斉吉さんと、八木澤さんと アンカーコーヒーさんと、糸井重里で 六花亭を訪問しました。
 
第6回 「正解」はなかった。
小田 聞いていいかどうか、迷うんですが‥‥。
和枝 どうぞ、どうぞ。
小田 斉吉さんのところは
身近な人たちは、無事だったんですか。
純夫 家族や社員の範囲に限っていえば
犠牲者は、ひとりも出ませんでした。
小田 それは、よかった。

別に被害のあまりないエリアにいた‥‥
というわけじゃないですよね。
和枝 とても被害をこうむったエリアですけど、
逃げ足が速かったんです。
純夫 やはり、いちばん海に近いところに
工場が建っていたので、
「津波だ! 逃げろ!」しかなかったです。

逆に、海からちょっと離れた場所の人が
家族を迎えに行くとかで
逃げ遅れたり、ということはありましたが
うちは、とにかく海に近いから。
小田 津波のことが、怖かったんですね。
和枝 必ず逃げることになっていました。
糸井 でも、やっぱり「紙一重」なんですよね。
みなさんの話聞いてると。

斉吉の社長は、
和枝さんから「亡くなった」と思われてたし。
小田 そうなの。
和枝 今、思い返しても、肌が泡立つんですが‥‥
地震が起きたとき、
社長と一緒に、海辺の工場にいたんです。

でも、一緒に逃げずに
社長はいちど、父と母を見に行こうと、
自宅に戻ったんです。
小田 ‥‥ええ。
和枝 私は、工場の人たちと逃げたんですね。

でも、何となく気になってしまって、
私も自宅に戻ったんです。

流れとは逆の方向に、海の方へ向かって。
小田 はい。
和枝 で、自宅で社長と合流して、安心したんです。

私たち、親から
昭和30年代の「三陸チリ津波」のときの
話を聞かせられていて、
怖い津波になると、一階の畳が浸かるんだと‥‥。
小田 つまり、その程度だと?
和枝 はい。

恐ろしかったことは聞きつつも、そのくらいで
自宅で社長に会って安心したんですね。

逃げる途中で渋滞につかまっていたとき、
うちの商品で
「炭火焼きの牡蠣のオリーブオイル漬け」
というのがあるんですけど
炭の火が消えたかどうかが気になって‥‥。
小田 ‥‥ええ。
和枝 私、社長に「あの火‥‥消えたよね」って
聞いてしまったんです。

そしたら社長は、
「あ、ほんだな。俺もう一回見でくっから」と
海のほうへ引き返して行ったんです。

私は、もうすぐ山だったんで高台へ歩きました。
そしたら、大きな波が「バーン!」って
車を巻き込みながら迫ってくるのが見えて‥‥。
小田 ‥‥社長は?
純夫 前から波が来てるのがわかったんですが
幸い、海のほうへ向かう人は
いなかったんですね、前にも、後ろにも。

だから、反対車線をバックで走りました。
小田 波と競争しながら逃げた、バックで。
和枝 私は、高台に上がって間もなく波が‥‥
波というより、
家が塊になって流されてくるのが見えたんで、
私は社長に
なんてことを言ってしまったのかと‥‥。
小田 言葉にならないでしょうね。
和枝 本当に、本当に、凍りつきました。

家の人たちと
何げなく別れてしまってそのまま‥‥
という人が、
気仙沼にも、三陸沿岸にも、
たくさんいらっしゃることを思うと、
私たちは
本当に幸いにして、助かったんです。
小田 でも、よく逃げ切れましたね。
純夫 たぶん、平野の波だと速いと思うんですが、
建物を壊しながら来たんで‥‥
ある程度
スピードは遅かったのかも知れないですね。
糸井 どこまで、バックで?
純夫 そのうち、車がいっぱいになったので
途中から車を捨てて走って逃げました。
小田 車を捨てた人と
捨てなかった人の差って、ありますか。
純夫 あると‥‥思います。

でも、どっちが良かったかというのも
状況によってちがうと思います。
糸井 車で逃げたから助かった人もいるし、
車で逃げて、ダメだったっていう人もいる。
和枝 何が正解かは‥‥なかったです。
純夫 僕の前を
和服のお婆ちゃんが歩いて逃げていたので
このままだと
この人、
ぜったいに波に追いつかれると思ったんで、
脇に抱きかかえて‥‥。
小田 赤ん坊みたいに?
純夫 そう、高台のふもとまで走りました。

そのお婆ちゃんは
「いだい、離せ!」つってましたけど。
小田 そのとき、和枝さんは?
和枝 もう、炭の火だなんて
私は、何てこと言ってしまったんだろう、
どうしようと
生きた心地がしていませんでした。
小田 そうでしょう。
和枝 でも、ある人が教えてくれたんです。

「おたくの旦那、
 下で交通整理してたよ」って。
<つづきます>
2012-10-10-WED
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