絵本『生きているのはなぜだろう。』
発売記念インタビュー
コンセプトアーティスト
田島光二さん
ふつうの絵を描いていた少年が、ルーカスフィルムに呼ばれてハリウッドで活躍するまでの話。

ほぼ日の絵本プロジェクト第二弾
『生きているのはなぜだろう。』の作画は、
カナダ在住の田島光二さんです。
ハリウッドの映画業界で活躍する
コンセプトアーティストの田島さんは、
『ブレードランナー2049』『ヴェノム』など、
VFX技術をつかった最新作品の多くに関わる
若手トップアーティストのひとり。
ポケモンやワンピースの絵を描き、
マンガ家に憧れていた日本の少年は、
いかにしてハリウッドで活躍する
コンセプトアーティストになっていったのか? 
絵本の発売を記念して、
たっぷりとインタビューしました。

(取材・永田泰大 編集・稲崎吾郎)

第3回才能の覚醒

──小学校、中学校と振り返ってきましたが、
田島さんはちっともハリウッドに
呼ばれそうにありません。

田島そうですねぇ(笑)。

──もう、逆に訊きますが、
将来は絵で、というようなことを、
いつ頃から考えるようになったんでしょう。

田島なんとなく小さいころから
ぼんやり考えてはいたんですけど、
真剣に考え出したのは高2くらい。
みんなそうだと思いますが、
高校2年生くらいになると、
まわりが将来のことを考え出すんです。

──受験のための勉強をはじめたり。

田島はい。まわりがそうなってはじめて、
じぶんも将来のことを考えてみたんです。
まず客観的に考えて、
じぶんの実力でマンガ家になるのは、
とてもじゃないけど無理だろうと。
手塚賞とか見てるとレベルの違いがもう‥‥。

──あぁ。

田島じゃあ、他になにをしようってなったとき、
兄がグラフィックの学校に行ってたので、
なんとなく「そこなのかなぁ」と。
でも、本気でグラフィックに
興味があったわけじゃないし、
かといって勉強ができるわけでもない。
それではじめて現実を知ったというか、
じぶんにはなにもないって気づくんです。
で、まぁ、じぶんの将来に絶望します。

──なるほど‥‥絶望‥‥。

田島けっこうつらかったですね、それは。
ぼく、勉強も運動も苦手だから、
昔からずっと劣等感しかないような
こどもだったんです。
そんなぼくが唯一得意なことって、
絵を描くくらいなのに、
それすらも並のうまさだし、
マンガ家になんて、とてもなれない‥‥。
絶望しましたね、当時は。

──でも、なんというか、田島さんって、
あんまり絶望するタイプには見えないよね。
その、明るいじゃない?

田島ああ、そうですね。
性格は昔から明るいです(笑)。
しょんぼりもしますけど。

──じゃあ、その明るさのまま、
将来に絶望してたの?

田島「うわーー!」とか言いながら
絶望するタイプです(笑)。
うん。実際に枕に顔うずめて、
「わーー!」ってしてましたね(笑)。

──明るく絶望(笑)。

田島なんか、学校って、周りとの差を
だんだん見せつけられる場所じゃないですか。
勉強できる子はできて、
ああ、こいつはいい学校行くよね、って。
で、運動できる子はスポーツでモテて。

──そうですね。

田島だからもう自分は絵を描くしかない。
でも、薄々気づいてたけど、
どうやらそれも無理っぽい。

──好きで、そこそこうまいけど、
マンガ家としてデビューできるとは‥‥。

田島とても思えない。だから‥‥絶望です。

──どうなるんですか。
ちっとも状況が変わらないまま、
高校が終わっちゃいますよ。

田島そんな、ある日。

──おお、そんな、ある日!

田島ある日、高校で卒業後の
学校説明会が開かれるんです。
そのなかに、ぼくが
なんとなくここかなと思ってた
グラフィックデザイン系の学校もあって、
話を聞きに行こうとしてたんですが、
遅刻しちゃって‥‥。
それでその学校の説明会に
出席できなかったんです。

──あらら。

田島そのとき、たまたまというか、
隣のブースにCGの学校があって、
そのときはもう、ほぼ全部の学校が
撤収する雰囲気だったんですけど、
ぼーっと立ち尽くしてたぼくに
その学校の人が
「もしよければ聞いてく?」って
声をかけてくれたんです。
で、ほんと軽い気持ちで話だけ聞きに行った。
そしたら、そこで説明してた人が
「ここで2年勉強した人が、
いまハリウッドで働いてるよ」と言って、
その瞬間に「あ、これだ!」って。

──え、いきなり?

田島はい、いきなり。
もうはっきり「これだ!」と。

──ちょ、ちょっと待って。
いままで絵は描いてたけど、
CGの経験はなかったわけでしょう?

田島まったくなかったです。
なので、その説明会のときに
「ハリウッドに行った人は、
なにか特別な経験はあったんですか?」
って質問したんです。

──うん。

田島そしたら
「いや、とくになんの知識もなくて、
学校で勉強してから行きました」と。
それを聞いて「だったら俺も行けるかも」って。

──その瞬間、それが目標に?

田島はい、「これだ!」と。

──絶望から、一転。

田島将来に絶望してたからこそ、
説明会で
「2年勉強してハリウッドに行った人がいる」
という話を聞いて、
もう理屈抜きに「これだ!」と。
これしかない、と。

──もう、背水の陣で。

田島もう、完全にそうでしたね。
だから、親に学費を
出してもらうしかないんですけど、
あんまり裕福な家庭じゃなかったから、
「もし就職できなかったら、
アルバイトでもなんでもして学費は絶対に返す」
と言って説得しました。
「これだけはやらせてほしい」って。

──はーー。
あとはもう、やるしかない。

田島やるしかないです。
そこは2年制の学校だったので、
2年間でいまのプロを超えるくらいじゃないと、
ハリウッドになんか行けないだろうと。
その危機感と恐怖感で、
じぶんを奮い立たせていました。

──もう一回訊くけど、
CGの知識はまったくのゼロだったの?

田島家にコンピューターはありましたが、
CGや3Dはまったくの初心者でした。
でも、それがよかったのか、
学校の授業や勉強がとにかくたのしかった。

──たのしかった。

専門学校に入学した直後のCG作品。
CGではじめて制作した人物の顔。

田島めちゃくちゃたのしかった。
学校で課題をつくるときも、
ふつうは1課題に1作品なんですが、
ぼくは何十作品もつくってました。
最終的に提出するのは1個なんですけど、
勝手に何個も何個もつくってました。

──それは、最初から?

田島最初からです。
最初からめちゃめちゃつくってました。
なんなら、他のクラスの課題も出してた。

──すごい(笑)。
なんで急にそうなったの? 
それまでそんなタイプじゃなかったのに。
これは、いままとめて話しているから、
急に感じるだけ?

田島いや、実際、急でしたね。

──ていうのはさ、いままで、
「集中したら昔からすごかったんですよ」
みたいな話がまったくないじゃない?

田島なにもないです。
というか、それまで集中したことがなかった。

──「集中したことがなかった」(笑)。
でも、絶望と背水の陣の掛け算で。

田島そうですね。

──それはなんだろう、その学校では、
みんな同じスタートというのがよかったとか? 
最初からすごいできる人がいたら、
ちょっとやる気が削がれるというか‥‥。

田島いや、学校にはCG経験者も
けっこういましたよ。
海外ですでに勉強した留学生なんかは、
めちゃめちゃ知識もあるし、
最初からすごいうまかった。

──そういううまい人の作品を見て、
落ち込んだりはしなかったの?

田島いや、全員、俺がぶっ倒す!

──急にどうした(笑)。

田島だってそのときはもう、
そこで生き延びるしかなかったから。

──ああーー。

田島もしそこでダメだったら、
他に行くところもなかったし。

──それでもう、急に。

田島とにかくその群れの中で
1位じゃないと意味がないという
危機感がありました。
あと、なぜか1位になれる自信もあった。

──それは、どこから来た自信なんだろう。

田島なんでしょう、やっぱり、
2年やってハリウッドに行った人がいるという、
その事実が勇気になったというか。

──じゃあ、もう、ほんとに、
その説明会ですべて変わったんだ。

田島がらっと変わりましたね。
ぼく、それまで遅刻グセがあったんです。
高校もほぼ毎日遅刻してたんです。
でも、その説明会で担当の人が
「遅刻はしないほうがいいですよ」と言われて、
そこから一回も遅刻してないです。