──
矢吹さんの『矢吹申彦風景図鑑』のなかで
土屋耕一さんが矢吹さんのことを
「フランス料理の、
ヌーヴェル・キュイジンの話題にしても、
こちらの寿司屋の評価にしても、
そんな会話でいっぱいやれる友って、
彼のほかにはそうはいないもの」と‥‥。
矢吹
ふふふ。
──
‥‥書いてらっしゃるくらいですから、
矢吹さんは、土屋さんとよくお食事を?
矢吹
そんなにしょっちゅうではないですが
定期的に、
ご一緒していた時期がありました。
外へ食べに行くときには、
わりと‥‥中華料理が多かったかなあ。
──
土屋さんに、お料理をふるまったりとかは?
矢吹
ないの。
──
あ、それは意外な感じが。
矢吹
そのかわり、
ぼくには「土屋さん直伝の料理」があるの。
──
え、矢吹さんのレパートリーに?
矢吹
うん、この本(
『おとこ料理讀本』
)にも
載せたんだけど‥‥
土屋さんの家に、うかがったときにね。
──
ええ、ええ。
矢吹
ぼくは、妻と一緒だったのかな。
ちょっと帰りが遅くなりそうだったんで
「食べてく?」って、
つまり、そういう予定じゃなかったのに
食べさせてくれたんです。
それが、かんたんなお鍋でね。
──
お鍋、ですか。
矢吹
土鍋に、薄味のお醤油味の出汁を入れて
生の牡蠣と春菊。それだけ。
──
‥‥シンプルですね。
矢吹
ようするにね、
牡蠣を「しゃぶしゃぶ」っと、するんだ。
──
あ、なるほど。
矢吹
出汁そのものはちょっと濃いめにして
お醤油は薄味のもの。
そこに、しゃぶしゃぶしゃぶ、とね。
ともかく牡蠣と春菊しか入れないの。
──
なんだか、とても豊かな感じがします。
矢吹
食べるときには
ちょっと、一味唐辛子を振るんですね。
もうそのとおり真似してやってますが
これが、本当においしくて。
──
へぇー‥‥。
矢吹
お住まいのあった荻窪からわざわざ
下北沢の店まで行って
生食用の牡蠣を、買ってきてたみたい。
──
材料にも、こだわりがあったんですね。
矢吹
なにしろ「そういう料理」ですからね、
それは、そうでしょう。
でね、そのお鍋とお酒を出してくれて‥‥
他には何が出たか、忘れました。
──
それほど、印象的だったんですね。
矢吹
うん、だってそれ以来、
ずうっと真似してやってるんですから。
──
お気に入りになってしまったと。
矢吹
「土屋さんに教わった鍋なんだ」って
みんなに教えてるほどです。
──
食べてみたいです。
矢吹
何だか、ぼくたちがお宅にうかがった
ちょうどその日に
下北沢のお店で買ってきてたんだって。
「貝屋」って言ったかな。
──
ええ、ええ。
矢吹
そこ、ぼくもときどき行く店なんだけど、
間口1間のちいさなところでね。
──
はい。
矢吹
つまり、せっかく食べようとしていたら
ぼくたちが行って、
それで、はんぶん食べられちゃった(笑)。
──
どういう由来のお鍋なんでしょう。
矢吹
それが、何の説明もないんですよ。
誰から教わっただとか、
あるいは、土屋さんが発明したのだとか、
まったく説明なし。
ただ、「おいしいだろ?」って顔をする。
それだけ(笑)。
──
土屋さんって、
量をたくさん食べるほうでは‥‥。
矢吹
なかったよね。
たとえば、伊丹さんは「料理」となると
つっこんでいくでしょ、どんどん。
でも、土屋さんの場合は
「これはいいね」くらいしか言わないの。
──
そうなんですか。
矢吹
何も言わずに、おいしいもの食べてるって感じ。
‥‥ああ、そうそう。
また別のとき、お宅へ遊びにうかがったら
お茶を淹れてくれたんです。
──
ええ。
矢吹
中国茶をね。
ぼくが興味を持って
「どういうお茶なんです?」って聞いたら
「知らないの?」なんて言って、
こんなガラス瓶に入ったお茶っ葉を出してきて
「香港で買ってきてんだ」って。
──
香港。
矢吹
で、「香港は、すごくいい」って言うの。
──
へぇー‥‥。
矢吹
だから、それ以来なんです。
ぼくが、十何年も
香港に通い詰めることになったのは。
──
え、十何年も!?
矢吹
そう、買い物をしにね、食材とか。
──
香港に、十何年も、食材を買いに?
矢吹
もう、いちばん行ってるときなんかだと
1年に4回くらい。
こーんなに大きなトランクにはんぶんも
お茶っ葉を詰めて帰ってきたり。
──
はあー‥‥。
矢吹
後年になって、土屋さんが
しばらく香港へ行ってないなあって言うから
ぼくは旅慣れたつもりになってて、
「じゃ、行きましょう」って、行ったんです。
──
ご一緒に。
矢吹
香港には、伊勢丹があるでしょう?
で、土屋さんは
伊勢丹の広告をやっていたでしょう。
──
はい、イラストは矢吹さんですよね。
矢吹
みんなで、いちばんいいレストランに行って
「こちら伊勢丹の重役」って
土屋さんのことをウソ言って紹介したんです。
──
おお(笑)。
矢吹
そうしたら、別に頼んでもいないのに
いちばん高級な、
幻の魚みたいなのが出てきちゃったの。
──
幻の魚!
矢吹
うん、なかなか獲れないような
ネズミハタとか
ナポレオンフィッシュみたいな魚でね。
ソウメイって言ったかな?
黙って、それが出てきちゃった(笑)。
──
はー‥‥、おいしかったですか。
矢吹
それはもうね。
でもあれ、そうとう高かったはずだよ。
──
そういうときって
土屋さんはどんな顔をされてるんですか?
矢吹
まあ、何というか、そういう顔(笑)。
──
ちなみに香港では、他に、どんなものを?
矢吹
ハムユイなんか、よく買ったよね。
──
ハムユイ?
矢吹
内臓を抜いて発酵させて干した魚が
あるんですけど、
それを、香港へ行ったら
必ず何匹か買って帰ってきてました。
──
食材としては、どういうものなんですか?
矢吹
これがまたね、ものすごく「くさい」んだ。
日本のくさやより、くさいほど。
──
え。
矢吹
でも、おいしいんですよ。
もっとも、そのままじゃ食べられないから
あれは、油で焼いて、
ほぐしてチャーハンなんかにするといいな。
──
そんな香港通いのきっかけになったのが
土屋さんの淹れてくれた、一杯の中国茶。
矢吹
そう。思えばね、そうなんですね。
<後半につづきます>
2013-05-08-WED
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN