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糸井 |
そもそも伸坊は、
どういう焼き物をやろうと思ってたの? |
南 |
ええとね、最初は、
セトモノ店で売ってるようなセトモノ。
丸だったらきっちり丸になってるような
そういうのがつくりたかった。 |
糸井 |
あー、そうなんだ。 |
南 |
うん。こう、不慣れなろくろを回して、
ぐにゃんと歪ませたりして、
個性的ですね、味ですね、
みたいなのじゃなくて、
売り物みたいなのをつくりたかった。
ところが、そういうものをつくるの、
ものすごくたいへんなの。
そもそも、形がそろってるやつは
ろくろを回してつくるんじゃなくて、
最初っから型でつくるんだよ。
流し込んで。 |
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糸井 |
そうそう。
町の焼き物教室みたいなところじゃ
なかなかやらないね、それは。 |
南 |
そうなんだよ。
で、ふつうにやると、ろくろをつかって、
ちょっと歪んじゃったりして、
「味があるね」になっちゃう。 |
糸井 |
伸坊はだから、
楷書を書いてみたかったんでしょ?
ちゃんと。 |
南 |
そうそうそうそう。 |
糸井 |
行書みたいなものになりました、
っていうんじゃなくて、
楷書を書いてみたいんですよね。 |
南 |
そう。でも、やろうとすると、
ダメです。難しい。 |
糸井 |
なるほどねー。 |
南 |
糸井さんの思ってる焼き物は、
どんなイメージ? |
糸井 |
ぼくはね、とくにこういうのが焼きたいとか、
そういうのはないんだけど、
とりあえず、先生が誰だかわかんないと
進まないなと思ってた。 |
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南 |
あー、まず、そこ。 |
糸井 |
うん。たとえば、そうだな、
うちのスタッフの誰かがね、
昔、学校の授業かなんかで
焼き物の経験を積んでたとしてさ、
「糸井さん、オレ、教えますよ」って言っても
それはオレ、遠慮すると思うんだ。 |
南 |
なんでもいいから焼いてみたい、
っていうわけじゃないんだね。 |
糸井 |
そうじゃないんですよ。
これとこれを準備して、
こうすれば誰でも湯飲みが焼けますとかね、
そういうのがやりたいわけじゃない。 |
南 |
うん、うん。 |
糸井 |
だから、こういうものが焼きたい、
っていう目標もないんだよね。
ギターで『禁じられた遊び』が弾きたいとか、
エレクトーンで『ゴッドファーザー』を、
みたいなことではない。
すごく勝手なことをいうと、
やるからには、自分のいいところも、
引き出してほしいというか。 |
南 |
ああー。 |
糸井 |
だから、そういう意味じゃ、伸坊と同じで
焼き物教室で「なかなか味があります」
っていうことがやりたいわけじゃない。
もちろん、やったらやったで
たのしいに決まってるけどね。 |
南 |
そうなんだよ。 |
糸井 |
もし伸坊と土楽に行って
いっしょにつくったりしたら、
「いいねー、味があるねー」とか
言い合うに決まってるよ。 |
南 |
あの、焼き物も、
絵も、字もそうなんだけど、
ヘタだけど味があるというか、
素人くさいところがいいとか、
そういうのって、
なんでもいいわけじゃないじゃない? |
糸井 |
なんでもよくない、なんでもよくない。 |
南 |
でしょ。
そのへんって、興味があってさ。
ただヘタでつまんない絵もあるし、
ヘタなんだけどいい、っていう絵もある。
とりわけ、日本人って、そういう、
「ヘタだけどいい」っていうことについての
価値観みたいなものを、
誰に教わるわけでもなく
みんながわかってると思うのね。 |
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糸井 |
そうだね、わかってるよね。
この味がうれしいのはオレだけかな、
と思ってると、意外に大人気、
みたいなものって多い。 |
南 |
そうそうそうそう。
でね、オレは、それはもう、
「そういう形」が
あるんじゃないかと思うわけ。 |
糸井 |
「そういう形」? |
南 |
うん。だいたいそういうものってさ、
「描いた本人がおもしろいから
おもしろい形が出てくるんだ」
みたいなことを言われるじゃない?
生き方が字や絵に表れる、みたいなさ。
そうじゃなくて、どこの誰が描いても
おもしろい形っていうのが
あるんじゃないかと思うわけ。 |
糸井 |
なるほど、なるほど。 |
南 |
気に入る形とか、かわいい線とかさ、
おもしろいとか、味があるとかっていうものには、
じつはその仕組みがあるんじゃないかって。 |
糸井 |
うーーーん、そうか。
でも、仮にそういう形や仕組みがあるとしても、
その形を見て「いい」と感じるっていうのは、
作品と鑑賞者との関係じゃない? |
南 |
ああ、うん。 |
糸井 |
だから、おもしろい形の石があるとしても、
石は、それを表現したいわけじゃない。
だから、その時点では、その石は、
芸術でも作品でもない。 |
南 |
うん。うん、うん。 |
糸井 |
つまり、味も、おもしろみも、感動も、
みんな同じ原理だと思うんだけど、
「そのもの」と「私」のあいだで
芸術を発見するわけですよね。
だから、なんていうか、
やっぱり「味」ってのは、
形にあるわけじゃなくて、
伸坊の側にあるんだよ。 |
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南 |
ああー。 |
糸井 |
じゃないかなぁ。 |
南 |
そうかもしんないねぇ。
つまり、自分はそういうものを、
おもしろいと思って、
だからこそ描きたいと思うわけだから。 |
糸井 |
そういうことなんだろうねぇ。 |
南 |
だとすると、訓練はできないねぇ。
あの、できるできないは別にして、
「うまい」は目指せるんだよね。
うまい人がつくるうまい形を見て
訓練して近づこうとすることはできる。
だけど、「ヘタだけど味がある」
みたいなものに近づこうとすると‥‥。 |
糸井 |
ダメなんです。 |
南 |
味のほうは真似できない。 |
糸井 |
そうだと思うなぁ。 |
南 |
うーん、そうかあ。 |
糸井 |
しかし、思えば伸坊は、
だいたいのことは、やってるね。
絵も、書も、焼き物も。 |
南 |
いやいやいや、そんなことないよ。 |
糸井 |
達者だね。 |
南 |
いやいや。 |
糸井 |
達者だね。三橋美智也だね。 |
南 |
え? |
糸井 |
『達者でな』。 |
南 |
♪わーらーにーまみれてよー、と。 |
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糸井 |
はははははは。 |
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(次回から、別の日の雑談をお届けしますよ) |