1960年代に染色作家として活動をスタート、
「手仕事」の可能性に魅かれていくなかで、
染織工芸の研究家となった、岩立広子さん。
まだ日本人が海外には簡単に行けなかった時代から、
自らの足で歩き、探し、収集をつづけてきた
中南米やアジア各国の「手仕事」は7,500点にもおよび、
いまでは「岩立フォークテキスタイルミュージアム」を
設立するまでにいたっています。
以前「ほぼ日」でインタビューをした
ラオスで少数民族の布づくりをサポートしている
谷由起子さんの活動を応援しているのも、岩立さん。
TOBICHI2で10月30日よりおこなわれる
谷由起子さんの展覧会と、
谷さん、岩立さん、そして作陶家の鈴木照雄さんの
手仕事をテーマにしたトークショーにさきがけ、
岩立さんのお話を、たっぷりご紹介します。
これまでの活動をお聞きしたところ、
ちょっとびっくりするような、ひとりの女性の人生が、
うかびあがってきました。
ようこそいらっしゃいました。
ここでは、インドなど、アジアのものを中心に、
7,500点くらいの染織品を収蔵しています。
展示スペースが限られていますから、
たとえば現在でしたら中央アジアの刺繍布
「スザニ」をテーマにしているように、
期間をもうけて企画展示を行なっています。
ずいぶん長く続けてきた収集ですけれど、
こんなふうに「ミュージアム」というかたちにしたのは
2009年のことでした。
そうですね、すこし長くなりますが、
子どもの頃からのお話をさせてくださいね。
考えてみると、これは子どものときからの
「夢」だったのかもしれないので。
私は、中学、高校と、
東京の恵泉女学園(*)というところに通いました。
*恵泉(けいせん)女学園
第一次大戦のあと、キリスト教徒の河井道さんが、
広く世界に向かって心の開かれた女性を育てることが、
戦争をなくすことにつながると考えて創立した学校。
聖書・国際・園芸を教育の柱に据え、
1929年に普通部5年制の学校としてスタート、
現在は中等部から大学院までをもつ。
通学路に、チェコのガラスを持っている
お宅があることを知り、強く興味をひかれました。
見たい! と思ったのですけれど、
全然知らないお家だし、
そもそも噂にしかすぎなかったのですけれど、
思い切って訪ねて行くことにしたんです。
ふだんは結構、人見知りなのに、不思議ですよね。
「チェコのガラスをお持ちって聞きました!
ひょっとして、見せていただけるんでしょうか?」
‥‥なんて。
それでね、見せてくださったんです。
カットのある、ボヘミアのグラスでした。
そのときからだと思います。
私もいつか、自分が持っているものを、
自由に見てもらえる場所を持ちたいな、
と、考えるようになったのは。
けれども最初は「収集する」ということよりも、
「つくる」ほうに夢中だったかもしれません。
というのも、恵泉女学園には
「工芸」という科目があったんです。
昔はそういう科目って、普通の学校ではなかったんですよ。
美術はあっても、工芸はなかった。
そもそも恵泉女学園というのは、割合と自由な校風でした。
もちろん何もない時代でしたよ。戦後すぐのことですから。
終戦が、私が小学校の5年か6年。
そのあとすぐに恵泉女学園に進んだんです。
先生方もすばらしかった。
たとえば明田川孝(あけたがわ・たかし)先生っていう、
彫刻家のかたで、オカリナっていう楽器を
日本に広めた方が着任なさっていたり、
絵画の先生は、堀文子さんでした。
今でも活躍してらっしゃる、日本画家です。
中学2年のとき、その堀先生の授業で、
「布にアップリケしたバッグを作りましょう」
という時間がありました。
そういう自由なことをさせてくれたんですね。
手提げ鞄に、自分のデザインで
好きなものをつけていいですよ、と言われ、
私は「待ってました!」って。
そういうものがつくれることがうれしいのと、
やりたいモチーフがいっぱい思い浮かんで、
がんばったんです。
自分としては上出来で、
「ちょっとほめてもらえればもっとうれしいな」
ぐらいに思っていたんですけれど、
堀先生は、ひと目見て、
「これは盛り込みすぎていますね」。
厳しくピシャーッとやられました。
そのときわかったのは、
いくら気持ちがあっても、
表現が悪かったらだめなんだ、ということ。
先生も「できたわね、感心ね」
なんていうスタンスじゃないんですよね。
別の先生からは、
絵のコンテストに作品を出してみないか、
と言われたこともありましたから、
「え、ひょっとしたら、
そういう(表現の)道もあるのかな‥‥」
なんて、チラッとは思っていたんですけれど。
つくっていたといえば、洋服でしょうか。
というのも、私立の学校だから、
あんなに物がない時代でも、
みんな、少しはおしゃれをしてくるんです。
でも、恵まれた人ばかりではないから、
私は「つくる以外にない」と思って、
婦人雑誌の付録を見て、型紙を起こし、
まず、白い布でブラウスをつくりました。
自分で作れば、
自分が欲しいようなのができるでしょう?
もちろんミシンもありませんでしたから、
「ステッチなんて、それらしく似ればいいんだわ」
なんて割り切ってね。
襟も好きな形にトリミングして。
スカートは、母の着物の布か何かで、
6枚はぎのフレアスカート、
サスペンダーが付いたものをつくりましたよ。
そうしたらみんなに「すごい!」
「かわいい」なんてほめられて。
だから、ものをつくりたい、表現したい、というよりも、
そのころ芽生えたのは、
「自分でやればいいんだ」っていう気持ちでしたね。
編み物でも縫い物でも、
自分の着るものは自分の手で作ればいいんだ! って。
そうすれば、欲しいもの、好きなものができる。
基本さえちょっと習えばできるんだ、って。
大学は女子美(女子美術大学)に進みました。
女子美には、染織工芸科があったんです。
絵には自信がなかったんですけれど、
布を扱う科目なら、
手仕事が補ってくれるかしらと思って。
何か、夢があるような気がしたんですね。
織物の先生が柳悦孝(*)先生。
作家としてすばらしいのはもちろんですけれど、
とてもユニークな先生でした。
入学試験で、「お丈夫ですか?」なんて質問なさる。
体力はありますか、っていうことだったのね。
たしかに、染織には体力がいります。
*柳悦孝(やなぎ よしたか・1911~2003)
染織家。日本民芸館の創設者、
柳宗悦(やなぎ・むねよし)の甥にあたり、
女子美術大学工芸科の草創期に
教員として中心的役割を果たす。
のちに同大学の学長にも就任。
染め物は柚木沙弥郎(*)先生でした。
今も、非常に人気のある作家です。
あたたかい、ユーモアのある作品をおつくりになる。
学生時代に限らず、今に続くまで、
先生のお言葉にはいつも助けられました。
それを指標に生きてきたようなものです。
*柚木沙弥郎(ゆのき さみろう・1922~)
染色家。芹沢銈介に師事し、
草創期の女子美工芸科で教鞭をとる。
のちに同大学の学長もつとめ、
現在も染色家として活躍している。
受かったときは、それはそれはうれしかったんですよ。
でもね、入学して基礎を習ってからは、
あんまり熱心には学校へ行かなかったんです。
生意気になってきてたんでしょうね。
染色なら家でだってできるわ、なんて思っちゃって。
そうしたら、ばちが当たりました。
学生時代に、染色の作品を置かせてもらったお店があって、
卒業してすぐに、そこで
「個展をやってみないか」っていうことになったんです。
初仕事ですから、
張り切って作品をつくり始めたんですけれど、
うまくいかないんです。
つくるそばから失敗ばかり。
染料のデータを取るとか、
そういう基礎が、おろそかになっていたんですね。
色見本を作るところからやり直しました。
それでもなんとか、個展をそこで4回開きました。
それから銀座のみゆき通りにある文春画廊にも、
直接たずねていって交渉して。
そのときは、型染めの作品が中心でしたけれど、
通りかかった人も見てくれたりして、
すごくうれしかったですね。
でも、「また翌年も」っていうのは無理だったんですよ。
それは、数がそろえられないから。
ひとつの画廊を埋めるだけの数の作品は、
どうやっても1年間ではつくれないんです。
それでもなんとか2年かけて、
力を出し尽くしたっていう感じでつくって、
文春画廊での2回目の個展を開きました。
けれども「たいした作品ができていないなあ」。
あんまりいい気分ではなかったんですよ。
しかも、まる2年かけて作ったものが、
大半、売れたとしても、まったく採算が取れません。
どうしたって、持ち出しになるんです。
手仕事というものの、難関にぶつかったんですね。
「これでは暮らしていけない」と。
じゃあ、手仕事の未来ってどうなんだろう?
そのときからずっと、今も、それを考えています。
それからしばらくは、迷いました。
手仕事の道を続けていいのかどうか。
そのうち、手仕事で生活していける人なんて
ほとんどいなくなるんじゃないだろうか。
そんな予感がしていたのかもしれません。
そんな頃、ニューヨークと、中南米に行ったんです。
1965年でした。2か月の旅でした。
(つづく)
H.P.E.谷由起子 ラオスの布と手仕事展
2015年10月30日(金)~11月3日(火・祝)
TOBICHI② 11:00〜19:00(会期中無休)
ラオスのルアンナムターで、
少数民族のひとびとと一緒に
布をつくっている谷由起子さん。
ひと昔前までは電気もなく、
お金もたいして必要としていなかった、
クロタイ族、レンテン族、カム族のひとびとは、
衣食住のすべてを自給自足でまかなってきました。
なかでも「布」は、
桑や綿の種をまいて育てるところからはじまり、
蚕や綿から細い糸を紡ぎ、機で織り、
藍などの草や木の皮からつくった
染料で染めるところまでを、一貫して行っています。
もちろん、それを織り、刺繍をし、縫い、
暮らしに必要な「布製品」にすることも、
そのひとたちの手仕事です。
それは、作家がつくる作品でも、
職人がつくる工芸品でもありません。
家族や身近な親しい人のことを想って
「使うため」に、一心に作られているものです。
「ほぼ日」の「布のきもち。~ラオスの布」で
谷さんにお話をうかがってから4年。
このたび、TOBICHI2で、
谷さんの企画とラオスのみなさんの技術を
組み合わせてつくられた布や服、小物たちを
展示販売することになりました。
ぜひ、足をお運びください。
公開座談会「手仕事には未来がある。」のご案内
岩立フォークテキスタイルミュージアムの岩立広子さんと
陶工の鈴木照雄さんのおふたりをお招きし、
谷由起子さんと、手仕事の現在と、
これからについてお話をいただきます。
お話をいただくみなさん
岩立広子さん
(岩立フォークテキスタイルミュージアム館長)
鈴木照雄さん(陶工。栗駒陣ヶ森窯)
谷由起子さん(H.P.E.主催)
日時:11月1日(日)14時~15時30分
場所:TOBICHI2の1階の展示スペース
東京都港区南青山4-28-26
募集定員:10名
参加方法:
11月1日(日)午前11時より、
TOBICHI2の1階のレジで、
整理券を先着順にお配りいたします。
定員の空き状況は
「いまのTOBICHI」ページでお知らせいたします。
※11月1日(日)は公開座談会のため、
13時~16時のあいだ、
TOBICHI2の1階の展示スペースではお買い物できません。
ご了承ください。