さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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ほぼ日に譲渡されたものとします。



illustration:綱田康平
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お世話させてくれて、
ありがとう。
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父は一家の嫌われ者でしたが、
お天気のよい真昼に、
自宅で家族みんなに見送られ、逝きました。



ひとり暮らしをしていた父が脳梗塞になったとき、
私は長女だからという責任感で
迷うこともなく介護を引き受けました。



父と母は熟年離婚ではなく熟年別居中で、
というのも、
父が「世間に知れたらみっともない」と言って、
離婚を望む母の言い分に耳を傾けることを
まったくしなかったため、
母が勝手に出ていき、そのままになっていました。



父が悪性リンパ腫になり、最後が迫る頃には、
母も、私の妹も顔を出してくれるようになり、
介護を手伝ってくれました。



父の呼吸が終わりに近いような気がして、
訪問診療の先生に電話をかけました。
「延命はしないで自宅で看取るというのは
そういうことなんですよ、
外来が終わり次第行きますから、見守ってください」
と言われて、
父はまもなく静かに息をひきとりました。



家族全員に見守られて、父は逝きました。
その日は横浜の開港記念日だったので
夜には盛大にたくさんの大玉花火もあがりました。



私は父と離れて暮らしているうちに
昔のことはすっかり赦せていると思っていましたが、
介護がはじまったら、昔の思いが顕わになって、
父に文句ばっかり言って
怒ったり泣いたりしてしまいました。
介護って大変で辛いけど、
父だってそんな娘に世話されて嫌だったと思います。



けれど、そんな毎日を積み重ねていくうち、
怒られても何も言い返さず
ただ申し訳なさそうな顔をして
私に世話をさせてくれているって、それって、
父は私を赦してくれているってことで、
この人、もしかして
世界一心の広い人なんじゃないかと思ったんです。



父と母と私と妹という、
もともとの家族4人が一緒に暮らしていた頃も、
女3人から文句しか言われてなかったかも。
めったなことでは言い返さなかった父。
たしかに父は人の心に寄り添うような
やさしさはなかったけど、
そんなに悪い人ではなかったんじゃないか。
父と母はいつも意見が食い違っていて、
お互いに思いやりを失っていってしまったけど、
誰かひとりが悪いわけじゃない。
誰も悪くない、誰も悪くなかった。






いま、このメールを書きながら、
久しぶりに泣きました。
ここに書いたことすべて、
思い出しながら書いているので、
すっかりほどけた感情です。



お父さん、一緒に暮らしてお世話させてくれて
ほんとうにありがとう。
お父さんを嫌っていたときには
ありえないことで笑っちゃうくらいなんだけど、
お父さんの着ていたフリース、私、着てるんだよ。
それと、お父さんが離婚を拒否したおかげで
お母さんは遺族年金をもらえて、
生活費の心配もなく
介護サービスも安心して使わせてもらえて、
私もそのおかげでとても助かっているんだよ。
お父さんを介護したときのことを思い出して、
お母さんにはもっと優しく
もっと幸せなやり方で介護しているよ。
たくさんの贈り物をありがとう、お父さん。



(I)
2021-02-05-FRI
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売