
家業を継がれた、ということですか?
鈴木
いえ、もともと、うちは米農家でした。
大学を出たあと、
「大規模稲作経営」をやりたいと思って、
郡山に帰ってきたのですが‥‥。
──
ええ。
鈴木
そのころ、ちょうど「減反政策」があり、
将来的に、
米の値段は下がるだろうと言われていて。
事実、私が農業をはじめたころは、
お米一俵「2万2千円」くらいでしたが、
今では、安くて「8千円」とか。
──
実際、3分の1くらいになってしまった。
鈴木
そうなるだろうってことが、
そのころからもう、わかっていたんです。
──
何年くらいの前のことですか?
鈴木
30年前ですね。80年代の半ば。
──
で、野菜農家に転身された。
鈴木
そうですね、野菜づくり‥‥それも、
自分でつくった野菜を、
お客さんに直接売る商売をやりたいなと。
──
では、そのころから、
個人ブランドでやっていこうという、
今につながる気持ちが、あったんですか。
鈴木
個人ブランドという意識まであったかは
わかりませんが、
直接お客さんに売りたいと思ってました。
というのも、
私、東京農業大学を卒業してるんですが、
学生のときに、
いい白菜がたくさん穫れたことがあって。
──
ええ。白菜。
鈴木
市場に持っていったんです、トラックで。
荷台いっぱいに積んで、喜々として。
通常、農家が農産物を市場に持っていくと、
競りにかけられて、
次の日に、代金をもらえるんですけど‥‥。
──
はい。
鈴木
そのときの白菜は、
ひとつ「5円」にもならなかったんです。
──
5円‥‥以下? いい白菜なのに。
鈴木
そう、1個2円とか3円。
なぜかというと、
自分の畑で出来がよかったってことは、
まわりの畑でも、
同じように、出来がよかったからです。
──
なるほど‥‥。
鈴木
たぶん天候が良くて、
だから、どの畑でもよくできちゃって、
家庭菜園レベルの農家も、
食べきれない白菜を市場に持ち込んだ。
──
ええ、ええ。
鈴木
その市場で野菜を買うお客さんの数って
だいたい決まってますから、
一気に需要が飽和、供給過多になった。
そうすると、競りにならない。
誰も買わないから、2円や3円になる。
──
トラック1台で‥‥おいくらに‥‥。
鈴木
1000円にもならなかったくらいです。
500個くらいの白菜が。
──
わー‥‥。
鈴木
その経験があったので、
農協に出したり、市場に出したりせず、
自分でお客さんを見つけて売ろう、と。
──
なるほど。
鈴木
当時、うちのまわりには、
家がたくさん、建ちはじめていたんです。
郡山の郊外なんですが、
近所に引っ越してきたみなさんに、
「鈴木さんちのトマト、売ってください」
とかって、よく言われてたんです。
──
ええ。
鈴木
まず、無人販売所を家の前に出しました。
ただ、テーブルに
穫れた野菜を10品くらい並べただけのね。
──
では、そこが「原点」ですか。
いまや「300品種以上」の野菜をつくる、
鈴木農場の。
鈴木
そうです。
一般的なナス、一般的なトマト、
一般的なキュウリ‥‥
並べたのも、基本的な野菜だけ。
──
価格は、どうしたんですか?
鈴木
近所のスーパーや八百屋さんに行って、
ようすをうかがってきました。
「え、ナスって、市場に持ってったら、
あんなに安いのに、
なんでスーパーだとこんなにすんだ?
おかしくねぇか?」
とか思いながら、価格調査して。
──
本当に、手探りで。
鈴木
そう、で、それなりの値段をつけたら、
みんな、よろこんで買っていくんです。
──
スーパーで買うより新鮮でしょうしね。
鈴木
やっぱり、こっちのほうが
断然おもしろいなあと思ったんです。
──
評判もよくて。
鈴木
ええ、正直よく売れました。
そのころ直売所なんてなかったですし。
ただ、無人販売ですから
黙って持ってっちゃう人も中にはいて、
これじゃダメだと思って、
自分の店を、つくることにしたんです。
──
ちゃんとお店番のいる、本物のお店を?
鈴木
そう。でも、その場合には
人をひとり雇っても採算が取れるくらい、
品数を揃える必要があった。
そこから本腰を入れて、
野菜について勉強しはじめたんです。
──
今‥‥というか、昔からかもしれませんが、
「農業」には、
いろいろと課題もあると思うんです。
鈴木
ありますね。たくさん。
──
それはたとえば、どのような?
鈴木
細かい問題はいろいろありますが、
大きく言えば「どうやって食うか」です、
やっぱり。
今、「農業をやりたい」という若い人は、
山ほどいるんです。
──
自分のまわりにも、農業に憧れている人、
けっこういます。
鈴木
うちにも来ますから。新規就農希望者や、
「農業を教えてください」という人が。
──
そうなんですか。
鈴木
この間も、農大出身で、
農業をやりたいっていう女の子が
新卒でうちに入ったんですが、
農業を志す人にとって、
問題になるのは、ただひとつです。
「食えていけるのか?」、それだけ。
──
根源的な部分ですね。
鈴木
ほとんど、それがすべてでしょうね。
農業に限らず、
何らかの産業が廃れていくとすれば、
理由は「儲からないから」だし。
──
はい。
儲かってる人は辞めないと思います。
鈴木
そう、そこさえクリアできていれば、
他の問題なんて、たいしたことない。
──
そのために、鈴木さんたちは
「郡山ブランド野菜」をつくったりして、
他との差別化を図っていると。
鈴木
根本的なことを言うならば、
野菜というのが、
おしなべて「安い」んだと思います。
でも、現在の状況がそうであるなら、
どうすれば、値段が高くても
消費者に納得して買ってもらえるか。
──
ええ。
鈴木
高いだけの価値を、創造していけるか。
そこのところについての「意識」を
研ぎ澄ましていかないと、
まあ、食えてはいけないと思います。
──
それが
「野菜」に「ブランド」という言葉が
ついている理由ですね。
鈴木
10アールという面積があります。
昔でいう1反、坪で言うと、300坪です。
日本の農業って、その
「1反、10アール、300坪」という単位で
いろんなことを語り合うんです。
──
へえ‥‥。
鈴木
ようするに、その面積を基準にして
「それで、いくらになるの、この野菜?」
みたいな話になったりするんです。
たとえば、お米で言えば、
1反あたり「売上8万円」くらいが相場。
──
そうなんですか。8万円。
鈴木
私は、郡山ブランド野菜をつくるときに、
「米の10倍は取りたい」と思いました。
当時、米は「1反10万円」だったので、
野菜をブランド化して「100万円」と。
──
それは、ハードルとしては?
鈴木
お米って1年に1作しかできませんけど、
野菜は上手くやれば、
春から夏で1品目、夏から秋で1品目と、
「二毛作」ができます。
つまり1品目50万円売り上げればいい。
ブランド化することができれば、
不可能な数字ではないなと思いました。
──
なるほど。
鈴木
事実、キャベツ1個を
ふつうに市場に持っていったときに、
供給過多の場合は
3円とか5円の世界になってしまう。
でも、郡山ブランド野菜として、
「このキャベツは
冬甘菜(ふゆかんな)という名前で、
甘くて美味しい
郡山ブランドとして売っています」
と言えば、
ひとつ「150円」で買ってもらえる。
──
もう、何十倍ですね。
鈴木
さらに、われわれのブランド野菜は
「いくら以下の価格で販売しないでほしい」
ということを、お伝えしています。
たとえば、糖度13度以上のかぼちゃを
「おんでんかぼちゃ」という名前で
販売しているんですが、
これは「ひとつ最低600円以上」で
売ってください、とお願いしているんです。
──
その条件で、取引している?
鈴木
そう。そうすれば
われわれ農家も「計算が立つ」んです。
農家には「天候」と「価格」という、
ふたつの大きな不確定要素がありますが、
郡山ブランド野菜では、
そのうち、
片方の不確定要素を減らしているんです。
──
価格の面でイニシアチブをとることで。
鈴木
なので、郡山ブランド野菜というのは、
思いの部分を言葉にするなら、
「郡山に住む人たちが、
郡山には
こんなに美味しい野菜があるんだと、
自慢してもらえるものをつくりたい」
ということなんですけど‥‥。
──
ええ。
鈴木
これを、経営的な面から言い換えれば、
「ひとつひとつの単価が、
きっちり決まっている野菜を売って
農業経営をしていきたい」
ということでも、あるんです。
──
なるほど。
鈴木
そのために、同じキャベツという品種でも
「まったく別の野菜」をつくっている。
そういう気持ちで取り組んでいるのが、
私たちの郡山ブランド野菜、なんです。
<終わります>
2016-11-22-TUE
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN