大瀧詠一さんとトリロー先生の話を。
1951年「僕は特急の機関手で」パンフレット表紙
於:日本劇場
作・構成・演出:三木鶏郎、
音楽:三木鶏郎、上野勝教
出演者:三木鶏郎グループ、小野田勇、
河井坊茶、丹下キヨ子、三木のり平、
有島一郎、ビクター喜久丸、TDT総出演
タイトル

糸井 例えば、坂本九さんって、
永六輔さんと中村八大さんの
“六八コンビ”で出たから、
じつは冗談工房の流れですよね。
大瀧 うん。ある意味ではね。
糸井 僕のすごく好きな「夢で会いましょう」
というバラエティー番組があって、
あそこのエンジンみたいになっていたのが、
“六八”ですよね。
だから、冗談工房でやっていたことを、
「大人はこうやっていたから、
 俺たちはこうやろう」と、
自分の代になったという責任感で
作っていた番組に、今、思えるんですよ。
そんな思いで、「ゲバゲバ」があって‥‥。
でも、鶏郎さんって、そんなことをしたくて
やっていたわけじゃないですよね。
欽ちゃん‥‥萩本欽一さんがね‥‥
すごいセリフだと思うんだけど、
「僕は、全部、不本意でやってきた」
と言うんです。これがやりたいと思って
やったことなんか一つもない、と。
頼まれて、「できないよ」と言ったんだけど、
「なんとかしてください」と言われて、
やってみたんだけど、
やっぱりうまくいかないから、
「じゃ、ああしよう、こうしよう」
とやってきたことばかりで、
「本意でやってきたことなんか何一つない」
と。
大瀧 うん。マキノ雅弘が、
「阿片戦争」の1本だけが
自分でやりたいと思った映画で、
あとは全部頼まれものだ、って。
「二百六十本の映画は全部頼まれものだ」
と。
糸井 ‥‥と言っているんですか!
鶏郎さんにも、それ、感じますよね。
大瀧 ええ、ありますよ。
基本はシンガーソングライターだから。
なのに、その本流の依頼は来ないんです。
糸井 偶然性をポンと拾って、「それでいいのよ」
と言ってできるのが、
欽ちゃんのやり方のすごい大本なんだけど、
鶏郎さんの仕事を改めてCDで
ずーっと聴いていると、
「それでいいのよ」というのを
どれだけ発見したことか。
忙しいということが、幸運だったんだ。
大瀧 やっぱりね、数だと思う、俺は。
うん。絶対に数だと思う。
糸井 ためつすがめつ、じゃ、運動にはならないね。
大瀧 つまらなくなるものというのは、
質とか言い始めるときに、
つまらなくなるのね。絶対に量だと思う。
プログラムピクチャーの質は量で支えられる、
という渡辺武信さんの名言があるけど、
それに限らず、やっぱり量だと思うな。
糸井 繁田さんという名前で
作っていた時代
のものは、きっと‥‥
大瀧 ええ、まぁ、そうですね。ただ、それだと、
社会性と切り結ぶところの
パーセンテージが薄くなるんじゃないのか、
という気がするんだけど。
だから、頼まれたもののほうに
名作が残るというような気もするんだよね、
どうも‥‥。
糸井 大瀧さん自身は、どう?
大瀧 なにが‥‥?(笑)
糸井 その‥‥「頼まれた」というのと
「やりたい」というのは(笑)。
大瀧 それは‥‥ちょっと、
退けてもらいたい気がするねぇー(笑)。
糸井 そう言わないで(笑)。
大瀧 俺は80年に終わっているからね。
糸井 終わってるって‥‥。
大瀧 73年に大森さんと会って、
自分のものが始まって。
“はっぴいえんど”は前史だから。
で、85年に「熱き心に」のCMで
終わったのよ、僕。
ちょうどいい具合に大森さんからいただいた
三ツ矢サイダーからAGFで、
終わっちゃったんですよ。
これを、自分のワンブロックと考えて、
“はっぴいえんど”は前史で、
あとは全部、後史なんですよ。
ずーっとあれから。84年以降。
だから、鶏郎さんのレコードをやったり、
フランキー堺、クレイジーキャッツ、
トニー谷、東京ビートルズ‥‥。
糸井 東京ビートルズ!
大瀧 ウフフフ‥‥だから、
「墓守シリーズ」と名付けたの。
一同 ハハハハハ‥‥!
大瀧 だから、お墓を掃除に行ったんだよ。
俺はもう終わったから。
糸井 大瀧さんが「終わった」と言っているのは、
つまり、作詞・作曲家の仕事が終わった、
ということなのかな。
大瀧 なんなのかなぁー。
熱病に冒されて、取り敢えずなんか
やってきたという10年間ぐらいかな。
‥‥15年か。
糸井 剣を持っている、という喩えで言うと、
剣を持って切り結ぶことはしなくなったと。
大瀧 “はっぴいえんど”も、
小坂忠が「ヘアー」に行かないと、
僕はいないのよ。
糸井 ‥‥え?
大瀧 代役だから。
小坂忠が「ヘアー」に行って
1年間いなくなるというので、
ボーカルがいなくなるから、
代役で行ったんです。
糸井 えっ‥‥そういうことだったの?
大瀧 そうです。だから、「CIDER '73」も、
「小坂忠のように」と書かれたのには
笑ったけどね。
糸井 「わかってんじゃないか!」‥‥って(笑)。
大瀧 代役なのさ‥‥ある意味で。
スタジオを持ちたいわけではないし、
レーベル作りたいわけでもなきゃ、
べつに弟子を育てようとかいうような
高邁なものもなく‥‥とにかく、
そういうようなことです。
似てるようでいて、ちょっと違う。
でも、どっちにしても、糸井さんと
同じは同じですよ。
べつに、これをやるつもりじゃ
なかったなぁー、と。
‥‥で、面倒だから、
85年で区切りをつけて辞めちゃったの。
糸井 手離れがいいですよね。
大瀧 まぁ、諦めが早いからね。
糸井 すごいよね。それもね。
大瀧 糸井さんの場合‥‥誰でもそうなんだけど、
走っている人はそう思うんだけど、
やっぱり宿命付けられているんだよ。
直系だから。
糸井 直系だから!(笑)
大瀧 続けている人っていうのは、なにか、
その使命に動かされているんだと
いうふうに俺は思うの。
辞められる人は、それじゃない別の所に
使命があるのを発見したんで。
糸井 大瀧さんにこの前に会ったときの話で
思い出すのは‥‥やっぱり、
辞めてもいい仕組みを作って辞めてますよね。
大瀧 ‥‥そう?
糸井 それこそが宿命だと思うんだよ。
大瀧 なんか、潮が満ちるような気がしたのよ。
感覚的な辞め方ですよ。
糸井 ほぉー!
だけど、辞め方が見事なんですよねぇー。
大瀧さん、福生とかにいなかったらね、
また違うじゃないですか。
麹町にいたら、
「俺はやらないんだよ」とか、
言えないですよ。
どこにいるか‥‥みたいなことも、
やっぱり大きな影響を与えますよね。
挨拶する人の顔が、
もう、違うわけですからね。
大瀧 ええ。場所は大きいかもしれないですね。
だから確かに、
NHKが内幸町にあったというのも
大きいような気がしますね。
NHKって、内幸町にあったときと
渋谷のNHKと、
なにか全然違うもののような
気がするんだよね。
糸井 違いますか。
大瀧 内幸町近辺の場が持っている、
芸能とか、あの時代のものが。
西銀座駅前に「そごう」が出来るとか、
新橋に日本コロンビアがあったし、
ビクターは築地にあるしね。
あの一帯がほんとに歩いていける。
糸井 銀座の博品館で細野晴臣さんや
鈴木慶一くんたちと
ハナレグミのような若いミュージシャンが
鶏郎トリビュートの
コンサートをするのも‥‥
大森 あのあたりからあの時代の作品が
生まれていったわけです。
そういう場を選んだんですよね。
ここでなければ、という感じで。
鶏郎をやるには博品館だな、と。
渋谷界隈ではない、と。
大瀧 銀座でやる、と。
それで博品館なわけですか。
なるほど、なるほど。
糸井 そうか。
‥‥渋谷に“引っ込んだ”んですよね。
NHKは。
大瀧 あの時代は日劇がメッカになっていて、
日劇に出るのがステータスというのが
あった。そのうちが、やっぱり、
よかったような気がしますね。
そういうシンボルとステータスを
失った時代は、
ベーブルースという目的を失ったのと、
非常に近いような気がする。
糸井 うん。
大瀧 音楽界は、かろうじて武道館というような
新しいものを作って‥‥
糸井 武道館は、だけど、
森の真中に作っちゃったから
繋がりがないんだよね。
大瀧 うん。ちょっとね。しかもビートルズが
最初だからね(笑)。
前史に繋がらないわけだよね、何ひとつね。
糸井 だよね。アメリカ大陸みたいな
出来方になっちゃったね。
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『僕は特急の機関士で
  (東海道線の巻)』

作詞・作曲:三木鶏郎
歌:三木鶏郎・丹下キヨ子・森繁久弥
『僕は特急の機関士で
  (九州巡りの巻)』

作詞・作曲:三木鶏郎
歌:霧島昇・二葉あき子・伊藤久男
『僕は特急の機関士で
  (東北巡りの巻)』

作詞・作曲:三木鶏郎
歌:伊藤久男・霧島昇・奈良光枝・並木路子
『僕は特急の機関士で
  (北海道巡りの巻)』

作詞・作曲:三木鶏郎
歌:三木鶏郎・丹下キヨ子・安藤まり子
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
(つづきます!)

2006-01-04-WED
デザイン協力:下山ワタル
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