── | お母さまの浜子さんから受け継いだものって たくさんあると思うんですが それをいくつか、教えていただけませんか。 |
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辰巳 | 母が見せてくれたものでね、 いちばんすごいものは‥‥愛の込め方ね。 |
── | 愛の込め方? |
辰巳 | 私の母という人は、 それはもう、弾力性のある「愛の込め方」が できた人だと思うんです。 弾力性と言うより他に、表現のしようがない。 本当に「弾み」があったの。 |
── | 弾み、ですか。 |
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辰巳 | ええ、弾みがあった。あれは、母独特だった。 |
── | 具体的には、どういうことですか。 |
辰巳 | たとえばね、 これは、何べんも言っていることだけど、 私たちは戦争中、 自分たちで小麦を作っていたんです。 |
── | はい。 |
辰巳 | でも、当時は統制の時代ですから、 その小麦をひくのにも 人間用の粉屋に持って行くことはできない。 でも、 馬の餌を作るところには、持って行かれた。 |
── | あ、そうなんですか。 |
辰巳 | 栄養的には素晴らしいんですけど 馬の餌ですから粗いんです、ザラザラして。 近所の人たちは それで、うどんを打っていたんですが ようするに グルテンが細かくなっていませんから 薄く延ばせないのね。 しかたがないから 厚く延ばして、ブツブツ切って茹でる。 |
── | ええ、ええ。 |
辰巳 | すると、何ができあがると言ったら‥‥ もうね、 「おいしくない最たるもの」ができあがる。 カボチャを茹でたお汁のなかに そのザラザラを捏ねたものが入るんだから、 もう、これがね、 うんざりするぐらいに、おいしくないの。 |
── | ははあ。 |
辰巳 | でも母は、その同じ粉で 私たちに、何を作ってくれたかというと‥‥。 |
── | ええ。 |
辰巳 | パン・ド・カンパーニュを焼いてくれた。 |
── | ‥‥戦時中に。 |
辰巳 | 今でこそ、パン・ド・カンパーニュなんて ちょっとましなパン屋さんに行けば 売っていますけど、 あの当時、あれと同じものを焼いて、 「さあ、おあがんなさい」って。 だから、当たり前のように食べてましたよ。 一日おきくらいに、母が焼いたから。 |
── | どのようにして、召し上がったんですか。 |
辰巳 | ごまのペーストを持っていたので そこへハチミツを入れて、 練って、サンドにして‥‥最高よ。 |
── | 最高‥‥なんでしょうね! |
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辰巳 | 焼けたら、防空壕にも置いておくの。 そうすれば 大空襲の真っ最中でも食べられるんです。 |
── | 非常時でも、お腹を満たせる。 |
辰巳 | 空襲の最中には、火を焚けないんです。 でも、日本の主食は 必ず火を使わなきゃならないじゃない? だから、火を使わずに 食べられるものを持っている、ということは 当時、本当にすごいことだったんです。 |
── | お母さまは、どうして パンを焼こうと思いついたんでしょうか。 近所がみんな「うどん」なのに。 |
辰巳 | まだ学生のころ、女性の宣教師が パウンドケーキを焼いて 食べさせてくださったことがあったから それで、ひらめいたんでしょう。 蓄えてきた知識と経験と、 何とか家族を守りたいという愛の気持ち、 それらがひとつに響き合ったときに パッと出てきたアイディアだったと思う。 |
── | お母さまの作る「心臓焼き」という卵焼きも 迫力満点ですよね。 |
辰巳 | あれもね、昔は卵が高かったから。 お正月の伊達巻にしても 思うほどには、食べることができなかったの。 何個って決まってたのね。 |
── | なるほど。 |
辰巳 | だから、私たちが卵焼きを 惜しみ惜しみ、食べている姿を見て いじましいと思ったんでしょう。 大口を開けて食べさせたいと思ったのが そもそもの、はじまり。 |
── | それが、あの、10個の卵を一発で焼く、 豪快で、とても上品な卵焼きになった。 |
©2012天のしずく製作委員会
辰巳 | お金がなかったときにこそ、 食べものが少なかったときにこそ、 母は、工夫をしたわね。 |
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── | それは、お母さまらしいことですか。 |
辰巳 | とても、母らしいこと。 ‥‥私はね、病気で重湯しか飲めない方には、 青菜の葉先に オリーブオイルを落として、 ちょっと塩を濃い目に、茹でてあげるんです。 で、それをペーストにして、重湯に添える。 そうするとね、 その青菜は、もう甘いぐらいおいしいんです。 |
── | へぇー‥‥。 |
辰巳 | そうやって作った重湯と青菜のペーストとを かわりばんこに、口に運んであげる。 青菜というのは「畑の血」ですから へたな点滴なんかより よっぽど、力をつけると思うんです。 |
── | そうですか。 |
辰巳 | だからね、母に教わったいちばんのことは、 「愛」というものには 「込め方」がある‥‥ということです。 |
── | はい。 |
辰巳 | でもそれは、難しいことじゃなくて、 大きな大きな卵焼きを焼いてくれたことだとか、 重湯に青菜を添えることだとか、 そんな、何でもないことの積み重ねだと思う。 |
── | はい、そう思います。 十分わかってないかもしれませんが、なんだか。 |
辰巳 | そしてね、 そういう小さなことで訓練しておけば いつかきっと、 もっと大きなことに、役に立つと思う。 |
── | ああ‥‥。 |
辰巳 | たぶん「愛」というものは いのちそのものが、行き着くところなのよね。 いのちが行き着くところに、「愛」がある。 いのちの核心に「愛する」という行為がある。 |
── | はい。 |
辰巳 | 私は、ここまで生きてきて、そう思うんです。 愛こそが、生きることなんだって。 |
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<終わります> |