さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
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最初から
やさしい気持ちではなかった。
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父は70歳を前に失語症になった。
母もその心労で認知症になった。
地方で暮らすふたりをみるために、
わたしは遠距離介護を続けたが、
限界をむかえてふたりは施設に入居することになった。



自宅に帰りたいとぐずる母だったが、
たんたんと施設の生活を送る父の横で
しだいに慣れていった。
わたしもできる限り通って、
泊まり込みで介護をした。



きれい好きな父のために、
ツルツルの頭に生えてくる毛をバリカンで剃ったり、
爪を切ったり、耳掃除をした。
痰の吸引やオムツの交換もした。
わたしは最初からやさしい気持ちで
それらをしたわけではない。



父は無口で癇癪もちで、
すぐに手を出して暴力をふるった。
父に対する嫌悪感や恐怖感は抜けきらなかった。



しかし、言葉を失い、
できないことが増えていくなかで、
父は決して落ち込まず前向きに毎日を過ごし、
認知症の進む母を心配していた。
そうした父の姿を見て、
最期までの日々を、穏やかに一緒に過ごす時間を
できるだけと持とうと思った。



父は次第に飲み込みが悪くなり、胃ろうになり、
寝たきりの時間が長くなった。
新聞も本も読まなくなり、
大好きだった相撲や野球の中継も観なくなって、
ひたすら天井を見ていた。
わたしはいつも帰るときに、
これが最後になるかもしれないと覚悟して
「お父さん、長い間ご苦労さま、そしてありがとね。
こちらのことは何も心配しなくていいから、
ゆっくり休んでね!」
と声をかけていた。



父の体力が次第に弱まっていき、亡くなる少し前、
看護師さんが
「何か話しておくことはありますか?」
と問いかけると、父が
「T子(母)とA子(わたし)を、
よ・ろ・し・く・た・の・む」
と言ったとのことだった。



言葉を失った父が最後に振り絞ったひとことに、
父の深い愛情を感じ、ありがたさに涙が出た。
最期の看取りはできなかったが、
父と過ごした日々に後悔はなく、
あの世に旅立った父を
晴れやかな気持ちで見送ることができた。



(A子)
2021-02-10-WED
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売