吉本隆明 「ほんとうの考え」
003 お金 (糸井重里のまえがき)

どうも、吉本さんとの話のなかに、
じぶんのことが例にでてきたりすると、
「そうかなぁ」と考え考え聞いていることになるので、
ちょっと勝手がちがっちゃうんです。

この日もね、
なんとなく「食えなくてもいいんだ」
みたいな考え方について、
「そりゃ、いいかもしんないけど、続かないじゃない」
とか、「他の人がその分だけ迷惑してるよ」
というような気持ちがあったものですから、
そんなふうな話をしていたんです。

そしたら、「本気」というテーマに、
内容が変化していったんですよね。
ほんとうに思っているのか、どうか、
という話ですね。
そこで登場した小林秀雄と石原慎太郎の対話の例は、
なんともすごみがあったなぁ。
そして、そのあとの、
ぼくが薄ぼんやりと話したことについては、
吉本さんにしても、
まさに、まだ考え中のことなのではないでしょうか。
糸井重里
糸井 ぼくは、いろんなことを
ちゃんとビジネスにしていきたいと思ってるし、
ビジネスにならなかったようなことこそ
そうなればなぁ、と
考えているところがあるんですが。
吉本 糸井さんがもし、
金儲けとか、商売とか、事業とか、
そういうことをもっぱらにしていこうと
積極的に思い出して、
そういうふうな手段をとり出せば
たぶん、そうとうな
大実業家になるんじゃないでしょうか。

だけど、そう思ってないところがあるんですよ。
やっぱり、文化があり、芸術があり、
知識教養があり、ということを、
糸井さんは捨てきれないところがあると思います。
それがたぶん、事業家として言えば
糸井さんを制約してるし、抑えています。
それは、自分でもって
抑えてるというところだと思います。

ほんとうの事業家をやろうとして、
少し「実業界をのしてやろう」と思ったら、
できる人ですよ。
思ってないからできないんですよ。

やっぱり、糸井さんは、
文化というものの運命について
自分なりにつくった見解もあるし、
思いも消えない。
そういう場所に、糸井さんはおられるわけです。
だけど、こればかりは、
ぼくらも同じようなもんだけど、
ほんとは金が欲しくて
しょうがないだけっていうくせに、
ちっとも(笑)。
糸井 (笑)
吉本 金が欲しいなら、やりようがあるっていうのに、
おまえはちっとも
そのやりようをやってないじゃないか、と
みんなに言われると思いますけど、
これはね、やっぱり、長年の
これ、どうしようもない(笑)。

つまり、ほんとうに欲しいと思ってないんですよ。
底の底まで欲しいと思ってたら
できることはあるんです。

小林秀雄さんと石原慎太郎さんが
対談したことがあるんですよ。
文芸雑誌だったと思います。
そのとき、石原さんが
東京都知事であったかどうかはわからないけど、
政治家であったことは確かです。
衆議院議員、自民党の政治家
だったんじゃないでしょうか。
さすが小林秀雄は、その石原慎太郎に
「おまえと一緒に死んでもいい、
 っていうやつは何人ぐらいいる?」
と、いきなり聞いたんですよ。

そうしたら、石原慎太郎は、少し考えて
「3人ぐらいいます」と答えていました。

それは、政治家として
やっぱり本音だろうと思います。
そしたら、小林秀雄はさ、
「そうか、オレなんかはひとりもいねぇや」
と、すぐこう言いました。

そのとおりなんですよ。
文化芸術というものは、
人を強制したり、または、
人に導いたり、ということはできないんです。
つまり、もともと、役に立たないことです。
そのかわりに、自由度があるんですよ。

つまり、どんな悪党が小説書いたって
誰も文句言うやつはいないわけです。
そういうことで言えば
人間について、これほど自由なことはないんです。
そのかわり、何の役にも立たない。

ムダだと言われて、
みんながそう思って、
ぼくもそう思ってます。
おまえ何やってきたんだ、と問われれば
いやぁ、なんにも残んねぇよ、
と言うしかありません。

誰か特殊な人たちがいて、
自分が書いたものを読んでくれたとして、
それが1000人いれば、1000人ぐらいは、
どっかに憶えてるかもしれないけど、
一生かかって、
何にもないじゃないかって言われれば
そのとおりです。

そのかわり、何の強制力もないし、
人を導くようないいことも言ってないし、
悪いこともする。
これで、一生費やしちゃったし、
ほんとに何でもないかと言えば
ほんとに何でもないと思ってる。
何でもないところが特徴ですから(笑)。

それは、おおいようがないです。
だけど、それでも、まぁ、
どうやっても一生だ、それでも一生だから、
しょうがねぇじゃねぇかという
あきらめ方は、できるわけです。

ただ、これで、
食うのに困ると困るなぁ、というのは、
これは、実際に食べ物の問題だから、
ちがうわけです。

もともとそういうことを
目指さなかったわけだから、
小林秀雄さんはそれをよく自覚してて
「オレと一緒に死んでもいい
 なんていうのは、ひとりもいねぇや」
そういうことをすぐに言ったんです。

それは共感できますよ。
それは、たいていそうなんですね。
糸井 共感できます(笑)。
ただ、文化を捨象しないほうが
うまくいく可能性が出てきているような
気がするんです。
それが、いまの大転換じゃないかと
思うところがあります。
吉本 うん、うん。
糸井 こころに傷を負ったり、
退屈してたり、さみしかったりすることは
ものでは埋められません。
だけど、それは市場にはあります。
人が安全そうな場所に行こうとしたり、
日向に行こうとすることは、
実は文化の範疇に
片足入ってることなんじゃないかな、
と思うんです。

吉本さんもぼくも、政治はできません。
あっちだぞ、って
人を連れていくことは、できない。
だけど、ほんとうのことを言いながら
できないことはできないであきらめてもらって
だけど居心地がいい、そういう場所なら、
もしかしたらつくれる、とぼくは思うんです。

吉本さんは、
「第二次産業から、第三次産業に移行するとき
 こころのほうに公害が起こる」
とおっしゃっていて、
あれが、ものすごく
ぼくにとってヒントになっているんです。
治療する薬はないけど、なぐさめることができる。
それは、もしかしたら歌かもしれないし、
大きなお金かもしれない、引っ越しかもしれない、
定食屋のおばさんに
親切にされることかもしれませんけど‥‥
吉本 いやぁ、うん、よくわかります。
いま、糸井さんが言ったようなことと
おんなじように
この時期をとらえてる人がいます。
ぼくの知ってる、甲府の人なんだけど、
塾をやってるんですよ。

テレビを聞いてると、塾というのは、
近頃は経済的な理由も含めて、
行く人がだんだん少なくなって、
廃業やら開店休業になってるらしいです。
そんなもんかな、
じゃあ、その人も経済的窮地に陥ってるのかな、
と思って、訊いてみたことがあるんです。
糸井 ええ、ええ。
吉本 たまたま会ったもんだから、
訊いてみたってことなんですけどね(笑)、
そしたら、
いや、ぼくのところには、ちゃんと親が来て、
うちの子どもはあんまり勉強しないから、
塾に入れてくれないですか、
というふうですよ、と言うんです。
その人は親に
「だけど、うちは勉強するより、
 遊びする子どものほうが多いですよ、
 ときどき勉強するし、
 見るってことはあるけど、
 遊ぶことのほうが多いですよ、
 それでよかったら、どうぞ」
って言うらしくて。
糸井 すごいですね(笑)。
吉本 それでもちゃんとお客さんが来ますよ、と
その人は言うんです。
塾に来て盛んに勉強するようになったとか、
そういうことよりも、
遊ぶ仲間ができた、とか、
むしろそういう子どもが多いらしいです。
それで、開店休業みたいなことはないらしいです。
糸井 つまり、機能として「勉強してますよ」
ということはダメになって、
いること自体が喜びになるような場所が
塾という名前だった、ということなんでしょう。
うーん、わかります。
そういうものが必要とされてる限りは
飯が食えるということなのかもしれないです。
吉本 いや、それは、ほんとに、
関心をひかれる考え方ですね。

(次回の掲載は金曜日の予定です)



2009-04-20-MON

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