ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 郡山 ふじた農園 篇
第3回 よりよいものを、作ること。
糸井 失うばかりでなく、得るものも、あった。
藤田 まだ、おぼろげで
言葉にもできていないんですけど‥‥
あったと思います。
糸井 ぼくら、たいした被害のなかった側から
言えることではないですし、
表現のしかたも難しいんですけれど、
被災した人の中には
「いいことも、あったんだよ」って
おっしゃるかたが、けっこういるんです。
藤田 そうですか。
糸井 強がりじゃなく「実際にあるんだ」って。
藤田 私の場合、何か得るものがあったとすれば、
「いい仲間に恵まれていた」
ということが、大きかったと思います。
糸井 それは、大きいですよね。

震災後、仲間と「集まる」ことで
人が、勇気をもらったり、前に進んでいるのを
いろんな場面で見たりしたので。
藤田 そういう意味で、いま、いちばん怖いのは
「対立」や「すれ違い」だと思っています。
糸井 僕もそう思います。
藤田 たとえば、福島県の農作物については
こちらの思いが届かずに
悪くすると
消費者と「対立」しているかのような状況に
陥ってしまう可能性があります。
糸井 ええ‥‥悲しいことですけど。
藤田 私たち生産者としては
「応援する気があるなら、食べてほしい」
だなんて、絶対に言えません。

なぜなら、原発事故が起きようが起きまいが
どの農作物を手にとるか、
その選択をするのは、お客さまの側ですから。
糸井 ええ。
藤田 だから、私たちにできることは
ただ「よりよいものを作ること」なんです。
糸井 ‥‥そうなんでしょうね。
藤田 これからも福島の農業で生きていくには
お客さまに
選んでいただけるものを作ることが、第一。

そのとき「放射性物質の検査」は
そのための「ひと手間」が増えただけだと
思ってやっています。
糸井 つまり「ハンデ1」なんだ、と。
藤田 はい。その「ハンデ1」を乗り越えるために
「私たちにできることは何か」
ということを、徹底的に考えました。
糸井 ほう。
藤田 やはり「私たちにできること」として
最低限必要なのは「放射性物質の検査」です。

さっきの「あおむしくらぶ」のページでは
品目別のQRコードから
放射性物質の検査結果を参照してもらうんですけど
それだけじゃつまんないので‥‥。
糸井 「つまんない」という動機がいいですね。
藤田 いや、放射性物質のことだけを考えていると、
ほんと、疲れてくるんですよ。
糸井 「後ろ向き」ですものね。
藤田 そこで、放射性物質の検査結果といっしょに
栄養価や糖度も調べて、紹介しているんです。

つまり、QRコードから飛んでいく「先」を
「PRの場所」にしちゃおうと。
糸井 「前向き」ですねぇ!
藤田 たしかに、他の生産地からしてみると
「ハンデ1」なんですけど、
放射性物質の検査は
「福島では、当然やるべきこと」として
もう、組み込んで考えています。

そこへ、何を「プラス」していけるか。

そっちを考えたほうが
私たちも、やっていて楽しいんです。
糸井 この感じ‥‥いいです(笑)。
藤田 そう考えるようになってからは
放射性物質の検査は
私の営農の中の「ひと手間」でしかないので
ハンデとも思わなくなりました。

そんなことより「プラスα」の部分で
いかに「自分たちの腕を見せるか」ですから。
糸井 そう思えたのって、いつごろですか?
藤田 昨年の10月くらいです。

震災直後の4月の段階でも
次の新しいブランド野菜はどうしようかと
話し合ってましたが、
同時に、放射性物質への対策を勉強したり
試行錯誤したりしていて
「なんか、すごい疲れるなあ」って。
糸井 マイナスをゼロに戻す話ですものね。
藤田 はい、そうなんです。
「ゼロにするだけ」だと疲れてくるんです。

なので「ついでだから、プラスにしようよ」
という発想が出てきたんだと思います。
糸井 そう思えたのが「10月」ですか。
藤田 ええ、米の収穫が終わったくらいです。
糸井 なるほど‥‥。

ちなみに、このあたりのお米って
放射性物質の影響は、どうだったんですか?
藤田 郡山市では、ほぼ「ND」(不検出)です。

個人的にも、茨城大学の高妻先生にお願いして、
「米ぬか」を、ゲルマニウム半導体検出器で
2時間以上、
しっかり調べていただいて、「ND」でした。
糸井 おお、よかった。
藤田 放射性物質というのは
白米より玄米、玄米より米ぬかのほうに
多く蓄積するんですね。

米ぬかで「ND」ですから
自分たちの米も、いけるんじゃないかと。
糸井 その結果は、勇気をくれますね。
藤田 本当に。
糸井 仲間のみなさんも、大丈夫だったんですか?
藤田 はい。郡山自体で、恐れていたほどには
影響がなかったとわかったので
「それだったら
 もっと、楽しいことをやっていこうよ」
という雰囲気になっていったんです。
糸井 学校の試験の発表じゃないですけど
「合格した」ことで、
みんなの顔が輝きはじめたんですね。
藤田 ただ、同時に「覚悟」もしていたんです。

検査の結果が「ダメ」だったときには
すぐに気持ちを切り替えて
別の一手を打とうと思っていました。
糸井 経営者ですね、そこは、やっぱり。
藤田 そうですね。
みなさん、同じだったと思いますけれど。
糸井 その、ダメだったときの「次の一手」を
おうかがいできます?
藤田 ええ、たとえば‥‥。
糸井 「ダメ」にも「2種類」、ありますよね?

数字的に基準値以下の「セーフのダメ」と、
基準値から出ちゃった「アウトのダメ」と。
藤田 昨年の暫定基準では
「1キロあたり、500ベクレル」でしたが
予備的検査をやってみて
そこまで検出される可能性は
ほとんどないだろうと、わかっていました。

ですから、可能性があるとすれば
「セーフのダメ」だと、思っていたんです。
糸井 その場合は‥‥。
藤田 「メイド・イン・福島」は厳しいので
「メイド・バイ・福島」をやろう、と。
糸井 メイド・バイ・福島。
藤田 福島の農業者の米や野菜を、別の地域でつくる。
糸井 なるほど。別の県に出ていく。
藤田 はい。
糸井 広い「福島県」を「もっと広く使う」、
というやりかたも考えられますよね。
藤田 はい、そうですね。

でも、私たちとしては、新潟でも、栃木でも‥‥
「世界」でもいいなって思ってました。
糸井 つまり「自分たちが動いていく」んだ。
藤田 基点は福島に置きながらも
「メイド・バイ・福島」というかたちでやって、
お客さまからいただく代金のうちの
いくらかを
農地の除染に使うことができたら
福島の復活も
早まるんじゃないかと、考えていたんです。
糸井 そこまでの決意で、結果を待っていた。
藤田 はい。

<つづきます>
2012-07-13-FRI
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