ほぼ日刊イトイ新聞

「ヘンタイよいこ」新井紀子は明日への希望を忘れない。

新井紀子x早野龍五x糸井重里

リアリティに接続できない数学

2018-05-14-MON

新井さんお手製のケーキをいただきながら
数学基礎論の話はつづきます。
(ケーキは「ミンスミート」。
干しぶどう、干しいちじく、干しプルーン、
自家製オレンジピールなどをスパイスとお酒と
いっしょに1年漬けて熟成させたものだそうです)

新井
数学の危機に話を戻すと、
さっきお話したように、
数学者たちはすごく困ったんです。
それで、2千年さかのぼって、大元のもとから
「これって正しいよね、これって正しいよね」と、
ひとつひとつ洗い直していったら、
機械にもわかるぐらい精密な、
「数学とは何か」っていうことの
学問体系ができていったんですよね。
糸井
物事がややこしくなったときに、
「機械にも分かるぐらいに解きほぐす」っていう発想は
あらゆる場面でされますね。
新井
そうかもしれませんね。
糸井
でも、それが逆に命取りになる場合がある。
新井
良い面と悪い面が出ますね。
で、コンピュータの原理を思いついたのが、
アラン・チューリング。
早野
最近映画になった人ですね。
(「イミテーションゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」)
新井
はい。
一方で、こういう言葉はどれだけやっても
限界があるということを
示した人がいます。クルト・ゲーデル。
早野
うん。ゲーデル。
新井
言葉はやっぱり自家中毒的なんです。
「自分自身に入ってないもの全部の集合」みたいな、
言葉だけでリアリティのないことをやり続けてると、
リアリティに接続できない。
糸井
うんうん。
新井
この説明はどうでしょう。
ここに宇宙人が来るんですよ。
それで、みんなで話をする。
たとえば、1、2、3、4みたいな自然数について、
「こういう性質があるよね」って
みんなで話している。
すると、宇宙人も
「ああ、うん、そうそう」ってうなずく。
でも、実際には私たちがイメージしている自然数と
宇宙人の自然数は違う。
イメージの範囲が違って、
実はぜんぜん違うことを考えてる。
で、私たちがあるとき気づいて、
「それ違う」って言うと、
「いや、でもぜんぶ成り立つもん」って。
糸井
同じだ、と宇宙人が言う。
新井
言うわけですよ。
「いや、だからそうじゃなくて、こう」って
一生懸命言うと、
「ああ、わかった」ってまた言う。
それなのに全然違うことを考えている。
いつまでも平行線のまま、
わかりあえない可能性がある、っていうのが、
「ゲーデルの不完全性定理」です。
「人は言葉だけでは絶対にリアリティを共有できない」。
そういう定理なんですよ。
聞けば「ああ、そっか」っていう感じなんですけど、
それをゲーデルに先に証明されちゃったのが、
天才であるフォン・ノイマン。
コンピュータを実装した上に
原爆もつくっちゃった人ですね。
糸井
原爆。
新井
はい。そして、そういうものを勉強した人たちが
「AI(人工知能)」っていう概念を
1956年ごろにつくって、機械で数学をするとか、
機械で言葉を理解するといった話が始まったので、
数学基礎論がAIの基をつくっちゃった、
原因をつくってしまったという意識があるんです、
自分としてはね。
糸井
数学っていうのも言葉ですよね。
だから、言葉の話とそっくりになるんですね。
新井
ええ。SNSだけでやりとりしてる人に会ったら、
「あ、なんか違う人だ」っていうことありますよね。
そういうとき、「あ、言語の限界だな」と思う。
AIもすごく似てるし、数学もそうなんです。
数学の中だけでは共有できてるのに、
その持ってるリアリティが違うっていうことは
十分にある。
糸井
あぁ、なるほど。
うまく整理できないですけど、
僕が感じてることにとても近いですね。

ケーキの文脈

新井
別の例をあげると、
今日なぜこのフルーツケーキを持ってきたかというと、
ちゃんと理由があるんです。
これ、好き嫌いがけっこうあるんですよ。
文脈を選ぶんです。なんていうかな、
この人なら好きかなあみたいな。
家庭料理とかセーターってまさにそうでしょ? 
この人ならこれは「あり」かなあとか。
糸井
あぁ、なるほど。
新井
でも、
お店でこのケーキを売るのは「なし」かな、とか。
糸井さんと早野さんだったら、
ふだん書いていらっしゃることから推測すると、
「あり」だと思ったんです。
早野
うん、あり。おいしい。
新井
だけど、他の人が食べたら、
「なんかこれ変。ふつうと違う」って思うかもしれない。
意見は割れるでしょう。家庭料理もまさにそう。
うちの家族はこれが好きだけど、
私がその料理研究家になったらいいかっていうと、
最大公約数みたいな味付けをするようになる。
そうなったら、
うちの家族はもう好きじゃないかもしれない。
糸井
逆に、ね。
新井
でも、うちの家族が好きなものをレシピ本にしても、
「なんか違う」って言われて、
私は自信を失うかもしれない。わかります?
糸井
わかります。
新井
だから最大公約数を目指すと、
常にそういう危険がある。
リアリティとか文脈とか、相手との関係性とか、
そこにある共有できるはずのストーリーとか、
それに対する価値観とか、
それがぜんぶ取っぱらわれたら、
記号だけになっちゃう。
「数学は純粋でいい」ところもあるけれど、
「純粋だから駄目」なところもある。
リアリティと接続がないから純粋を保ってる。
リアリティを扱う物理は、
ある意味、割り切って、
数学のうまく使える「部分」を活用することにした。
ここを「使おう」って決心するんだと思うんですよね。
早野
まあそうですよね。
新井
「嘘かもしれないけど、使ってみよう」って。
決心しますよね。
そこには、やっぱり本人の覚悟が必要なんですよ。
「嘘かもしれない」という畏れと、
「でも使ってみる」という覚悟のどちらも
必要なんです、科学者には。
そこを意識していないと、
「ちゃんと数学使って書いたから、真実だ!」って
傲り高ぶっちゃうんでしょうね。

(つづきます)

2018-05-14-MON