──
朝吹さんのお好きな場所は、
3箇所とも青山で、
銀座ウエストの青山店、
古書店の日月堂、
櫻井焙茶研究所でしたね。
辛酸
昨日、
櫻井焙茶研究所に行ってきましたよ。
朝吹
本当ですか? それはうれしいです。
あのお店は、
元々バーテンダーをされていた方が
はじめられて、
お茶のブレンドも、
カクテルのように考えていたりして、
すごく素敵なお店なんです。
どれもおいしいですし、
静謐な空間ですよね。
辛酸
内装もとってもおしゃれでした。
お客さんが半分ほど海外の方で。
朝吹
それぞれあげたお店も好きなのですが、
私、すごく好きなエリアでいうと、
我善坊谷が好きです。
飯倉片町のそばで、
駅でいうと六本木のあたりです。
そこは都市計画が途絶してしまって、
古いお家など
六本木らしからぬ景色が残っていて。
辛酸
へえ。そんな場所が都内にあるんですね。
朝吹
そうなんですよ。
あの、江戸時代の話をしてもいいですか?
辛酸
はい、ぜひ。
興味があります!
朝吹
友人の歴史学者である磯田道史さんと
タクシーに乗っていたときに、
磯田さんが教えてくれたんですが、
江戸時代、広尾や麻布あたりは、
ススキが広がる原っぱだったそうで。
誰も住んでいない場所だったんです。
2代将軍の徳川秀忠に嫁いだお江が亡くなった時、
今で言うとミッドタウン近辺の、
麻布野に設けられた火葬場で祀られたんです。
その火葬は
たくさんの香木が一緒に焚かれたので、
素晴らしく美しい香りの煙が
4キロ先までたなびいたそうで。
当時、その葬列が通ったと言われているのが、
我善坊谷なんです。
辛酸
4キロ先ですか。
それはすごくいい香りだったんでしょうね。
朝吹
遺体を燃やしているので、
いろいろな臭気が混ざっていたとは思うんです。
でも、その景色を想像すると、
我善坊谷が全然違う景色に見えてきて。
辛酸
そうですね。
六本木の傍でそんなことがあったとは。
朝吹
それぞれの土地を「めくる」ように歴史を知って、
過去にそのような時間が
過ごされていたことを感じながら、
東京の街を歩くのがすごくたのしいんです。
辛酸
土地を「めくる」、ですか。
朝吹
はい。
歴史は土地に眠っている記憶、
だと思うんですよね。
東京の街が辿ってきた歴史を知ると、
今と昔がきちんと接続しているんだと感じて、
その土地に愛着がわいてきます。
辛酸
今と昔が接続ですか‥‥。
そう思うと、私は今年、
その火葬が行われたミッドタウンのあたりで、
桜をみていました。
朝吹
400年くらい前のそこの空は、
香木の香りでいっぱいだったのかも
しれないですね。
辛酸
そっか、そうですね。
そう思うと、また違って素敵ですね。
朝吹
変な話かもしれないのですが、
自分がいた鎗ヶ崎という土地で、
江戸時代に事件が起きたことを知ったときに、
「ここに昔生きていた人がたしかにいたんだ」と、
実感して、はじめて、地元感がわきました。
辛酸
古墳をみて、
ここには人が住んでいたんだと思うと、
地元感がわいたりしますかね?
朝吹
しますよ、きっと(笑)。
私は、代官山の猿楽塚古墳の上にのぼると、
地元気分になります。
辛酸
私はまだ「埼玉」の呪縛から逃れられないので(笑)、
東京への地元感はわかないですし、
コンプレックスを感じ続けているので、
逆にそれが原動力になっていますね。
自分でなんとかしよう、みたいな思いがあって。
朝吹
そっか、
辛酸さんは東京に対してそういう感覚なんですね。
辛酸
はい。
朝吹さんもそうですけど、
私は佳子さまに東京っぽさを感じます。
大学を変わったり、
留学をしたり、
流行りを取り入れたメイクを
していらっしゃったり。
自分の意志をちゃんと持っている女性は、
東京っぽいなと。
朝吹
ありがとうございます。
東京は、どこからか来た人が、
一念発起していろいろやっている場な感じはします。
自ずと自立心が芽生える場所ですよね。
辛酸
そうですね。
夢や希望を抱いてやってくる人も多いですから。
そんな地方からのパワーを吸収して
東京は大きくなっていっているのでしょう。
その裏には挫折や孤独などもあるかもしれません。
でも風水的に東京はかなり良いらしいので、
住んでいる間はその恩恵に預かりたいです。
あてどなくさまよいながらも……。
朝吹
根無し草、ですからね。
辛酸
そうですね。
いろいろ、朝吹さんと話せてたのしかったです。
朝吹
私もです!
──
今日はおふたりにゆっくりお話しいただいて、
どうもありがとうございました。
辛酸
こちらこそありがとうございました。
朝吹
ありがとうございました。
(おわります。)
2017-08-16-WED
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN