糸井 |
例えば、坂本九さんって、
永六輔さんと中村八大さんの
“六八コンビ”で出たから、
じつは冗談工房の流れですよね。 |
大瀧 |
うん。ある意味ではね。 |
糸井 |
僕のすごく好きな「夢で会いましょう」
というバラエティー番組があって、
あそこのエンジンみたいになっていたのが、
“六八”ですよね。
だから、冗談工房でやっていたことを、
「大人はこうやっていたから、
俺たちはこうやろう」と、
自分の代になったという責任感で
作っていた番組に、今、思えるんですよ。
そんな思いで、「ゲバゲバ」があって‥‥。
でも、鶏郎さんって、そんなことをしたくて
やっていたわけじゃないですよね。
欽ちゃん‥‥萩本欽一さんがね‥‥
すごいセリフだと思うんだけど、
「僕は、全部、不本意でやってきた」
と言うんです。これがやりたいと思って
やったことなんか一つもない、と。
頼まれて、「できないよ」と言ったんだけど、
「なんとかしてください」と言われて、
やってみたんだけど、
やっぱりうまくいかないから、
「じゃ、ああしよう、こうしよう」
とやってきたことばかりで、
「本意でやってきたことなんか何一つない」
と。 |
大瀧 |
うん。マキノ雅弘が、
「阿片戦争」の1本だけが
自分でやりたいと思った映画で、
あとは全部頼まれものだ、って。
「二百六十本の映画は全部頼まれものだ」
と。 |
糸井 |
‥‥と言っているんですか!
鶏郎さんにも、それ、感じますよね。 |
大瀧 |
ええ、ありますよ。
基本はシンガーソングライターだから。
なのに、その本流の依頼は来ないんです。 |
糸井 |
偶然性をポンと拾って、「それでいいのよ」
と言ってできるのが、
欽ちゃんのやり方のすごい大本なんだけど、
鶏郎さんの仕事を改めてCDで
ずーっと聴いていると、
「それでいいのよ」というのを
どれだけ発見したことか。
忙しいということが、幸運だったんだ。 |
大瀧 |
やっぱりね、数だと思う、俺は。
うん。絶対に数だと思う。 |
糸井 |
ためつすがめつ、じゃ、運動にはならないね。 |
大瀧 |
つまらなくなるものというのは、
質とか言い始めるときに、
つまらなくなるのね。絶対に量だと思う。
プログラムピクチャーの質は量で支えられる、
という渡辺武信さんの名言があるけど、
それに限らず、やっぱり量だと思うな。 |
糸井 |
繁田さんという名前で
作っていた時代のものは、きっと‥‥ |
大瀧 |
ええ、まぁ、そうですね。ただ、それだと、
社会性と切り結ぶところの
パーセンテージが薄くなるんじゃないのか、
という気がするんだけど。
だから、頼まれたもののほうに
名作が残るというような気もするんだよね、
どうも‥‥。 |
糸井 |
大瀧さん自身は、どう? |
大瀧 |
なにが‥‥?(笑) |
糸井 |
その‥‥「頼まれた」というのと
「やりたい」というのは(笑)。 |
大瀧 |
それは‥‥ちょっと、
退けてもらいたい気がするねぇー(笑)。 |
糸井 |
そう言わないで(笑)。 |
大瀧 |
俺は80年に終わっているからね。 |
糸井 |
終わってるって‥‥。 |
大瀧 |
73年に大森さんと会って、
自分のものが始まって。
“はっぴいえんど”は前史だから。
で、85年に「熱き心に」のCMで
終わったのよ、僕。
ちょうどいい具合に大森さんからいただいた
三ツ矢サイダーからAGFで、
終わっちゃったんですよ。
これを、自分のワンブロックと考えて、
“はっぴいえんど”は前史で、
あとは全部、後史なんですよ。
ずーっとあれから。84年以降。
だから、鶏郎さんのレコードをやったり、
フランキー堺、クレイジーキャッツ、
トニー谷、東京ビートルズ‥‥。 |
糸井 |
東京ビートルズ! |
大瀧 |
ウフフフ‥‥だから、
「墓守シリーズ」と名付けたの。 |
一同 |
ハハハハハ‥‥! |
大瀧 |
だから、お墓を掃除に行ったんだよ。
俺はもう終わったから。 |
糸井 |
大瀧さんが「終わった」と言っているのは、
つまり、作詞・作曲家の仕事が終わった、
ということなのかな。 |
大瀧 |
なんなのかなぁー。
熱病に冒されて、取り敢えずなんか
やってきたという10年間ぐらいかな。
‥‥15年か。 |
糸井 |
剣を持っている、という喩えで言うと、
剣を持って切り結ぶことはしなくなったと。 |
大瀧 |
“はっぴいえんど”も、
小坂忠が「ヘアー」に行かないと、
僕はいないのよ。 |
糸井 |
‥‥え? |
大瀧 |
代役だから。
小坂忠が「ヘアー」に行って
1年間いなくなるというので、
ボーカルがいなくなるから、
代役で行ったんです。 |
糸井 |
えっ‥‥そういうことだったの? |
大瀧 |
そうです。だから、「CIDER '73」も、
「小坂忠のように」と書かれたのには
笑ったけどね。 |
糸井 |
「わかってんじゃないか!」‥‥って(笑)。 |
大瀧 |
代役なのさ‥‥ある意味で。
スタジオを持ちたいわけではないし、
レーベル作りたいわけでもなきゃ、
べつに弟子を育てようとかいうような
高邁なものもなく‥‥とにかく、
そういうようなことです。
似てるようでいて、ちょっと違う。
でも、どっちにしても、糸井さんと
同じは同じですよ。
べつに、これをやるつもりじゃ
なかったなぁー、と。
‥‥で、面倒だから、
85年で区切りをつけて辞めちゃったの。 |
糸井 |
手離れがいいですよね。 |
大瀧 |
まぁ、諦めが早いからね。 |
糸井 |
すごいよね。それもね。 |
大瀧 |
糸井さんの場合‥‥誰でもそうなんだけど、
走っている人はそう思うんだけど、
やっぱり宿命付けられているんだよ。
直系だから。 |
糸井 |
直系だから!(笑) |
大瀧 |
続けている人っていうのは、なにか、
その使命に動かされているんだと
いうふうに俺は思うの。
辞められる人は、それじゃない別の所に
使命があるのを発見したんで。 |
糸井 |
大瀧さんにこの前に会ったときの話で
思い出すのは‥‥やっぱり、
辞めてもいい仕組みを作って辞めてますよね。 |
大瀧 |
‥‥そう? |
糸井 |
それこそが宿命だと思うんだよ。 |
大瀧 |
なんか、潮が満ちるような気がしたのよ。
感覚的な辞め方ですよ。 |
糸井 |
ほぉー!
だけど、辞め方が見事なんですよねぇー。
大瀧さん、福生とかにいなかったらね、
また違うじゃないですか。
麹町にいたら、
「俺はやらないんだよ」とか、
言えないですよ。
どこにいるか‥‥みたいなことも、
やっぱり大きな影響を与えますよね。
挨拶する人の顔が、
もう、違うわけですからね。 |
大瀧 |
ええ。場所は大きいかもしれないですね。
だから確かに、
NHKが内幸町にあったというのも
大きいような気がしますね。
NHKって、内幸町にあったときと
渋谷のNHKと、
なにか全然違うもののような
気がするんだよね。 |
糸井 |
違いますか。 |
大瀧 |
内幸町近辺の場が持っている、
芸能とか、あの時代のものが。
西銀座駅前に「そごう」が出来るとか、
新橋に日本コロンビアがあったし、
ビクターは築地にあるしね。
あの一帯がほんとに歩いていける。 |
糸井 |
銀座の博品館で細野晴臣さんや
鈴木慶一くんたちと
ハナレグミのような若いミュージシャンが
鶏郎トリビュートの
コンサートをするのも‥‥ |
大森 |
あのあたりからあの時代の作品が
生まれていったわけです。
そういう場を選んだんですよね。
ここでなければ、という感じで。
鶏郎をやるには博品館だな、と。
渋谷界隈ではない、と。 |
大瀧 |
銀座でやる、と。
それで博品館なわけですか。
なるほど、なるほど。 |
糸井 |
そうか。
‥‥渋谷に“引っ込んだ”んですよね。
NHKは。 |
大瀧 |
あの時代は日劇がメッカになっていて、
日劇に出るのがステータスというのが
あった。そのうちが、やっぱり、
よかったような気がしますね。
そういうシンボルとステータスを
失った時代は、
ベーブルースという目的を失ったのと、
非常に近いような気がする。 |
糸井 |
うん。 |
大瀧 |
音楽界は、かろうじて武道館というような
新しいものを作って‥‥ |
糸井 |
武道館は、だけど、
森の真中に作っちゃったから
繋がりがないんだよね。 |
大瀧 |
うん。ちょっとね。しかもビートルズが
最初だからね(笑)。
前史に繋がらないわけだよね、何ひとつね。 |
糸井 |
だよね。アメリカ大陸みたいな
出来方になっちゃったね。
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