大瀧詠一さんとトリロー先生の話を。
1964年、三木鶏郎企画研究所にて。
タイトル

糸井 鶏郎さんのところに
若い人たちがゴロゴロいたイメージについて、
ちょうど奥さんがいらっしゃるから、
お聞きできると思うんですけど、
‥‥雇っていたわけじゃないんですか?
夫人 訳がわからない人がいっぱいいたから、
わからないんですの(笑)。
糸井 そうですか!
夫人 三浦半島にヨットを持ったんですね‥‥
クルーザーを。そのとき、
向こうに別荘を作って。
それで、朝起きると、
全然知らない人がいるわけ。
「これは僕の友達、そのまた友達」
と訳がわからない人がわーっといるわけ。
それで、喋っているうちに
その人たちにはすごく閃きが
あったんでしょうね。
そうやって生まれてきた人もいたわけ。
何人か。
糸井 小説の中に出てくる野坂昭如さんなんかは、
そういう、怪しい人なんでしょうね。
で、その野坂さんは、
永六輔さんのことを「天才だ」と
やたら言いますよね。
夫人 始めは、もう、二人とも仲が悪かったのよ。
一同 アハハハハ!
糸井 面白い!(笑)
夫人 でも、野坂さんが直木賞を取っちゃってから、
どういうことか、仲良くなって。
糸井 手を打ったわけだね(笑)。
大瀧 男の世界だね。
中村八大さんも、いなくなってるんだよ、
1年間ね。1964年に。
糸井 ほぉー! 一番いい時期に。
大瀧 「スキヤキ」が大ヒットした翌年。
まるまる1年間、外国に行ってるんだよ。
でも「夢で会いましょう」の
“今月の歌”だけは書いたの。
「帰ろかな」は、だから、
ニューヨークで書いてるの。
ニューヨークだから出来たんだよ。
夫人 でもね、ボロボロになって帰ってきた。
竹松 亡くなられた年だったかな、ここに、
永さんと八大さんと来られて、
八大さんがピアノを弾かれて‥‥
大瀧 ついに、ようやく!
長い間の軋轢がそこで解消したんだ‥‥。
糸井 なんか、その頃の人たちに比べると、
グルーミングしているよね、俺たち。
俺たち、と言っちゃいけないかな‥‥
大瀧 やっぱり、それくらいじゃないとね。
70年から希薄だね。匂いが希薄。
獣の匂いがしない。
糸井 そうだなー!
大瀧さん。そのへんはどうしてるんですか?
大瀧 え?‥‥それは、時代のものでしょう。
だって、誰もいないよ。
佐分利信みたいな顔はいないんだから。
糸井 そうだよな。時代のものなんだよ。
糸井 ハァー‥‥そんな人たちが、
よく、ひとところに出入りして。
ルールは作れないわけですよね。
そんな場所ですからね。
大瀧 言わば、アウトローの集まりでしょう。
竹松 鶏郎先生に会ったことのない人が、
いっぱいいますよね。
糸井 えっ! そう?
竹松 冗談工房に入ってきても、
ご大老には会えないというか。
「鶏郎さんには会えたことがなかったよ」
という人が未だにいますから。
「お顔を拝見したことがなかった」と‥‥
夫人 “凡天寮”というのがありまして。
竹松 凡人と天才が集まる“凡天寮”というのを
作って、凡人と天才をそこに集めて。
大瀧 もう、そこからして、
シニカルな名前だね(笑)。
糸井 僕の先生の山川さんが、
すごく力のある人として
会話の中に大事に出しているのが、
桜井順さんだったんですよ。
夫人 桜井さんと越部信義さん。
ふたりとも優秀だったの。
大瀧 じゃ、同期ですか?
大森 ええ。同期です。
竹松 作詞家の吉岡治さんも。
糸井 あっ、そう!
大瀧 桜井さんは中心人物でしょう。
その後、という意味ではね。
糸井 しっかりしているしね。
鶏郎さんのまわりには才能とは別に
「しっかりしていない系」とか
運転を任せられない人の
数が、ものすごく多そうだから。
竹松 いずみたくさんは、運転手でしたよね。
夫人 それは2期ね。
糸井 面白いなぁー(笑)。
大瀧 いずみたくさんは、
前は何をやっていたんですか?
夫人 たくさんは、マダムジュジュという
化粧品会社の社長の運転手をしていました。
大瀧 小松政夫さんが
植木等さんの運転手だったね。
糸井 運転手って、やっぱりすごいね。
直に親分に触れる場所だから。
大瀧 そう、そう。途中をぱーっと飛ばせるから。
糸井 ほんとのことを言いますからね。
竹松 林家三平さんも、昔、
三木鶏郎楽団の楽器持ちをやっていたと。
糸井 えっ、ほんとですか!?
大瀧 修業じゃないの?
竹松 修業じゃなくて、三木鶏郎楽団の。
大瀧 鶏郎楽団って、いろんな人が
出たり入ったりしてたんじゃないですか。
竹松 ああ、そうです、そうです。
出たり入ったりだと思いますね。
大瀧 「日曜娯楽版」の1回目は、
演奏がジョージ川口
小野満なんですよね。
竹松 鈴木章治さんとかね。
大瀧 すごいね‥‥びっくりした。
“ビッグ・フォー”になる前でしょ。
糸井 おおもとになる人たちが、
みんな、いたんだ。
大瀧 そう。みんな、いたみたいよ。
糸井 その世間の狭さが
ものすごいなと思うんだよね。
知らない名前がない、
みたいじゃないですか。
大瀧 それはさ、俺たちが70年代に、
どこそこで後藤次利が
ギター弾いていたとかさ、
誰も知らないじゃない。
そんなようなことだよ。
糸井 それは、大瀧さんたちも同じなんだけど、
みんな、結局、
「誰かさん」になっちゃうわけでしょうね。
大瀧 そう、そう。ずーっと行くとね。
ひとまとめにされちゃうわけじゃない。
時代が終わると。
糸井 そうか、俺たちのことで言うと、
村松宴会みたいなものだな。
「村松友視さんの家で宴会をしていた人たち」
というジャンルがあるんですよ。
僕だとか赤瀬川原平さんだとか、
小林薫だとかクマちゃんだとか‥‥
大瀧 一見、繋がらなさそうな人たちが
集まるということね。
糸井 そう。で、その隣に、
唐十郎さんの別部隊があって‥‥みたいに、
蛸足配線に。
だから、知っている人が連鎖していく‥‥
その狭さは、今でも同じなんだろうね。
大瀧 才能は、呼ぶんだよ。
糸井 うん。あと、才能のある無しに関係なくね、
ある場の中にいると
才能になっていくっていうことがあるよ。
大瀧 多分、それは、眠っているのであって、
無い人は結局、無いからいなくなるんだよ。
糸井 いなくなるのか。
大瀧 だから、いなくなった人は、無い人なんだよ。
突然、現れたようでいても、
絶対、潜在的にあるんだよ。
その「潜在」が呼ぶような気がするんだよ、
見えている物より。
「潜在」の時のほうが、なんかね、
離合集散が多い。
糸井 なるほどね。
大瀧 見えてくると関係が決まってくるのが、
淋しいね。
糸井 あぁー、見えてきてからは、
やっぱり会わなくなりますね。
で、「会わなくても、まぁ、いるからいいや」
となりますよね。
大瀧 やっぱり、葛藤が少なく
なっちゃうんじゃないの。
見えていないときって、お互いに、
相手も自分も分からない部分っていうのを、
いくつか抱えてやるところに
面白みが出るんじゃないかな。
糸井 それはつまり、学生時代の
大瀧さんのバンド活動とか?
大瀧 ‥‥とか、初期の頃とか。
糸井 面白かったろうね‥‥
大瀧 どの時代でも、だいたいある種の
鋳型がはまるんだよ。その時代時代で。
山本嘉次郎の助監やっていた頃の
黒澤明とか、さ。
「世界のクロサワ」になる
全然前の黒澤ね。
山本嘉次郎監督作品を見たときに、
「あー、この群集シーンは黒澤だな」
と思ったわけ。助監督と書いてあるから。
そしたら、そこにエキストラで行った人の
証言が見つかったんだよね。
「黒澤が上に乗っかって、やってた」って。
糸井 それはわかるよね。
大瀧 というようなことで考えてみると、
出来上がってからはちょっと面白くないね。
やっぱりね。
糸井 うーん。
大瀧 だから、人が集まるんだよ、うまい具合に。
嘉次郎のところに助監が集まった。
谷口千吉、本多猪四郎、本木荘二郎。
糸井 すごいねー。
大瀧 すごいんだよ。チーフ、セカンド、
サード、フォースと
その顔ぶれだからね。
糸井 一つの町みたいなもんだよね。
大瀧 それが、ほぼ同期入社の連中で
固まっちゃってるわけ。
だから、後にこうなる、なんて
誰にもわかっていないのよ、当時はね。
‥‥というようなことは、
この鶏郎集団にも、そのようなことを感じる。
糸井 はぁー! こういう「座」みたいなものは、
おそらく江戸時代だと、
浮世絵の蔦屋重三郎だとか‥‥
ああいう人のところにあったろうし、
ずーっとあるんだろうね。
大瀧 集まる瞬間が‥‥70年代のわれわれとか、
80年の川崎さんと糸井さんとか、
いろんな人たちの
知り合っていく経路とか‥‥
糸井 フォーマットがある?
大瀧 そう、そう。混沌がだんだん
出来上がっていって形になっていく、という。
それを、時代、時代に合わせて見ていったり、
分野、分野で合わせて見ていく。
そうすると面白い。
自分がやるよりも、
その頃を研究するのが楽しいね。
三木鶏郎さんも、そう。
つくづく、そう思いましたよ。
 
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音が聞こえないときはこちらへ!
『ブギウギ列車』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:池真理子・丹下キヨ子
『ホープさん』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:三木鶏郎・並木路子
『涙はどんな色でしょか』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:灰田勝彦
『バナナリズム』
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:丹下キヨ子
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
(つづきます!)

2006-01-09-MON
デザイン協力:下山ワタル
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