糸井 |
藤田さんは、個人の農園主なんですか?
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藤田 |
はい、家族経営で農家をやっています。
私で8代目になるんですが。
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糸井 |
農家の、8代目。
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藤田 |
この家の世帯主は父ですので、
私はいろいろ
好きにやらせてもらっているんですけど、
専業農家として
米をメインに、あとは野菜なども、少し。
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糸井 |
藤田さんを知ったのは
この大晦日から元旦にかけてやっていた
「朝まで生テレビ!」なんです。
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藤田 |
あ、そうでしたか。
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糸井 |
口角泡を飛ばしてしゃべるんじゃなく、
じっくり考えて
一歩ずつ、確実に進もうとしている姿を見て、
もっと、藤田さんのお話を
聞いてみたいなって、思ってたんですよ。
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藤田 |
ありがとうございます。
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糸井 |
で、さっそくなんですが
藤田さんの関わっている「ふくしま新発売。」という
プロジェクトのお話から‥‥。
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藤田 |
はい。
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糸井 |
これってつまり、どういうものなんですか?
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藤田 |
今、福島県では
2万点以上の農林水産物について
放射性物質の
モニタリング検査を実施しているんですけれど、
その結果を
インターネット上で
わかりやすく検索できるようにしたんです。
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糸井 |
つまり、お米から、桃から、一品づつ。
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藤田 |
はい。放射性物質の検査は
これからの福島県の農林水産業に
絶対、欠かせないものになってきますので、
しっかり伝えていこう、と。
また、データや数字を並べるだけではなく、
福島県に住んでいる農家の人間が、
どういうふうに生きて、どういうふうに考えて、
どういうふうに
前へ進んで行こうとしているか‥‥についても
情報発信しています。
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糸井 |
いつから、はじまったんですか?
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藤田 |
スタートしたのは、昨年の8月ですね。
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糸井 |
ふつうに考えたら‥‥
つまり、
藤田さんたちの自然な気持ちとしては、
「なんで、おれたちが
こんなことしなきゃならないんだ?」
という感情だって、あったでしょう。
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藤田 |
そうですね。それは、ありました。
やはり、事故直後の昨年3月4月の段階では
「どうして
こんなことになってしまったんだろう、
私たちが
何か悪いことをしたんだろうか?」と
悩んだ時期もありました。
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糸井 |
まだ、原発の状況が
どうなるかも、わからない段階ですよね。
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藤田 |
ええ。しかし残念ながら
放射性物質は、降り注いでしまいました。
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糸井 |
はい。
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藤田 |
自分たちの置かれた状況を悲観して
自ら命を絶った人も、いらっしゃいました。
私たちも、そういった悲しいできごとを
経験したうえで、
やはり‥‥どう言ったらいいのか‥‥
ようするに
「起きてしまったものは、しかたがない」
という思いにいたったんです。
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糸井 |
つまり「事実ではあるから」と?
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藤田 |
ええ。放射性物質は、降ってしまった。
だったら
「その状況から、どうしようか?」と
考えるようになったんです。
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糸井 |
なるほど‥‥。
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藤田 |
最初の一歩は
やはり「実際、どれくらい降っているか」を
きちんと知ることでした。
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糸井 |
農作物に、どれだけ被害が出ているのか、を。
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藤田 |
そこを確かめない限り、
前に進むことができませんでしたので。
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糸井 |
「どうして?」から「きちんと知ろう」に
気持ちの切り替えができたのは
事故からどれくらい経ってから、でしたか?
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藤田 |
人それぞれだとは思います。
ですので、個人的な話をさせていただきますと
私は「あおむしくらぶ」という
地元農家のグループに属しておりまして、
4月12日と13日に
みんなで集まって、会議をやったんですね。
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糸井 |
つまり、震災から1ヶ月後。
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藤田 |
暗い話になるだろうと、覚悟して行きました。
当然、はじめは「地震、大変だったね」とか
「放射性物質、降っちゃったね」
というような話題からはじまったんですけど
時間が経つにつれて
「‥‥んじゃあ、
今年の新しいブランド野菜、何にしようか」
という話になっていったんです。
私、もう、びっくりしてしまって。
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糸井 |
へぇー‥‥。
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藤田 |
「あ、そういう流れなのね」みたいな(笑)。
もちろん、放射性物質の話も出ましたけど、
でも、それ以上に
「今までやってきたことを、継続してやろう」
という前提で、会議が進んでいくんです。
ほとんどが、私より先輩なんですけど、
「この人たち、本当にすげぇな!」と(笑)。
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糸井 |
お幾つくらいの人たちなんですか。
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藤田 |
中心となっているのは、30代から40代で
50代から70代のかたが「数人」ですから、
他と比べると、
比較的、若いグループですね。
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糸井 |
みなさん、
なぜ、そんなに強かった‥‥んでしょうか。
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藤田 |
たぶん「1回、沈んだあと」なんです。
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糸井 |
ああ‥‥乗り越えてきたんだ。
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藤田 |
はい。
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糸井 |
でも、4月の段階で
そういう会議ができるのって‥‥すごいです。
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藤田 |
私も、本当に、そう思いました。
「後輩の私が、ヘコんではいられない」
という気分になりましたから。
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糸井 |
沿岸部で、津波の被害に遭った人たちと
話をしていると、
「個人事業主」は立ち上がりやすいんだなって
思うことがあります。
被害の大きさを嘆くよりも
「自分の会社を、なんとかしなきゃ!」という、
リーダーとしての気持ちに
切り替わるのが、早かったのかもしれないです。
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藤田 |
それは、そうかもしれません。
やはり、われわれも「農業経営者」ですから。
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糸井 |
まだまだ余震が続いている段階で
中小企業の社長が
「どうやって、会社を建て直すか」について
考えていたという話、よく聞きますよね。
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藤田 |
とくに、われわれのグループには
「経営者としての視点」を持っている人が
多かったので‥‥
4月の段階であの会議ができたというのも
そうですね、
そのことが大きいかもしれません。
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糸井 |
僕、福島へは何回か来ているんですけど、
ほんと、いい景色が広がってますね。
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藤田 |
ありがとうございます。
私にとっては、
子どものころから住んでいる場所なので、
ふつうなんですけど(笑)。
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糸井 |
ああ、そりゃそうですよね。
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藤田 |
でも、私の妻は
東京の団地で生まれ育ったものですから
最初、福島へ来たときは
「空が広い!」って言ってました。
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糸井 |
うん、たしかに。
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藤田 |
私たち、やっぱり「いいところ」に
住んでいるんだなと思います。
今回の震災、そして原発事故のあとは、
とくに、そのことを
いっそう強く感じるようになりました。
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糸井 |
ことさらに「美しい!」とか
そんな大げさなことは言いませんけど、
こちらのお宅に着くまであいだ、
道ばたを歩いている
おじいさんやおばあさんを目にしたら、
なんて言うんだろう‥‥。
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藤田 |
ええ。
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糸井 |
「本当はさ、こうなんだよなぁ」って、
そういうふうに、思ったんです。 |
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<つづきます> |