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お母さんの数学教室と中高生の砂漠
2018-05-15-TUE
AI研究を続けるうちに、
子どもの読解力が気になりはじめた新井さん。
その出発点は、お母さんの数学教室にありました。
ずーっと一本道
早野
大学で法律を学んだあと、
アメリカで数学基礎論を学んだ新井さんが、
いまは、国立情報学研究所におられます。
どういう経緯だったんですか?
新井
私自分は、『ヘンタイよいこ新聞』を愛読していた
高校生の頃から今まで何も変わっていないんですよ。
ずーっと一本道で来たつもりなんです。
自分ではブレていないつもりなんですけど、
そのときどきで「これは法学部です」とか
「
数学です」とか言われる。
でも私は法学と数学基礎論って
同じだと思っているんです。
「
言葉のことだよね」って。
そして、
言葉には社会に与える影響があると思っているんです。
糸井
いやあ、そうですね。
新井
社会に与える影響の責任を考えるのは、
法学部でも数学基礎論も一緒だと思ったから、
より厳密なことをまず勉強しようと思って
数学基礎論に進んだわけです。数学基礎論をやったら、
コンピュータをつくったものらしいとわかったんです。
そのあと研究所の公募に応じたら、
数学者から情報科学者といわれるようになりました。
でも、自分としては
何一つ変わった気持ちはないんです。
早野
そういう意味でね。
新井
「
あなたはどういうタイプの人間か」と聞かれたら、
『
ヘンタイよいこ新聞』を読んでいたころと
変わってなくて、
「
何をしたかったの?」と聞かれたら、
あの投稿みたいなものを、
みんなと共有したかったと答えるでしょう。
だから、最初に始めたのが
「
お母さんの数学教室」なんです。
ネット上で。1998年かな。
糸井
ほぼ日が始まった年です。
新井
ブロードバンドなんてない、
ダイアルアップ接続の時代に、
お母さん100人集めて数学教室をやったんです。
糸井
100人も集まったんですか。すごい!
どういう教室なんですか?
新井
たとえば、出題した第1問はこんなのです。
「
10センチ四方の平面があります。
この中に無限の面積のある図形は描けますか。
どうして描けるか描けないか、理由を書きましょう」。
第2問は
「
この正方形の中に無限の長さの曲線を描けますか、
描けるなら描ける方法を示してください」。
第1問は、正方形の中にはまるものは、
この面積以下なので100平方センチ以下しかない。
だから無限の面積の図は描けない。
これはみんなわかった。
でも、第2問がなかなか解けない。
だいたいの人は、
ヘビのとぐろみたいなのを描く。
糸井
まあ、そうですよねえ。
新井
で、みんなグルグル、ヘビを描いたんだけど、
鉛筆で描くと真っ黒になっちゃう。
だから「描けない」と。
糸井
笑
新井
鉛筆には幅があるから面になっちゃうけど、
線には面がないので面積をとりませんと書いたら、
こんどは「線に面積がないなら紙は白くなる」
と言われた(笑)。
早野
ははは。
新井
頭の中で考えるからこそ数学なんで、
色がつくかつかないかは別問題として考えましょう。
そう説明するところから始まりました。
糸井
ふむふむ。
新井
で、答えはというと、
グルグルの描き方で違ってくるんですよ。
早野
それにしても、こういう問題につきあうお母さんが
100人いたっていうのもなかなかですね。
糸井
その時代にね。
新井
ええ。で、答のつづきをお話すると、
みんなだいたい外からグルグル描くわけですよ。
計算のため簡単にして考えると、
まず、直径10センチの円を描いて、
その次に直径が半分の円を描いて、
半分半分って小さくして描いてつなげると考える。
糸井
あ、なるほど。
書き方を言葉で説明できるんだ。
新井
そうそう。
すると、最初の円の周は3.14×10=31.4センチ。
次の円はその半分、その次はまたその半分。
足し算すると、こんな風になります。
31.4×(1+1/2+1/4+1/8+....)
さてカッコの中はいくつになるでしょう。
図にかくとすぐわかります。
かっこの中は2に収束するんです。
だから、このとぐろの長さは62.8センチ。
無限じゃなかった。ダメですね。
早野
そうですね。
新井
そのうちに、「あ、わかった」という人が出たんです。
最初に直径5センチの円を描く。
次に直径7.5センチの円を描いて、
こっちを半分ずつ増やせばいい、と。
「
どうだ!」みたいな調子でしたね。
しかも当時のネットは絵で説明できないから、
テキストで延々説明するわけです。
▲「お母さんの数学教室」第2問の解説
早野
はははは。
新井
それで、「はい。それ、正解です」と返事する。
すると今度は「沖縄に遊びに行ってきました。
沖縄ではウミヘビ料理が有名で、
食べながら思いついた」
という書き込みがあるんです。
まずウミヘビが正方形の半分に身を置く。
そのあと、この半分半分半分半分‥‥。
これも正解です。ウミヘビ料理。
こういうのをみんなで、
3日とか1週間かけて解くというのを15回やりました。
糸井
なるほど。お題を出して。
自由な発想を見つけ合う。全部、肯定的なんですよね。
「
こういうのは駄目だと思います」じゃなくて。
新井
駄目なときは
「
こうだから、こうなりますね」って言うと、
「
ああ、そうかあ」とか「ガッカリ」とか、
「
退散します‥‥」となんてお返事が届く。
でも、「白くなると思います」
みたいなのがおもしろい。
糸井
それもいい。
早野
おもしろい。
新井
「
それ、すごい、座布団3枚!」みたいなノリ。
自分では、ヘンタイよいこ的だなって思うわけです。
糸井
「
数学の糸井重里」の役ですね。
新井
ははは。
そのあと中高校生向けに
同じようなことをやったんです。
そのとき、お母さんたちに比べて
中高校生が文章を書けないことに気づいたんです。
まあ、率直に言うと、つまらない。
早野
既にその時点で気づかれた。
新井
はい。それが2003年だったと思います。
お母さんたちのパワーがすごかったんです。
「
ウミヘビ料理食べて思いついた」
みたいな話が、ガンガン来る。
それに比べると中高生が‥‥。
糸井
子どもはね、保守的なんですよ、だいたい。
子どもが自由な発想をするっていうときの
「
子ども」は、だいたい借りてきたものなんですよ。
〝決着した人〟じゃないと遊びはできないんですよ。
新井
そうですね。
子どもってリアリティがないから、
問題解決ができないんだなって思いました。
体験とか、駆け引きとか、
本物のリアリティが欠けてる。
逆に、お母さんは子どもに
食べさせなきゃいけないとか、
リアリティがある中で問題解決をしているんです。
お母さんのほうが独創的。独自で問題解決してるから。
早野
へえ。
糸井
お母さんはなんとか解決したいっていう思いが強い。
新井
でも子どもは「なんとかしてえ~」だから。
糸井
そうだ。
新井
お母さんの数学教室は全部で15問やったんですけど、
10問超えたあたりからネタ切れし始めたんです。
そこで、数学の国際会議で相談すると、
みんなおもしろがって、問題を出してくれる。
プリンストンの高等研究所に滞在していたとき、
同僚だった数学者が出題してくれる。
すると、その恐ろしい問題を解くんです、
日本のお母さんが。
早野
お母さん、すごい!
新井
みんなで「こうかな、ああかな」とやっているうちに、
そんなに遠くないなあと思ったの。
つまり、
プリンストンとお母さんは地続きだと思ったんです。
そういう発想は『ヘンタイよいこ』から来ましたね。
一方で、中高校生が言葉を使って表現したいものが
あんまりないんだなあと思ったんです。
糸井
その時々の最適解を早く見つけようとする人は、
有り物の引き出しから持ってくるから、
思いがけないことがないんですよね。
新井
だから私はずーっと違和感があったんです。
「
子どもは創造性がある」とか、
「
いくらでも伸ばすことができる」っていうのにも
疑問があったし、
AI技術が数学とは別のところで
「
あれができる」とか「これができる」とか
議論されることにも違和感があったんです。
どうしたらいいかなーと考えていたとき、
問題解決のできない子どもがこのまま大きくなったら、
機械に仕事を取られてしまうと思ったのが、
2008年から2009年くらいですね。
糸井
それで、あの本を出した。
早野
『
コンピュータが仕事を奪う』。
新井
はい。
糸井
読みましたよ。
(
つづきます)
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