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私(担当:ほぼ日の菅野)は、2003年に
岡本太郎さんのコンテンツの連載を担当しました。
そこからずっと勝手ながら、
太郎さんを身近に思ってきました。
今回、「生活のたのしみ展」で
扱わせていただくことになった「椅子」について
改めて考えたとき、
岡本太郎さんは、なんに対しても
徹底して対等だったのではないかと気づきました。
- 平野
- そうそう、そうですよ。
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親子の関係も早いうちからそうだったし、
偉い人たちに対する態度も、
子どもの絵に対する態度もそうだし、
ペットもわけへだてなく、カラスだったし‥‥。
- 平野
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偉人、権力者、幼児、年寄り、カラス‥‥、
みんないっしょです(笑)。
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岡本敏子(前館長)さんもよく言っていた
太郎さんが使う「いやしい」という言葉はつまり、
「対等ではない」という意味だったのではないかと
いま私は解釈しています。
どんな人でもものでも、同等で対等。
それが基本姿勢で、貫いていたのではないかと、
やっと昨日気づいて、自分で驚きました。
- 平野
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何が偉いとか、上とか下とかないし、
自分は人間で相手は動物だからとかいうのもないし、
子どもだから適当にあしらおうという気もない。
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人間として、すべてに対等であれるように、
ほかの椅子の
「めばえ」も「サイコロ」も「彩り」もあるのだ、
とわかりました。
- 平野
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そうかもしれませんね。
「彩りイス」は、今回のものは展示品だから
最初から紐が編まれているけど、
自分でほどいて編み直してほしい。
そのために10色の新しい紐を用意してあります。
無限に形が作れる。
それは「自分で作れ」というメッセージですからね。
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「めばえ」はおしゃれで座りやすそうですけど、
安定しないんですよ。
- 平野
-
座り心地は決してよくないです。
まあ、しょうがないでしょう、
太郎の作品なんだから(笑)。
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グラグラしてて、
「めばえ」という名前の
いたずらっ子みたいに思えます。
やっぱりどれも「ダラダラするなよ」という
太郎さんの声を感じます。
なかでは「サイコロ椅子」が、
座りやすくてびっくりしました。
- 平野
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籐でね。
だけど、これだって、
「どうぞゆっくりしてください」
というわけじゃないです。
まさに切り株のようですよね、年輪があるし。
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部屋にひとつあって、ふと座れば、
太郎さんのようないさぎよい気持ちに
なれると思います。
「坐ることを拒否する椅子」なんて、
まさに椅子と自分が対等だもんなぁ‥‥。
ところで、
太郎さんがすべてを対等に思っていた、
ということについて、
好きなエピソードがあるんですが。
- 平野
- なんでしょう?
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- 1964年の東京オリンピックのときの。
- 平野
-
ああ、東京オリンピックの参加記念メダルの
デザインを依頼するために、
JOCの人たちが相談に来たときのことですね。
太郎は本気で
「オレが100メートル走に出るのか?」
って聞いたらしい。
「いや先生、じつはそうじゃなくて…」
って言われて(笑)。
- ──
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でも太郎さんは、そうするべきだ、と
おっしゃったんですよね。
- 平野
-
そうです。
走るのはトップアスリートだけで、
あとは観ているだけっていうのはおかしい。
遅くたっていいじゃないか。
足が早いから偉いのか?
そう考えていたから、「オレが走る」と言ったんです。
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太郎さんは
「みんなが走ったらいい」と
思っていたんですね。
1970年の大阪万博の「太陽の塔」の下に
一般の人たちの顔写真を飾ったのも、
おなじような考えからですか?
- 平野
-
「世界を支える無名の人々」というテーマで、
世界から集めた数百枚の写真を展示しました。
万博パビリオンの展示コンテンツとしては
異例中の異例のことだったんですよ。
- ──
- というと‥‥。
- 平野
-
万国博覧会は、いわば
産業文化のオリンピックでしょう?
だから国や企業は
みずからの優位性やポテンシャルをアピールする。
真っ先に自慢したくなるのは技術です。
19世紀に生まれたときから万博は、
自国の技術を世界にプレゼンテーションする場でした。
そしてもうひとつ、
アピールすべき重要なジャンルがあります。
文化です。
自分の国はいかに優れた文化を持ち、
未来を拓く可能性を秘めているかを表現する。
それを語るうえで効果的な戦術がヒロイズムです。
ヒーローの物語はわかりやすいし、訴求力がある。
大阪万博のときも、
イギリス館はシェイクスピア、
キューバはカストロ、ソ連はガガーリン、
アメリカはアポロの乗組員たちを前面に立てました。
ヒーローはアイコンとして優れた性能を
発揮するからです。
人類の発展に向けて社会をリードしたのは誰か。
ナポレオン? 豊臣秀吉?
万博協会の面々が、そんな議論をしていたとき、
太郎は即座に「バカを言うな! 庶民だ!」と
声をあげたそうです。
「人類をシンボライズするのはそんな人間じゃない」
ってね。
世界をつくっているのは名もなき民衆だ。
そう考えていた太郎は、
ヒーローではなく、あえて「無名の人々」を展示した。
「芸術写真」でも「報道写真」でもない、
「生活写真」です。
それは万博という制度が持っている体質や価値観とは
真逆。
そんなことは考えるプロデューサーはいません。
- ──
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そうだったんですね。
万博でも押し通すほど、太郎さんは
すべてのものを対等に扱う人だった。
対等であり、尊敬もする‥‥。
- 平野
-
リスペクトする。
でもひれ伏さない。
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だからどんな権力にも屈しなかったですよね。
太郎さんの芸術を観る目が、
ちょっと広がった気がします。
そういう気持ちで、
「岡本太郎のくらしの店」の椅子に
腰掛けたいと思います。
(おわりです。「生活のたのしみ展」の
「岡本太郎のくらしの店」にぜひお越しください)
2017-11-10 FRI