- ──
- 今回「生活のたのしみ展」に
岡本太郎さんの椅子がたくさんやってくるのですが
それらもすべて、太郎さんの
「芸術はくらしの中でこそ活きる」という考えで
作られたものでしょうか。
- 平野
- そのとおりです。
でも、そこには岡本太郎の問題意識や価値観、
美意識が織り込まれています。
『坐ることを拒否する椅子』にしても、
岡本太郎の生活観が入っているわけです。
- ──
- 生活観‥‥。
- 平野
- 生活に臨む態度のことです。
それは、椅子が単にプロダクトデザインとして
機能的に優れているかどうかというところとは
次元の違う思想です。
太郎にとって生活は、
芸術であると同時に闘いです。
ただ快適でズルズルするような生き方は、違う。
「それでは生きがいがないじゃないか」
と言うでしょう。
いかに人間らしく生きるかが、
岡本太郎の生活のテーマです。
だから『坐ることを拒否する椅子』のようなものを
社会に送り込んだわけですよ。
- ──
- 今回、特別に『坐ることを拒否する椅子』が
販売されますね。
- 平野
- 『坐ることを拒否する椅子』は1963年の作品で、
信楽で焼かれた陶製です。
焼きものというマルチプルの製法で
つくられたものですから、
太郎が元気だった頃は
縁のあった方々にお分けしていたようです。
でも、少なくともここ20年は販売していません。
数に限りがありますからね。
今回は「生活のたのしみ展」という
特別なテーマをもったイベントなので、
思い切って出すことにしました。
とはいっても3脚だけですが‥‥。
- ──
- 『坐ることを拒否する椅子』は、
その名のとおり、とても座りにくそうです。
- 平野
- 岡本太郎にとって椅子とは、
山の中を歩いているときにちょっと腰掛けて休憩する
切り株のようなもの。
世の中には、座り心地のいいモダンデザインの椅子が
あふれていますが、
病気の人やお年寄りがそれを使うべきだと
太郎は言いました。
何かに向かっていきいきと
取り組もうとしているときには、
そんな座り心地のいい椅子に落ち着いているようじゃ
ダメだろうというわけです。
人間は休むことが必要です。
ちょっと腰を下ろすことも、あるべきです。
でも、その程度じゃなきゃいけない。
むしろそういう生き方をしている人たちは、
切り株のような椅子のほうが心地がいいだろうし、
そういうものこそ必要とされているはずだ、と
太郎は考えていました。
芸術は特別なものではないけれども、
生活の中にこういうものが入っていくべきだと
思っていたのです。
- ──
- 太郎さんは、フィルムカメラを持って、
全国各地でごくふつうの人たちのくらしを
撮影していましたよね。
当時の写真家があまり残さなかった、
ほんとうに「ふつうの人たち」が
そこには写っていました。
- 平野
- 別に「ふつうの人たち」を撮ろうと
決めて撮っていたわけじゃないんです。
あらかじめテーマがあったわけでもないし、
そもそも写真という「作品」を残そうなんていう気も
毛頭ありませんでした。
実際、紀行文に添えられたものを除いては、
生前はいっさい人に見せていません。
あれは、岡本太郎のまばたきと同じなんですよ。
眼の前に現れた何かに吸い寄せられていって、
「おお!」と思った瞬間に、シャッターを押しただけ。
「太郎が見たもの」を
そのまんま切り取っただけなんです。
なまはげのお面をはずしてホッとしている人の顔なんて
プロの写真家は撮りません。
作品になりませんからね。
『岡本太郎の東北』の最初にあるのは、
秋田の駅で降り立ったときにホームにいた
お姉さんです。ほんとうにふつうの人ですよ。
だけど太郎は列車から降りた瞬間に、
「おお!」と思ったからシャッターを切った。
- ──
- なぜ「おお!」と思ったんでしょう。
- 平野
- それはもちろん興味を持ったからで、
なぜ興味を持ったかというと、
おそらくお姉さんのなかに「原始日本」を
見たからでしょう。
探し続けていた「ほんとうの日本」の片鱗を
見たように感じた。
早朝の秋田駅という生きた生活のなかに
縄文精神の片影を見たんですよ。
- ──
- ちょっと意外なことですが‥‥
岡本太郎さんは「生活のたのしみ」という言葉に
ぴったりな人ですね。
岡本太郎さんにとって
生きがいのある生活というのは
どういうものだったのでしょうか。
- 平野
- 自然との闘争のなかで生きた
狩猟時代の生き方でしょうか。
なにしろ人間工学的によくできている椅子は
人間をダメにすると
言っているくらいですからね(笑)。
「坐ることを拒否する」ようなもの、
そうした思想を大衆生活に打ち込むことが、
太郎にとっての芸術でした。
- ──
- 大衆の中に太郎さんの価値観を打ち込んで、
みんなに「わぁ、なんだろう」と
思ってもらうことがアートだったということですね。
- 平野
- 飼い慣らされてひ弱になった日本人の精神を
叩き直そうとしていたんじゃないかと思いますね。
「おまえの血の中には、
狩猟時代の縄文の心がまだ残っているんだから、
それを思い起こせ」
という感じかな。
- ──
- 岡本太郎さんが縄文に惹かれたのは、
若いときにソルボンヌ大学で
民族学を学ばれたことが大きいですよね。
- 平野
- それはもう確実にそうだと思います。
民族学を学ぼうとしたきっかけは、
エッフェル塔の脇にあった
人類博物館(ミュゼ・ド・ロム)でたまたま観た
民族資料でした。
ピカソがアフリカ原始美術に出会ったのも、
このミュージアムの前身だった
トロカデロ民族学博物館です。
太郎はまず、目の前にあるものが
「美術品ではない」ことに
たいへん感動しました。
美術的な価値を目指してつくったものでも、
売るためにつくったものでもなく、
庶民が生活のために、──まぁそれは、
祭事や神事の特別な日に使うものだけど──、
自ら風習の中で使うために、
必要で作ったものだったのです。
当時、太郎は、
抽象とシュルレアリスムの派閥争いみたいなことに
少々うんざりしていました。
そんなときに博物館で
まったく違う地平にあるものと出会い、
「これだ!」と思ったんです。
狭い「美術」から解放されたように
感じたんじゃないかな。
- ──
- 飾るためじゃなくて生活のためにあるもの。
- 平野
- そう。
しかもすごい迫力があって、
生々しくて、生活実感があった。
こうして太郎は、「美術品」ではなく
「くらしのなかにあるもの」を
目指すようになったんです。
(つづきます)
2017-11-09 THU