谷由起子さんは、
ラオスの北部のルアンナムターというところで、
クロタイ族(*)などの少数民族の人たちといっしょに、
布づくりのお仕事をなさっています。
それについて、「ほぼ日」では
「布のきもち」で
もう以前に紹介されていますから(*)、
いきさつをごぞんじのかたは多いと思いますけれど、
あらためて私からも、
私なりに思う谷さんのお仕事のことを
お話させてくださいね。
*クロタイ(黒タイ)族
ベトナム。ラオス、中部タイなどに分布する
タイ系の民族集団。
着用する衣服の色が黒いことから「黒タイ族」とよばれる。
私、谷さんのなさっていることは、
もう、奇跡みたいな話だと思っているんです。
今まで聞いていただいたとおり、
私はいろいろなところで、布を中心に、
手仕事でつくられたもの、
それをつくっている人たちを、たくさん、見てきました。
伝統的な手仕事が残っているところというのは、
ほとんどが貧しさや不便さと同居しています。
貧しく、不便だから、
自分たちのものは自分の手でつくるしかない、
ということなんですね。
だから、生活環境が変わると、
手仕事はすぐに影響を受けるんです。
電気がついて、テレビが入って。買い物がしやすくなって。
そういうことがあるたびに、手仕事が危うくなっていく。
便利なものがふえるときに、
ガクン、ガクンと変わるんですよね。
でもそれを、「悪」と言うことはできないでしょう。
誰だって、便利なものを見れば欲しい。一度はね。
私たちみたいに、便利さの中毒になったことがある人は、
「ちょっと離れていよう」っていう、
知恵みたいなものが、ありますけれどね。
免疫がない村の人たちは、
もろにみんな巻き込まれてしまう。
そういう中で、手仕事を維持していくのは、
すごくたいへんなことなんです。
谷さんは、ほんとに山の中に行ってね、
綿の種をまき、藍を育てるところから、
糸を紡ぎ、機を織り、縫うところまで、
村の人たちといっしょになって、やってるんでしょう。
最初から最後まで全部を自分たちでやっている。
純粋なんですよね。
そして質が高い。
そういうところは、とてもめずらしいんですよ。
たとえば、バングラデシュに、
藍染めを再び起こした私の友人がいるんです。
バングラデシュは、かつては藍の産地だったんですよ。
でも、植民地時代にその藍は、
イギリスにすべて輸出されていました。
「藍を育てると土地が荒れる」といいますが、
戦後は米畑となり、藍は作らなくなりました。
友人は、藍染めを再現するのに、
最初はインドの藍を買って使っていたんだけれど、
ついに、自分たちで畑をつくって、復活させたんです。
それは立派なことですけれど、
インディゴだ、っていう盛り上がりがすごくて‥‥。
日本人は藍をよく知っています。
私は、ただインディゴっていう理由だけでは、
そんなに喜ばない。
それが彼らは不満なんですけれどね。
日本の藍って、やっぱりすごいですよ。
バラエティに富んでるし。凝りようが違う。
もう、職人技でしょう。
バングラデシュの藍には、それがないんです。
仕事が、完全じゃないっていうか、
日本のような気遣いは、足りないんですね。
それは、ほかのところの手仕事にも共通しています。
手織り、手染めでやっていても、
フィニッシュがきれいじゃない。
ところが、谷さんのところのものは、格段に違います。
糸が、きちんとしていて、
それから、染めもしっかりしていて、
そして、織りもちゃんとしていて、
仕上がりがとてもきれいなんです。
私の知っているところでは、
このレベルのものはつくれません。
谷さんはやっぱり特別だと思います。
でも、何もそんなにレベル上げなくたって、
手仕事が続いていくならそれでいいじゃない、
っていう意見もあります。
たしかにそういうところもあっていいんだけれど、
彼女のところは、奇跡的に成功しているわけです。
谷さんは「もうやっていけない」って、
「いつ終わりになるかわからない」って、
よく言ってます。それもわかるんですよ。
だって、世の中が変わっていくんですから。どんどん。
先行きが不透明なのは、どの世界でも同じですよね。
その中で続いてるっていうことはね、
すごいことなんですよ。
ほんとに私、谷さんを励ましたいんです。
これは、たまたま谷さんが非常に献身して、
村の人といっしょに仕事をしてる、
っていうレベルではないと、私は思います。
手仕事の理想みたいなものが、あの村には宿ってるんです。
そういう意味でも、
大事にしなきゃいけないって思うんですね。
現実的な仕事ではないかもしれないし、
遅かれ早かれ、なくなっても仕方がないのかもしれない。
でも私は、「ちょっと待って」って言いたいんです。
現実的じゃない、夢みたいなものだけれど、
だからこそそれを、
いいかたちとして残せないかな、と思うんですよ。
時代が変わって、庶民のものだったはずの手仕事が、
高価なものになってしまったという一面もあります。
簡単には手に入らない。
でも、見るだけでも、
みんなが夢を描けるっていうのかしら。
手仕事には、そういう価値もあるんじゃないかな、
と、私は思うんですよね。
このミュージアムでもいろんなものを
見てもらっていますけれど、
「ただ見るだけよね」って、
思うかたもいらっしゃるかもしれない。
だけど、ここから触発されて、何か、
見た人の仕事や生活に
プラスになることがあるんじゃないか。
「人間って、これだけのことができる」っていう、
そういう証のようなものとして、
いい時代の、ほんとにいい、活気にあふれたものを、
残しておきたいなっていう気持ちがあるんです。
たしかに、手仕事というものは、
どんどん頼りなくなってくるでしょう。
かつてのパワーあふれるような姿っていうのは、
なかなか見ることができなくなる。
けれども、夢とか理想のひとつとして、
谷さんがなさっているような、
「ほんとの仕事」っていうものは、
残ってほしい。残ってほしいですね。
ですから、世の中がどんなに変わっても、
それでも手仕事には未来がある、って、
私は言いたいんです。
谷さんはそれを現実化してるでしょう。
谷さんをはじめ、手仕事を今やっている人たち、
それから、やっていない人にも、
「手仕事には未来がある」って、言いたいですね。
(おわり)