旅先であつめた布やビーズで
一点もののアクセサリーをつくったり、
グラフィックやウェブのデザインを手がける、
女性4人のユニット「sunui/素縫い」。
「第一回 ほぼ日作品大賞」の大賞受賞
や、
ほぼ日手帳のカバー
などで、
彼女たちをご存知のかたも多いはずです。
2019年で結成15周年を迎えるsunuiを、
もっともっと知ってほしいと思いました。
やっぱりsunuiはおもしろいから。
はじめての方は、これを機会に知ってください。
東京のTOBICHIでは展覧会をひらきます。
ここでは、インタビューというかたちで
sunuiの魅力をお伝えしましょう。
日が落ちるのが早くなってきた10月のはじめ、
代々木のアトリエにお邪魔して、
15年間の活動についてうかがってきました。
どうぞお読みください。
あらためて、sunuiのことを。
>sunuiのプロフィール
──
今日は、3人で。
片平
そうなんです。
4人そろっていなくてごめんなさい。
白石が
「babaco」
という
アパレルブランドを運営していて、
いまはそっちに集中したいということで。
ですからTOBICHIでのイベントも
この3人で取り組むことになると思います。
──
ユニットだけでなく
個人でも活動しているsunuiですから、
そういう時期もありますよね。
来年で、結成15周年とうかがいました。
冨沢
はい、2019年で15周年。
──
15周年。
短い時間ではないです。
根岸
ええ(笑)。
──
ずいぶん前のことですが、
「ほぼ日作品大賞」のあと、アトリエに
ひびのこづえさんと糸井がうかがったとき
、
糸井がsunui のみなさんのことを
「バンドだね」と言っていたのをご記憶でしょうか。
片平
覚えてます。
「同じバンドの人たちだ」と。
──
バンドへのインタビューを読むときって、
「結成の物語」がたのしいじゃないですか。
なので、今日はあらためて結成のところから
お話をうかがっていきたいと思っています。
片平
わかりました。
──
では、ストレートにまいります。
sunuiは、どうやってできたバンドなんでしょうか?
片平
まず、わたしたちは大学の同級生なんですね。
在学中に、旅に行ったんです。
タイとラオスへ3週間の貧乏旅。
思いつきで、なんとなくこの4人で行きました。
──
なんとなく、思いつきで。
片平
冨沢が雑誌の切り抜きを持ってきて、
「ここよさそうなんだよね」って。
わたしと根岸は海外旅行をしたこともないのに、
「そこに行こう!」ってなったんです。
冨沢
手がかりが雑誌の切れ端っていう‥‥(笑)。
あのころは、『地球の歩き方』のラオス版がなくて、
『メコンの国々』という
いろんな国がガサッと1冊にまとめられた本を買いました。
──
かなり冒険的な旅ですね(笑)。
片平
そうですよね(笑)。
でも、たまたまこの4人で行ったんですけど、
食べ物の好みとか、
「このホテルは無理だけどここは大丈夫」っていう
衛生的な感覚とか、
旅をするときのいろんな基準がすごく同じだったんです。
あとから思い返してみても、
その旅に対して、なんのストレスもなかった。
冨沢
だれかが我慢していたら、
あんなにたのしくて、
気持ちいい旅にはならなかっただろうね。
──
そういう意味で、まずは気が合った。
片平
はい。
見るもの、買い物するものの好みが、
ちょっとの違いはあっても
大きくみれば似たところがありました。
そんな4人での旅ぜんぶがたのしくて、
そのたのしかった感覚が、
卒業してからもずっと残っていたんです。
で、わたしが、急になにかやりたくなったんですよ。
その、バンドみたいなものを。
──
いいだしっぺなんですね。
片平
いいだしっぺです。
そのときはインテリアの設計会社に勤めていて、
がむしゃらに働いていたら、失恋をして(笑)。
──
いろいろあった時期だった。
片平
そうなんです。
失恋をきっかけに、いろいろ考えました。
そしたら、4人で行った旅のことがふわっと出てきて‥‥。
みんなをご飯食べようと吉祥寺のお店に呼び出して、
そこでラブレターを手渡しました。
──
ラブレター!
片平
ラブレターというか、企画書というか‥‥。
「この4人でなにかしたい」
ということだけを書いて。
根岸
ほんとに「なにかやろう」だったよね。
お店をやろうとか、ものをつくろうとかじゃなくて、
「なにかやろう」。
──
まさしく「バンドやろう」ですね。
片平
やっちゃおう、みたいな(笑)。
で、みんな、すんなり「いいね」って言ってくれて。
根岸
そのとき、片平と白石とわたしは
会社に勤めていたんですが、
片平とわたしは辞めました。
──
辞めた。
根岸
白石は会社と平行して
sunui の活動をすることになりました。
冨沢もちょうど大学院を卒業するときだったので、
個人の作家活動とともにsunui をはじめることに。
冨沢
(ファイルの中を探しながら)
そのときの企画書あると思うんですけど‥‥。
あ、これはいちばん最初のではありませんが、
かなり初期の企画書です。
──
「yonbunno4[kari]」。
片平
駆け出しバンドの、仮の名前です‥‥(笑)。
──
「4分の4(仮)」ということですよね。
‥‥ああ、このバンド名もいいと思います。
約分すると「1」になる。
4人で1つ、ということですよね。
片平
はずかしい(笑)。
──
(企画書を読む)
「2年、もしくは3年間。
うまくいっててもいかなくても、
設定期間内はやりぬこう。
辛い時、期限があるからがんばれる。」
冨沢
熱い(笑)。
──
熱い。いいですねぇ。
このころは、活動としてはまだなにも?
片平
なにをするのか決まっていなかったけど、
とにかく、また4人で旅に出ました。
「旅で仕入れてきたものでなにか」というのは、
共通認識としてなんとなくあったんです。
──
具体的なイメージはまだないけど、仕入れにいく。
いわゆるバンドだったら、
どういう曲をつくるかっていうイメージがないままに
音を出していく、ということですよね。
片平
そうです、そうです。
仕入れ半分、ものづくり半分、のような活動が
できたらいいんじゃないかな、と
おぼろげに考えていました。
──
好きなものが同じだから、できることですね。
根岸
でも、わたしたちの場合は、
みんなで同じのものをみて、
「これいいね! 買おう!」ではなくて、
それぞれが黙々と自分の好きなものを選んでいって、
あとで持ち寄ったときに、
「へー、そんなの買ったんだー」と驚き合う感じです。
──
そうくるんだ、みたいな。
冨沢
そうそう、それです。
バンドみたいに、とにかく、
それぞれが音を出してみて聴き入れながら、
着地点は見えぬまま、それに乗せて乗せて、
いつのまにか成り立っているような感覚。
そこに、sunui というものがあるだけで。
──
はー、おもしろいです。
最初の声がけから、sunui になるまでは
どのくらいの期間があったのでしょうか?
片平
たしか、半年くらいです。
この企画書を見ると、
2004年の1月にはsunui になっていますね。
sunui として本格的にスタートしたのが
2004年の春でした。
──
(ページをめくって)
すごい! 「 各自バイト」!!(笑)
冨沢
月曜しかお休みがなかった(笑)。
──
でも大切ですよね、
具体的にどうするのかって。
片平
一人暮らしをしていたのが白石だけだったので、
彼女の部屋にみんなであつまって、
ワクワクしながらこういうことを決めていきました。
根岸
それで、いざスタートするときに、代官山のお店で
「わたしたち4人は、
『sunui/素縫い』として活動をはじめます!」
という、宣言というか、お披露目会をしたんだよね。
片平
うん。
根岸
マスコミ電話帳を見ながら、
いろんな雑誌の編集部にFAXをしました。
──
そのころには、
なにかやることが決まっていたんですか?
片平
はい。
「smile market sunui」という名前で、
週末だけのお店を開くことが決まっていました。
お店といっても、
下北沢にある小さなバーの一角を間借りしてはじめた、
大人のお店やさんごっこのようなものでしたが(笑)。
(つづきます)
2018-10-31-WED
お菓子のアルミカップ、アジアの布や糸、
ビーズやボタン、なににつかうのかわからない金属‥‥。
作品になるまえの「素(もと)」が、
sunui のアトリエからTOBICHI にやってきます。
外国の市場を思わせるようなごちゃっとたのしい空間に、
ぜひ遊びに来てください!
sunui の素(もと)
2018年11月2日(金)~11日(日)
11:00 - 19:00 会期中無休
TOBICHI② 東京都港区南青山4-28ー26
詳細は
こちらのページ
をご覧ください。
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN