東京オリンピック・パラリンピックの
全競技内容をわかりやすく絵で伝える
「スポーツピクトグラム」を手がけた
グラフィックデザイナーの廣村正彰さんと、
組織委員会デザイン担当部長の吉原潤さんに
お話をうかがいました。
言語を問わず世界中の誰でもが理解できるよう、
シンプルでわかりやすく、
なおかつ日本らしさも表現された廣村さん。
1964年の東京オリンピックからはじまった
スポーツピクトグラムの歴史を紐解きながら、
解説をしていただきました。

1わかりやすさと
日本らしさ。

乗組員A
東京オリンピック・パラリンピックが
もう1年前に迫ってきました。
大会に実務として関わっている
みなさんのお話を伺ってきて、
いろんな仕事があるんだと知りました。
今回お話を伺う廣村さんのお仕事は、
すでに発表されているものですし、
ぼくらにもイメージのしやすいタイプの
お仕事なのではないでしょうか。
廣村
たしかに、デザインというものは
表に出る仕事ですからね。
乗組員A
スポーツピクトグラムのデザインを
誰が担当するかは、
コンペティションで決まったのですか。
廣村
そうですね。
今から2年ぐらい前に電通さんから
コンペがあるとお声がけいただいたので、
「じゃあ、ぜひぜひ」ということで。
ぼくらみたいなデザイナーからしたら、
チャレンジしたいプロジェクトですよ。
大会エンブレムのデザインは
個人でも参加することができましたが、
ピクトグラムはそうもいかなくて
チームでの参加が必須でした。
吉原
スポーツピクトグラムの制作については、
コンペといっても公募ではなく、
仕事としての参加でした。
乗組員B
コンペティションを経て、
どのように結果が伝えられたのでしょうか。
廣村
まずはチームを組んでいる電通さんに連絡があり、
そこからぼくに電話がありました。
「ああ、よかった」という気持ちと、
「えらいことになったな」という気持ちが半々。
直接依頼された仕事とは違って、
コンペの段階ではまだ責任がないので、
誰かいい人がやればいいなと思っていましたが、
自分がやることになるわけですから。
いざ決まったからには、
責任のある仕事だなと引き締まりましたね。
乗組員A
ピクトグラムを考えるといっても、
オリンピックだけで50種目ありますよね。
どこから手をつけるのでしょうか。
コンセプトを決めるところからなのか、
手を動かしてラフ案を作るところなのか。
廣村
最初はスタディからはじめましたね。
みなさんご存じかもしれませんが、
スポーツピクトグラムが
最初に作られた公式の記録は
1964年の東京オリンピックからなんです。
それ以降のデザインをスタディして、
それから2020年はどうしようか、
という議論を重ねていきました。
乗組員B
当初、頭の中でこうしたいなと
考えていたことはありますか。
廣村
これはぼく個人の考えですけども、
「前回の東京オリンピックを軸にできないかな」
というのは最初から思っていましたね。
当然そのままではうまくいかないので、
どういうふうに新しいかたちにしていくのかを
考えなくてはいけませんでした。
それと「東京らしさ」「日本らしさ」を
追求していくだろうなとは思いましたね。
乗組員B
「東京らしさ」と「日本らしさ」。
廣村
ここ最近の大会では、ピクトグラムにも
その国らしさを入れて表現していたんですよ。
1964年で生まれたものが
大会を重ねるうちに定番になってきて、
自分たちの国で開催されるオリンピックを
いかに表現するかを考えるようになってきたんですね。
乗組員A
個人的に印象に残っているデザインが、
北京オリンピックのピクトグラムです。
思いっきり北京に寄ったデザインでしたよね。
その国や都市に寄るのがいいのか、
その競技のわかりやすさに寄るのがいいのか、
おそらくどの大会でも考えていると思うのですが。
廣村
両方ともが望まれていることですね。
たくさんの方がご覧になるサインなので、
ピクトグラムを見たときに
何をどう感じるのかは考えました。
2020年の東京大会では、
自分たちの国で開催される
オリンピック・パラリンピックを
自慢できるようなピクトグラムを作ろうと。
乗組員A
「これはやっちゃダメ」という縛りは
何かあったのでしょうか?
廣村
基本的に制限はないです。
ないんですが、
オリンピックだけでも33競技、
全部で50種類のサインを作るので、
制作過程の中でおのずと縛りができてきます。
その競技ならではの動きを
どうやって表現するかも含めて、
みんなで議論してルールを作りながら、
デザインするというプロセスを踏みました。
乗組員A
「1色にしなきゃいけない」とか
「エンブレムの紺を使わなきゃいけない」
みたいな決まりもなかったのですか。
廣村
そういったルールもなくて、本当に自由。
エンブレムの色を使おうというのも、
ギリギリ最後になって決めました。
どんな色でも使えるので、
わかりやすく黒にしようとか、
日本の国旗にちなんだ赤にしようとか、
いろいろ議論した上で、
エンブレムの紺色にしたんです。
日本人が好きな色ですし、
並んだときにキレイに見えるので
紺でまとめてみようかと。
乗組員B
ピクトグラムのデザインは
どのように決めていくのでしょうか。
廣村
コンペから発表まで2年かけていますが、
作業をはじめて1年間ぐらいは、
どういう考え方のピクトグラムにするかを
絞り込むことに時間を使っていました。
最初のうちは、いろんな考えや方法を
全部出し合ってみることから。
「こういう方法もあるんじゃないの?」
とどんどん出して、すべて出し切ってから、
「こういうのはないよね」とつぶしていきます。
先ほど申し上げた「日本らしさ」を、
ある意味では、つぶしていく作業なんです。
乗組員B
「日本らしさ」という方向性だけでも、
どんどんつぶしていくんですね。
廣村
たとえば、日本はアニメが有名ですよね。
「じゃあ、アニメでやってみたらどうかな」
「ゲームでやってみたらどうかな」
「もっと古典から引っ張ってきて、
『鳥獣戯画』なんかどうだろう」とか。
あるいは、漢字は北京大会でやったから、
「日本独自なら平仮名でどうだろう」とか。
こうして言うだけなら簡単ですが、
実際に4、5競技ぐらいピクトグラムを作ると、
「これはいけるぞ」「これはないな」
というのがわかってくるんです。
試しに作ってみたデザインをもとに
可能性のないものは捨てて、
いけそうなものをちょっと広げる。
このような作業を1年間ぐらい続けていました。
乗組員B
2年間のうちの1年目では、
まだ具体的に固まっていなかったんですね。
廣村
そうですね。
2020東京大会のピクトグラムは
どういうシステムで作るのかを検証する期間に
1年という時間を費やしました。
だから、その頃にはまだ
7、8種目でしか考えていません。
システムが決まってから残りの1年間で、
今度は50種類に広げて
精査していくという作業でした。
乗組員A
その工程は、ずっとたのしいんですか?
それとも、つらいんですか?
廣村
たのづらい。
一同
(笑)

(つづきます)
2019-07-11-THU