糸井 |
僕が藤田さんを知った
大晦日の「朝まで生テレビ!」では
茨城大学の
高妻(孝光)教授も出てらっしゃいましたよね。
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藤田 |
はい、向かい合わせの席でした。
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糸井 |
以前から、お知り合いだったんですか?
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藤田 |
高妻先生と、はじめてお会いしたのは
昨年の10月くらいです。
茨城県にも放射性物質が飛んで来ていたので、
先生は、積極的に
農作物や魚介類を検査してらっしゃいました。
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糸井 |
ええ、ええ。
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藤田 |
私たちも相談させていただいたんですけど
はじめは
「じゃあ、とりあえず何か送ってください。
検査しますから」
みたいに言われると思ってたんですね。
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糸井 |
はい。
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藤田 |
そしたら先生、「とりあえず、行きます」と。
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糸井 |
ご自身が?
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藤田 |
そうです。
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糸井 |
へぇー‥‥。
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藤田 |
「どういう人が、どういう場所で、
どんな気候のもとで、
どういうものをつくっているかを
きちんと見ないと。
ただ単に検査をするというだけでは
意味がない」って言って、
ボランティア同然で
福島へ駆けつけてくれたんです。
こういう先生とやっていきたいって
強く思いました。
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糸井 |
高妻先生と出会われるまでは
地元のかたが
専門家から助言を受けたりすることって
なかったんですか?
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藤田 |
いえ、ありました。
チェルノブイリで研究されていたかたなど
専門家の先生を招いてのお話は、たびたび。
まず、私たちが放射能について知らないと
何も前に進まないので。
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糸井 |
そうですよね。
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藤田 |
ただ、そのように知識を得るまえからも
自腹で、放射性物質の検査機関に
農作物を検査してもらっていたんですが、
1品目、2万円くらいかかるんです。
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糸井 |
それは‥‥高いですね。
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藤田 |
国が、農作物をピックアップして検査して
基準値以下なら出荷できる
というような状況ではあったんですけれど、
やはり、お取引先さまなどからは
国や県の基準とは別に
安全性を確認してほしいという要望もありまして。
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糸井 |
それは、いつくらいの話ですか?
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藤田 |
そうですね、自費で検査に出すようになったのは、
夏野菜の収穫がはじまる
7月の中旬から下旬ごろだったと思います。
ともかく、勉強せざるを得ませんでした。
「今そこにある危機」ですから。
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糸井 |
真剣ですよね。
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藤田 |
本気です。あの事故が起きるまでは
放射能なんて、まったく無縁だった人たちが
今や、すごい高度な話をしてます。
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糸井 |
僕たちは「おおむね、こういう状況なんだ」
という理解をしてますから、
「ひとつひとつの、具体的な数値」までは
暗記してはいないです。
でも、実際の現場にいる藤田さんなんかは
そういうデータも、ぜんぶ‥‥。
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藤田 |
はい、覚えていますよね。
専門家ではない私たちにとって
放射性物質が
どのように崩壊していくのか、などについて
理解するのは難しいですが‥‥。
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糸井 |
それこそ、学問の世界の話ですもんね。
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藤田 |
でも、放射性物質というものは
カリウムと競合するため、
土壌の「カリウムの濃度」を高めておけば
農作物が放射性物質を吸いにくくなる‥‥とか、
営農に直結する
実学的な部分については、本当に詳しく学びました。
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糸井 |
そこは「作物をつくるプロ」の意識で。
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藤田 |
放射能の専門家になりたいわけではなくて
これから、この福島で
「実際に営農していくための知識」を
積極的に集めたんです。
この地で生きていくための、必要な知識を。
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糸井 |
さっき、震災から1ヶ月後の会合で
藤田さんの先輩が
「はやくも前を向いていた」という話が
ありましたけど、
でも、そこでもし、悲観的な発言や考えかたが
会議の大半を占めていたら
「みんなで辞めようや」となった可能性も‥‥。
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藤田 |
ゼロではなかったと思いますよ。
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糸井 |
何が「分けた」んでしょうか。
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藤田 |
やっぱり、ぼくら
「けっこう楽しくやってた」というのが‥‥。
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糸井 |
いいなぁ(笑)。
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藤田 |
実際、おもしろい人たちの集まりなんです。
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糸井 |
それは「強そう」だ。
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藤田 |
僕たち以外にも、
郡山農学校というグループがあるんですけど、
農家と協力しながら
郡山市の農業を盛り上げていこうとしてたり。
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糸井 |
ああ、他にもいらっしゃるんですね。
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藤田 |
以前、郡山市美術館で
ピーター・ラビットの展示会をやったときに、
「ウサギっつったら、野菜じゃね?」と。
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糸井 |
はあ。
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藤田 |
美術館にカラフルな野菜を飾って
「農はアートである!」なんて言ってみたり。
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糸井 |
へぇー‥‥。
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藤田 |
私たちは「農業経営者」ですから、
利益を上げることも、もちろん重要ですけれど
そのためだけに集まっていたら
生まれてこない発想だよなぁと思いますね。
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糸井 |
お話を聞いていると、
やっぱり「人が支えた」んでしょうね。
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藤田 |
そう思います。
冷静な計算とか、むずかしい理屈なんかを
越えていけたのは
やはり「自分たちの気持ち」の部分でした。
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糸井 |
状況はそれぞれに違うんだけど、
どこで聞く話も
やっぱり最後は「魂の問題」になっていくんです。
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佐藤 |
昨年の夏、福島県内の農業生産者の映像を
撮り歩いたことがあったんです。
「ふくしま新発売。」のホームページに
載せるためなんですが、
田んぼや畑で作業している農家のかたに
「すみません」と声をかけて。
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糸井 |
ええ、ええ。
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佐藤 |
そのとき、元気な人がとても多かったことに
勇気づけられたんですね。
若い人だけじゃなく、
70代後半くらいのおじいちゃんなんかも
「俺は、がんばるから!」って。
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糸井 |
ああ‥‥そうですか。
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藤田 |
もちろん、もっとずっと若いのに
「もう、この商売はダメだから
はやく国に補償してもらわないとね」と、
諦めかけている人も、一方にはいて。
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糸井 |
やっぱり、そこは「分かれる」んだ。
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佐藤 |
年齢に関係なく
ネガティブな考えにとらわれてしまうと
そういう言葉しか、出てこない。
本当に「魂の問題」だと思いました。
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糸井 |
前向きでも、後ろ向きでも、
そこにある「大変さ」や「苦しさ」については
「どちらも同じ」と言えるじゃないですか。
でも、同じ道を進んでいくプロセスに
よろこびを感じられるのは
「前向き」なほうの人だと思うんです。
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藤田 |
「後ろ向き」じゃ、楽しくやれないですものね。
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糸井 |
あの‥‥話していて、藤田さんは
とても「前向き」に考えてらっしゃるなあと
思うんですが、
なぜ、そういう心境になれたと思いますか?
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藤田 |
たぶん「辛いのが嫌なだけ」だと思います。
もう、起こってしまった出来事は
変えられないけれども、
その「意味づけ」は「あとからできる」んだって
聞いたことがあるんです。
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糸井 |
なるほど、ええ。
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藤田 |
出来事は、厳然として存在する。
でも、その出来事を眺めるための「メガネ」は
いろんな種類があると思うんです。
もし「悲しみ、絶望、怒りのメガネ」を
かけてしまったら
やっぱり、すごく辛くなってしまう。
ですから私は、どうせなら
「楽しくて嬉しい、希望のメガネ」を
かけたいなって、思ったんです。
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糸井 |
それって、事実は同じだけれど‥‥。
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藤田 |
はい。
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糸井 |
受け取りかたが、ぜんぜん違ってきますね。
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藤田 |
事実、失ったものはすごく多いですけれど、
事故の前にはなかった「何か」も、
すこしずつですが
生まれてきているなと、思っています。
それが何であるのかについては
はっきりとは、まだ、わからないんですが。 |
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<つづきます> |