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糸井 |
最近、ちょっと心にかかるのが
「つまらない」という言葉なんです。
「つまらない」という愚痴を聞くのは
ぼくはわりと我慢できないんです。
「つまらない」「不幸だ」「辛い」「悲しい」
と言われると、
「何言ってるんだ」って思うんですよ。
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徳光 |
はい。
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糸井 |
そっくりの境遇にいても
「おもしろい」と言ってる人はいます。
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徳光 |
はい、まったくそうですね。
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糸井 |
他人が
「あんたの人生つまんないでしょう」
と言うのも失礼な話だけど、
万一そう見えることがあっても、
自分から言ったらそこでおしまいじゃねぇか、
と、ぼくは思うんです。
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徳光 |
そのとおりだと思います。
ぼくは長嶋さんに憧れて立教大学に入ったとき、
4つの学部を受けて、
そのうちの3つはぜんぜんだめでした。
問題の意味すらよくわかんないような
受験だったんです。
最後の社会学部だけ、10日ぐらい前に解いた
『日本書紀』が出題されました。
「これはもしかしたら行けるな」と
思って発表を見に行ったら、
掲示板に自分の番号は出ていませんでした。
もう一度見直してみましたら、
最後の合格者の数字の番号の下にですね、
お通夜の指のマークみたいなのがあって。
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一同 |
(笑)
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徳光 |
「徳光家はあちら」というように
「補欠はあちら」と書いてありまして、
補欠の掲示板を見に行きました。
そうしたら、もうこれがひどくてね、
本当に日陰の、寒風吹きすさぶところに
20人ぐらいの名前が載ってるんですよ。
「何がキリスト教だ」
なんて思ったけど。
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一同 |
(笑)
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徳光 |
でも、そこに自分の名前があって、
ぼくはもう、大喜びしたわけです。
話が前段長くなって申し訳ないんですが、
「立教大学に入った」
「長嶋さんの後輩になれた」
という、この出発点が
ぼくにとって最高だったわけですよ。
そこで放送研究会というのに入りましたらですね、
同じ新入生に
開成中学から開成高校に行った、
非常に、まぁ、優秀な人もいたんです。
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糸井 |
はい。
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徳光 |
要するに、
「東大を受けたんだけどだめだった」とか、
「早慶を受けてだめだった」という人たちが
いたわけです。
その同級生は常に
「2学期から早稲田の編入試験受けるんだ」
とか、そんなことばっかり言ってて、
常に「立教大学に入った」ということに
対しましては
引け目のようなものを感じていたようでした。
だから、そいつの人生は、そのまま、
ずっと延長線上です。
いまだに愚痴を言っています。
「つまんない」と自分で言いつづけている。
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糸井 |
そうかぁ。
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徳光 |
そいつからは
「お前、なんでそんなに能天気でいられるんだ」
みたいなことを言われます。
大学を出て、それこそ50年近い人生を歩んで、
こんなに違うのか、と思うのは、そこです。
この違いは何かというと、つまり
「つまんないことがあったときでも、その中で
何かおもしろいことはないだろうか、と
さがすこと」
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糸井 |
そうそう、そうそう。
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徳光 |
それを見つけるだけで、
人生はずいぶん違ってきます。
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糸井 |
ぼくがさっき話した、
最初の会社に務めていた時代は、
ものすごく安月給だったんです。
実は親から仕送りをもらいながら
暮らしてました。
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徳光 |
そうだったんですか。
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糸井 |
だけど、その当時から
ぼくは自分のことを
金持ちだと思ってたんですよ。
暮らしていけるだけのところで
「俺、金持ちになっちゃったなぁ」と
間違えて思ってたんです。
ぼくは、50円玉を、家の中に
セメダインで貼っていました。
剥がせない50円玉です。
つまりそれは、
本当に必要になったときに剥がすお金です。
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徳光 |
うん(笑)。
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糸井 |
それが自分の最後のお金だと思ってました。
それでも金持ちだと思ってた。
「苦しい」ときに、
そう思う人と思わない人がいる。
徳光さんは‥‥。
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徳光 |
思わないです。
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糸井 |
思わないですよね。
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徳光 |
はい。
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糸井 |
だけど「心配性か心配性じゃないか」というと、
ぼく、自信があるんですよ、
心配性だという。
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徳光 |
はい、ぼくも間違いなく心配性です。
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糸井 |
ですよね?
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徳光 |
共通してますね。
はっきり言えます。
心配性です。
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糸井 |
ちっちゃいことも全部
考えてますよね?
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徳光 |
そうですね。
非常に、何というか、
小心者だと思います。 |
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(つづきます) |