- ──
- 藤田さんのところでは、
震災のときは、どうだったのでしょうか。
- 藤田
- あの年は‥‥ワカメがものすごくよくて。
単価もずっと高かったから、
今年は勝負できるなって思ってたんです。
- ──
- そうなんですか。
- 藤田
- 地震の当日は、集荷の日だったので、
ワカメを軽トラックに載せて、
自宅に向かって、走ってたんですよ。
で、自宅の目の前で、地震に遭った。
- ──
- 揺れた?
- 藤田
- 軽トラがパンクしたと思ったんです。
走ってるのにガタガタ揺れたから。
でも、前から歩いてきた女子高生が
キャーッとか叫んだんで、
何かおかしいと思って降りたら、
もう、ものすごい揺れだったんです。
- ──
- ああ‥‥。
- 藤田
- 家に着くなりワカメを下ろしました。
子どもらは学校と幼稚園に行ってて、
親父とお袋は内陸の温泉へ、
妻は、気仙沼市内のパーマ屋さんへ。
- ──
- じゃあ、みなさん、お留守だったと。
心配だったでしょう。
- 藤田
- とにかく、まずは子どもを
迎えに行かないといけないなと思って、
小学校まで行ったら、
妻が幼稚園から息子を乗せてきました。
小学校の娘を探したんですけどおらず、
そろばん塾のほうにもいなくて、
でももう一回
学校のほうに戻ったら、会えたんです。
- ──
- おお、よかった。
- 藤田
- 妻と娘と息子と4人あわさって、
とにかく嫁の実家が高台のほうなんで、
そっちへ避難させました。
で、自分は消防で出ていったんです。
- ──
- あ、地域の消防団に入ってらっしゃる。
- 藤田
- うん、そこから海のほうへ戻って、
漁港のあたりを回って避難誘導しながら、
気仙沼向洋高校のほうへ下りてったら、
下から登って来る人たちが、
「津波だ、逃げろ、流されてる!」って。
- ──
- わあ。
- 藤田
- 海を見たら、家が流されはじめてました。
ああ、これはダメだと思って。
- ──
- それは、地震から何分後くらいですか。
- 藤田
- 地震が2時46分でしょ、
だから‥‥3時半ごろだったのかなあ。
ともあれ、そこらへんにいた中学生を
6人くらい乗っけて、
内陸にある避難所に向かったんだけど、
走りながら左を見たら、
田んぼに黒い海水が入ってきていて。
- ──
- ものすごい速さだったんでしょうね。
- 藤田
- うん、家が流される光景なんか、
やっぱり見たときなかったもんだから、
呆然としちゃうっていうか、
いったい、何が起きてるんだろうかと。
- ──
- 見たことのない光景に、
思わず立ち止まってしまうという話は、
けっこう聞きました。
- 藤田
- それ以降はもう、
消防として、とにかくけが人の救助を、
えんえん、やってた感じです。
- ──
- 藤田さん、ご自宅も、工場も‥‥。
- 藤田
- もう、何もかも残ってませんでしたね。
消防で動いて、夜は避難所で寝て。
- ──
- そういう状況が突然、ですものね。
- 藤田
- 情報がないので状況がわからないし、
消防の無線から、
陸前高田壊滅状態とかって言葉だけが、
聞こえてくるんです。
家族とも会えなかったんですが、
もう、だれの携帯もつながらないなか、
俺の携帯だけが鳴ったんですよ。
- ──
- おお。
- 藤田
- それは、南でカツオ船に乗っていた
義理の弟で、
衛星電話で電話をよこしてきて。
その電話で、
家族全員が無事だってわかりました。
- ──
- 義理の弟さんが、
遠い海の上で情報を集めたんですね。
震災のときの気仙沼で覚えてるのは、
大きな火事があったことです。
- 藤田
- そうですね。ただ、地震当日の夜は、
停電していたし、
まったく情報が遮断されていたので、
火事が起きているとは、
ぜんぜん、わからなかったんです。
ただ、市内のほうが明るく光ってた。
- ──
- 明るく。
- 藤田
- 避難所の体育館も
人でごった返していたんですが、
みんな寝付けず、外で火を焚いて
話をしていたんですよね。
今から思えば不謹慎なんですけど、
市内が何かきれいだなって、
みんなで言ってたら、それが火事で。
- ──
- でも、わからなかったんですもんね。
- 藤田
- 震災3日目だったかな、
市内の火事がひどいからっていって、
消防に集合がかかって。
- 山田
- 火事といっても、
ただの火事じゃないんです。
重油に火がついてたわけで。
- 藤田
- そう、火のついた油に水をかけても、
散った油が集まってきたら、
また、消えたはずの火がついちゃう。
- ──
- きりがない‥‥。
- 藤田
- 5日めくらいには、
市内で燃えていた火が海をわたって、
大島が燃えだしたんです。
- ──
- 火が、海を‥‥油をつたって?
- 藤田
- 海の上を油の膜が張ってたんですよ。
- ──
- じゃ、火の道が現れて‥‥みたいな。
- 藤田
- あるいは、火のついた材木なんかが
流されてったりしたそうです。
で、大島の亀山という山のうえって、
神様のいる聖地なんで、
大島の人たちは、
とにかく火を消したいということで、
俺らも応援に行ったんです。
- ──
- つまり、気仙沼から船に乗って。
- 藤田
- 夕方に港を出航して、途中で
自衛隊の船から食糧を積み込んだり、
そんなことをしながら、
ようやく大島に到着したら、
公民館の大広間‥‥みたいな場所に、
全員、集められたんです。
- ──
- それ、何人くらいで行ったんですか。
- 藤田
- 40人くらいかなあ、
まずはごはんを食べてくださいって、
缶詰を1個と
ペットボトルの水を1本、渡されて。
- ──
- まだ全然そういう状況なんですよね、
震災5日というのは。
- 藤田
- そのあと民宿に移動して、
出動するときはすぐに呼びますから、
まずは休んでくださいと。
でも、まったく寝れないんです。
全員が全員、
わけもわからず来てる感じでしたし、
停電はしてるし、
風呂も入ってないからみんな臭いし。
- ──
- ええ。
- 藤田
- 仕方なく横になってたら、
ドドドドッて自衛隊の人たちが来て、
「出動!」の号令がかかった。
俺たち全員バスに乗っけられて、
亀山の上のほう、
上がれるところまで上がったら、
「今から山火事を消します」と。
- ──
- それは‥‥どうやって?
- 藤田
- そう、消すったって、
誰も何にも道具を持ってないんです。
水揚げるポンプもあるわけじゃない、
スコップもあるわけじゃない。
だからもう、自分らの足ですよ、足。
- ──
- えっ‥‥つまり、火を踏みつけて?
- 藤田
- あと、持ってたペットボトルの水を
かけたりしてるんだけど、
そんなんで、消えるわけないんです。
- ──
- はー‥‥。
- 藤田
- びっくりしたのは、
「何とか隊何回生、小便放水はじめ!」
とかって号令がかかったら、
自衛隊の隊員さんが、
何人か「はいっ!」って言って、
おしっこして、それで消火活動してた。
- 山田
- ホントですか‥‥。
- ──
- すごい‥‥。
- 藤田
- 消えないですよ、消す能力がないから。
- ──
- 本当に極限的な状態だったってことが、
ものすごく伝わってきます。
- 藤田
- 結局、俺は、次の日のお昼くらいには、
気仙沼に引き上げてきました。
埒があかないし、地元の階上のほうは、
ご遺体だらけだったんで。
- 山田
- そうですよね、階上って、
被害の大きな地域のひとつでしたから。
- ──
- 大島の火は、消えたんでしょうか。
- 藤田
- 消えたけど、ただそれも、
消火活動がうまくいったっていうより、
火って道路で止まるんで、
あるていど、燃やし尽くしてしまって、
それで終わった感じです。
- 山田
- じゃ、しばらくは消防の活動が主で?
- 藤田
- うん。結局、1カ月かなあ、
消防団のテントで生活していました。
でも、これはお子さんを亡くした人が
おっしゃってたんですが、
消防の活動があって、
みんなで動いてたから持ちこたえた、
ひとりでいたらつぶれてた‥‥って。
- ──
- ああ‥‥。
- 藤田
- 目の前にやらなきゃいけないことがあって、
それも地域の人たちのご遺体が、
たくさん、たくさん、あったんです。
その人たちを、
どうにかしなきゃいけないという気持ちで、
自分とかも、もったようなもんで。
- ──
- なるほど。
- 藤田
- 結局、俺の地元の階上では、
ものすごく多くの人が犠牲になったんです。
みんな知り合いだし、
家族同然みたいな感じだったし、
ご遺体に、流されてきた毛布をかけながら、
ごめんね、
後できちんと運んでやるからねって言って。
- ──
- はい。
- 藤田
- あのころは、毎日毎日、
亡くなったと聞いて涙をボロボロ流すのと、
助かったと聞いて、
ああよかったなって涙をボロボロ流すのと。
その繰り返し‥‥でした。
<つづきます>
2019-03-13-WED
© Hobo Nikkan Itoi Shinbun.