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当時の若者は今の子より根性があった、
というのはウソですよね? |
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(笑)
そこは、ちゃんと、
歴史として伝えておくべきだと思うんです。 |
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根性なんか、まるでなかった。
今の子どもよりも、
「考えていない」ということはありますね。
なんにも、考えてなかった。
ともだちの下宿に何日間か泊まり歩いていて、
着るものも、ない。
洗濯しているあいだ、
たまたま、地方の社長の子で、裕福だった
白井ってヤツのところにいたことがあった。
「着るものないんだけど、
おまえ、背、高いからなぁ」
「東京に出てくるときに、
おふくろが、着物をつくってくれたけど」
しょうがないから
そいつの羽織を着て学校にいくと……
「オマエ、また、きどってきて!」
「ちがう! ないから、借りてんだ!」
「キザ! キザ!」
「いや、ちがうちがう」
「お師匠さん! お師匠さん!」 |
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一年半は、けっこう
授業もちゃんと出ていましたよ。
だけど、大学紛争になるんです。
それで、大学に、はいれないし、
しょっちゅう、デモがおこなわれている‥‥。
クラスにいけば革マルと民青が争って大激論。
なんだろう、これは?
「革マルに、はいらないか」
「そういうつもりは、ない」
「‥‥きみはノンポリだ。もっと、思想的になれよ」
そう言われて、そのときはほんとに落ちこみました。 |
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当時、
あらゆる意味で、落ちこんでいますよね。
「オレって、せめられたらよわいんだ」
と、気づくんですよね。 |
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そうです。
せめられたら、ものすごくよわい……。
中核にとりかこまれたときは
殺されるかと思ったもん。
ちょっと批判的なことを言うと、
ウワーッと集まってきて。
そんなこんなで
学校にいくのがイヤになってきました。
ちょうどそのとき、クラブ(ジャズ研)も
いそがしくなってきていました。
クラブの連絡帳には
「オレも学生運動をはじめた。
射精同解放派
(※社青同解放派という左翼系の集団のもじり)
という派閥をつくった」
「しゃせい」の字がちがうんですよ。
それで、先輩から呼びだされて……。
「バカか、オマエは!
連絡帳にいちいち書くことか?」 |
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明日に、続きます |