その3
暮しがあるからこそ生きるもの。

インドに最初に行ったのは、1970年です。
最初は、インドのものというと、
東博(東京国立博物館)なんかでよく見る、
蓮の紋があったりする、いかにもクラシックなもので、
新しさに欠けるような気がしていたんですね。
でも結局は、その後40年以上、毎年2回、
インドに通うようになってしまいました。

インドで収集したものは、今、このミュージアムに
約4,000点あって、収蔵品の中心になっています。
そのスタートが1970年のインドへの旅だったんです。
そのあたりのお話をしましょうね。

5年をかけて、インカの布の再現や研究をして、次に、
アジアの国々の比較をしてみたらどうかな、
と思ったんですね。
それなら、日本という場所の利点も活かせるかな、と。
出かける前は、
「最初に行くのはとりあえずインドかな」
という程度でした。
当時は情報もなくて、行ってみないとわからないし、
いいものがあるだろうか、
うまく探せるか、非常に不安でしたね。

インドは、木版で染める更紗が知られていますでしょう。
私も以前、染めをやっていましたから、
インド更紗を見てみたいなと思ったんです。
ですけれど、どこに行ったら何があるか、全くわからない。
仕方がないので、ベナレスとかジャイプールとか、
アグラとか。
そういう有名なところを、全部網羅するように、ひと回り。
やっぱり2か月かかりました。

インドでは、ガンジーが独立運動の中で始めた、
手紡ぎ、手織りで綿の布をつくろうという動きもあって、
ハンディクラフトは非常に大事にされてたんですね。
村でつくったものを商品として売るお店も、多少ありました。
でも、そういうところのものは、
たいていセンスが悪いんですよ。

デリーのような街には、
遠くの村から手仕事のものを持って来て、
道端で並べて売っている人たちもいるんですけれど、
そういうものの中に、すごい刺繍があったりするんです。
見たこともないような手仕事がある。
その人たちに、「どこから来たの?」って
身振り手振りで聞いても、
なかなか通じなくて、最初は苦労しました。

ただ、インドでは、
片言でも英語が通じるのが、助かりました。
どんな村に行っても、
1人、2人は英語がしゃべれる人がいて、
お節介に寄ってきて、連れて行ってくれたりする。
大きな市場のようなものもあって、
そういうところで「この布はどこのかな」って見ると、
インドって国が広いから、産地がバラバラなんですよね。
それでも少しずつ
「刺繍だと、そっちの方かな」っていうのが、
だんだんわかってきたんです。

カラフルなものは、北西インドが圧倒的に多いんです。
砂漠に近い方。西の方の文化の影響を受けているんですね。
染め物は、ジャイプールを中心に広がった
無数の小さな都市を訪ねれば、必ず、何かあるんですよ。

ステイトミュージアムのキュレーターで、
おじいさんもアーティストだなんていうかたが、
村人が売りに来た絵と一緒に、布も持って来たりして。
そういう人と懇意になって、
「これをつくっている村、どこかしら」って言うと、
100キロとか200キロ先の村まで、
しょっちゅうパンクするボロボロの車で
連れて行ってくれました。

そんなふうに、最初の旅はジャイプールを起点に、
あの辺の染め物の村をずっと網羅して。
それはすごくいい記録になりましたね。
こうして、インドとの長い関わりが始まったんです。

インドで「あ、そうか」って、
気がついたことがありました。
今でも残っている手仕事の布で、いいな、って思うものは、
庶民が普段に使っている、
素朴であきのこない、昔ながらの細かい文様で、
派手な晴れ着じゃない、ということです。

実用的なもの。着るものだったら、普段着。
手仕事って、暮しがあるからこそ生きるものなんですね。

普段づかいのものといっても、
その染めは単純ではないんですよ。
私が行った当時、おばあさんたちが着ていた
スカートの布は、
全部手仕事で、2版から3版も重ねて染めてるんです。
アウトラインを染めて、白く伏せる糊を置く版があって、
それから藍に染めて、また部分的にチョンチョンと伏せて、
最後に全体を黄色で染めて、
できあがりは緑色になるという具合。

できあがりが緑というのも、不思議でした。
「日本だったら藍で終わるのに」と思って。
そういう、基本的な疑問が、行く先々で出てくる。
おもしろかったですね、そういう点でね。

インドには、イスラムのテイストが入っていて、
ヒンドゥー教徒のテイストとは違うんですよね。
ジャイプールなんか、その両方がある。
それからインドには階級があるでしょう。
下の人と、上の人。
だから、上等なものは限りなく上等につくられている。
そして、上にすごいものがあると、
下のものも、いいんですよね。

行く前のインドの印象は、
私たちの暮らしには全然関係なさそうな、
赤や黄色のカラフルなサリー。
でも実際には、
渋くて地味な久留米絣のような感覚のものがある。
そういうものが探せるようになってからは、
インドがすごくおもしろくなっちゃって。
年に2回は行くようになったんです。
持ち帰った古いものを、
このミュージアムの前身のギャラリーで展示したり、
今つくられているものをショップに並べたり、
ということを始めたんです。

インドの帰り道には、アジアのほかの国に寄れますよね。
タイも、インドネシアも、
ベトナムやカンボジアも、それから台湾、
中国にも、少数部族の人たちがいるでしょう。
そういうところも、ひととおりたずねました。

少数部族って、共通のおもしろいところがあるんですよ。
そうしてわかったのは、
どこの国でも、上流階級の人たちが着るものは、
手の込んだ絹の、似たようなものが多いんですよね。
少数部族の人たちは、生活は貧しいけれども、
そこで培われた、個性的な手織りや
染めのものを着ているんです。

ラオスでは、王朝の織物は、非常に複雑で、
技術は高いんだけれど、
私からすると、あんまりピンと来ない。
でも、山岳の方に住んでる人たちの衣服には、
実にいい手織りの、木綿のものがあるんです。

そのラオスの山の中の村で
今、布のお仕事をされているのが、
谷由起子さんです。

こんどは谷さんのことを、お話しますね。

(つづく)

2015-10-28-WED
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN