第4回 愛の込め方。

── お母さまの浜子さんから受け継いだものって
たくさんあると思うんですが
それをいくつか、教えていただけませんか。
辰巳 母が見せてくれたものでね、
いちばんすごいものは‥‥愛の込め方ね。
── 愛の込め方?
辰巳 私の母という人は、
それはもう、弾力性のある「愛の込め方」が
できた人だと思うんです。

弾力性と言うより他に、表現のしようがない。
本当に「弾み」があったの。
── 弾み、ですか。
辰巳 ええ、弾みがあった。あれは、母独特だった。
── 具体的には、どういうことですか。
辰巳 たとえばね、
これは、何べんも言っていることだけど、
私たちは戦争中、
自分たちで小麦を作っていたんです。
── はい。
辰巳 でも、当時は統制の時代ですから、
その小麦をひくのにも
人間用の粉屋に持って行くことはできない。

でも、
馬の餌を作るところには、持って行かれた。
── あ、そうなんですか。
辰巳 栄養的には素晴らしいんですけど
馬の餌ですから粗いんです、ザラザラして。

近所の人たちは
それで、うどんを打っていたんですが
ようするに
グルテンが細かくなっていませんから
薄く延ばせないのね。

しかたがないから
厚く延ばして、ブツブツ切って茹でる。
── ええ、ええ。
辰巳 すると、何ができあがると言ったら‥‥
もうね、
「おいしくない最たるもの」ができあがる。

カボチャを茹でたお汁のなかに
そのザラザラを捏ねたものが入るんだから、
もう、これがね、
うんざりするぐらいに、おいしくないの。
── ははあ。
辰巳 でも母は、その同じ粉で
私たちに、何を作ってくれたかというと‥‥。
── ええ。
辰巳 パン・ド・カンパーニュを焼いてくれた。
── ‥‥戦時中に。
辰巳 今でこそ、パン・ド・カンパーニュなんて
ちょっとましなパン屋さんに行けば
売っていますけど、
あの当時、あれと同じものを焼いて、
「さあ、おあがんなさい」って。

だから、当たり前のように食べてましたよ。
一日おきくらいに、母が焼いたから。
── どのようにして、召し上がったんですか。
辰巳 ごまのペーストを持っていたので
そこへハチミツを入れて、
練って、サンドにして‥‥最高よ。
── 最高‥‥なんでしょうね!
辰巳 焼けたら、防空壕にも置いておくの。

そうすれば
大空襲の真っ最中でも食べられるんです。
── 非常時でも、お腹を満たせる。
辰巳 空襲の最中には、火を焚けないんです。
でも、日本の主食は
必ず火を使わなきゃならないじゃない?

だから、火を使わずに
食べられるものを持っている、ということは
当時、本当にすごいことだったんです。
── お母さまは、どうして
パンを焼こうと思いついたんでしょうか。

近所がみんな「うどん」なのに。
辰巳 まだ学生のころ、女性の宣教師が
パウンドケーキを焼いて
食べさせてくださったことがあったから
それで、ひらめいたんでしょう。

蓄えてきた知識と経験と、
何とか家族を守りたいという愛の気持ち、
それらがひとつに響き合ったときに
パッと出てきたアイディアだったと思う。
── お母さまの作る「心臓焼き」という卵焼きも
迫力満点ですよね。
辰巳 あれもね、昔は卵が高かったから。

お正月の伊達巻にしても
思うほどには、食べることができなかったの。
何個って決まってたのね。
── なるほど。
辰巳 だから、私たちが卵焼きを
惜しみ惜しみ、食べている姿を見て
いじましいと思ったんでしょう。

大口を開けて食べさせたいと思ったのが
そもそもの、はじまり。
── それが、あの、10個の卵を一発で焼く、
豪快で、とても上品な卵焼きになった。

©2012天のしずく製作委員会

辰巳 お金がなかったときにこそ、
食べものが少なかったときにこそ、
母は、工夫をしたわね。
── それは、お母さまらしいことですか。
辰巳 とても、母らしいこと。

‥‥私はね、病気で重湯しか飲めない方には、
青菜の葉先に
オリーブオイルを落として、
ちょっと塩を濃い目に、茹でてあげるんです。

で、それをペーストにして、重湯に添える。

そうするとね、
その青菜は、もう甘いぐらいおいしいんです。
── へぇー‥‥。
辰巳 そうやって作った重湯と青菜のペーストとを
かわりばんこに、口に運んであげる。

青菜というのは「畑の血」ですから
へたな点滴なんかより
よっぽど、力をつけると思うんです。
── そうですか。
辰巳 だからね、母に教わったいちばんのことは、
「愛」というものには
「込め方」がある‥‥ということです。
── はい。
辰巳 でもそれは、難しいことじゃなくて、
大きな大きな卵焼きを焼いてくれたことだとか、
重湯に青菜を添えることだとか、
そんな、何でもないことの積み重ねだと思う。
── はい、そう思います。
十分わかってないかもしれませんが、なんだか。
辰巳 そしてね、
そういう小さなことで訓練しておけば
いつかきっと、
もっと大きなことに、役に立つと思う。
── ああ‥‥。
辰巳 たぶん「愛」というものは
いのちそのものが、行き着くところなのよね。

いのちが行き着くところに、「愛」がある。
いのちの核心に「愛する」という行為がある。
── はい。
辰巳 私は、ここまで生きてきて、そう思うんです。
愛こそが、生きることなんだって。

©2012天のしずく製作委員会

<終わります>
2012-11-06-TUE