POSTER 3 & 4  1974年 も・め・ん・と・木。  1975年 なぜ年齢をきくの
徳光 そして、この頃から、
世の中が景気悪くなっていくんですね。
オイルショックです。
そのとき出てきたのが
このコピーです。

も・め・ん・と・木

石油ショックの大波が日本を襲った。
1970年代に入って、すぐ。
トイレットペーパーが店頭から
消えてしまったりしたのもこの頃だ。
こんな中でも、伊勢丹は季節ごとの
ストア・テーマ広告をキチンと出している。
街の中では「いいものを大切に」
なんて声があふれていたが。
でも、伊勢丹の言葉はちがっていた。
「も・め・ん・と・木」
この5文字に中から、
その当時の街の空気をいまも感じることができます。

(文:土屋耕一
 伊勢丹社内報 1996年6月号より)

徳光 この時、ある百貨店がね、
「今週の○○」という広告を出してたんです。
要するに、電車の中吊りを全部、
週刊誌と同じように、文字だけでやったんです。
「今週の売出」の見出しが、バーッと書いてある。
たとえば、
「夏のワンピース、スリーブレスドレス到着」
「5階では、秋田物産展」とか。
ほぼ日 文字だけびっしりなんですね。
徳光 文字だけ。で、それが当たったんですよ。
で、「伊勢丹も、真似しろ」という声が
内部から上がってきた。
ほぼ日 あら(笑)。
徳光 でも、そういうのはね、
土屋さんのところへは依頼が行かないんです。
土屋さんは、
「そうは言うけどね、
 そういう広告は長続きするものじゃない。
 やっぱり、百貨店は、
 売り出しの広告をするんじゃなくて、
 ライフスタイルの提案を、
 常にずっと続けていくべきだよ。
 こうやってオイルショックになった時だって、
 人々には暮らしがあるんだから」
──そんなことを、おっしゃっていた。
ほぼ日 それが、この「も・め・ん・と・木」?
徳光 「も・め・ん・と・木」。
ほぼ日 木綿や白木。たしかに、
石油に頼らない暮らし。
徳光 石油ショックに対するアンチテーゼですね。
当時、伊勢丹がというよりも百貨店業界が、
シュリンクして、価格競争になっていった。
そんな時に、ダイエーが出てきた。
百貨店が価格競争したって、
絶対勝てるわけないんです。
だから、オイルを使わないで、
もっと自然のもので、という提案がうまれた。
「それを代表するのが、木綿と木だろう」というのが、
「も・め・ん・と・木」だったんです。
ほぼ日 なるほど。
徳光 じつはね、おもしろい話があるんです。
この時、本当に、伊勢丹の中で、
どういう広告にしようかって、揉めてたの。
対立していてね。
その社内のムードは、土屋さんもご存じだった。
だから、「も・め・ん・と・木」は
「揉めんとき!」のダブル・ミーニングじゃないか、
というのが、ぼくら、宣伝部のなかでの通説でした。
残念ながら、ついに
土屋さんに確認できなかったけれど、
僕はずっとそう思ってた。
マツヤマ 確かにめずらしいんですよ、
土屋さんのコピーで、
短いキャッチの文字の間にすべて
ナカグロ(「・」のこと)が入ってるものって、
他にあまり見たことがないので、
何か意味があるんだろうなぁとは
思っていたんですが。
徳光 きっとそういう意味なんですよ(笑)。
マツヤマ それ、土屋さんっぽいですね。
徳光 ぽいでしょう?
もちろん、表の意味はちゃんとあるわけで、
それで成立している広告なので、
あくまでも、想像なんですけれどね。
マツヤマ オイルショックが落ち着いたあとは──。
徳光 もう一度、ファッションだとか、
「週休2日のライフスタイル」に
戻ることを考えていたんですが、
世の中的には、「ニューファミリー」がブームで、
ファッションは、ルーズになってきていたんです。
マツヤマ あぁ、なるほど。
徳光 みんな、ツナギ着たりね。
伊勢丹もそちら寄りの広告を
出したことがあるんだけど、
土屋さんとしては、それはやっぱり、
許せないわけです。
マツヤマ (笑)
徳光 「やっぱり、ファッションデパートであるべきだ」と。
そして、それは、研究所もそう思っていた。
じっさい、婦人ファッションが営業の主力であると、
この時期、新宿店は、
婦人フロアのリモデルを行なっています。
そんな時に、「ファミリーも大事だけれど、
やっぱり百貨店のお客さんって、女性だろう」
ということで、女性に、
うんとクローズアップしたのが、
これだと思います。

なぜ年齢をきくの

「なぜ年齢をきくの」というテーマは、
この年が国際婦人年だったことから出発している。
でも、このタイトルは、伊勢丹の中へ入ると、
まちがった意味をもちはじめるのですね。
「なぜ」のキャンペーンは、やがて
「洋服は、年齢ではありません。サイズです」
という広告に到達します。
サイズの伊勢丹、というコンセプトが
早くもこの年、産ぶ声をあげるのです。

(文:土屋耕一
 伊勢丹社内報 1996年7月号より)

徳光 僕は、土屋さんの作品の中でも
好きなコピーです。
マツヤマ 私も大好きです。
徳光 この後に、土屋さんは、
「洋服は、年齢ではありません。サイズです」
とまで言い切るコピーを書かれる。
潜在的にあるものを顕在化すると、
マーケットになりますよね。
ほぼ日 はい。「みんなが欲しい」と思っているのに
「ない」ものを提案すれば。
徳光 でも、じゃあ何が欲しいものなのか、っていうのは、
みんな、わからない。
でも、なんとなく思ってる。
それを、モノで提案することによって、
「あっ!」って、みんな気が付くわけ。
それが百貨店の仕事です。
だから、「なぜ年齢をきくの」
「洋服は、年齢ではありません。サイズです」
というコンセプトからうまれたのが、
クローバーサイズっていう、
大きいサイズの提案なんです。
マツヤマ あぁ!
徳光 それから、ストロベリーサイズ。
ほぼ日 小さいサイズですね。
徳光 150センチ以下っていうことで、1・5、
イチゴ。それで、ストロベリー。
今までは、普通の洋服で、3号とか5号とか、
13号とか15号を作ってたんですよ。
「さぁ、大きい人も小さい人もいらっしゃい」と。
ところが、洋服の理想、一番きれいな形からすると、
15号はデザインが間延びするし、
3号では縮まってしまう。
そうじゃなくて、たとえば
「15号を中心とした洋服を作りましょう」
ってことでやったのが、クローバーサイズ。
これが大当たりしたんです。
同じブランドなんだけど、
プリントの柄がちょっと大き目にできてるとかね。
伊勢丹
宣伝部
同じブランドでも、クローバー用に作る場合は、
あえて大きめの柄をセレクトしたりしていたようです。
そのほうがスッキリ見えますものね。
「サイズの伊勢丹」と自負しはじめたのは
この頃かと思われます。
ほぼ日 ただゆったりしているだけじゃないんですね。
じゃあ、クローバーやストロベリーができたのも、
土屋さんがいたからこそ?
徳光 土屋さんご自身はね、ああいう方ですので、
絶対、自分から、「何を作れ」とか言わない。
ただ、伊勢丹研究所の女性研究員たちとが、
「なぜ年齢をきくの」を受けて、
「今度はサイズよ」と言ってくるわけです。
土屋さんは、できたものに対しては、
「あ、いいね」とかね、
こっそり「ちょっと違うんじゃない?」
とおっしゃるんですけれど。
ほぼ日 そういう往復があって、
あたらしい商品が生まれていくんですね。
徳光 ちょっと余談ですけれど、
伊勢丹がいま紙袋に使っている
タータンチェック、
あの誕生の経緯を御存じですか。
これは、我々が習ったことであり、
先輩たちがやったすごいことでもあるんだけれど、
「マーケットを作り出した」例なんですよ。
というのも、いまでこそ当たり前の、
ティーンエイジャーの着る服。
以前は、なかったんですね。
6歳から18歳まで、ずっと「女児服」だった。
ほぼ日 あ、いわゆる子供服。
徳光 で、18歳くらいから、大人の服になる。
ほぼ日 いきなり大人の服になるんですか?
徳光 そう、婦人服になるんです。
女性の体形から行くとね、
ティーンエイジャーになると、
ウェストが太いままに、
グッと胸が出てくるんですね。
ウェストが細くなるのは、18歳くらいから。

きっとその時代の女子は、18歳までは、
子供の体型だったでしょうし。今と違って。
徳光 そう、子供の体型のまま、
けれども胸が出てくる年齢の子たちが着るのに、
「女児服」では本来、おかしいんです。
ならば、10代の人たちのための
洋服があってもいいじゃないかっていうので、
ティーンエイジャーショップっていうのを作った。
1956年のことです。
その時に、あのタータンチェックが生まれたんですよ。
ティーンエイジャーショップの洋服の柄として。
ほぼ日 うわあ!
徳光 で、当時の人たちが、
「これを伊勢丹のチェック袋にしようじゃないか」
となったのではないかと想像できます。
1974年(昭和49年)はこんな年


・ガソリン(1リットル) ¥98
・大卒銀行初任給 ¥74,000
・牛乳(1本) ¥46


1月・民放、深夜放送中止
4月・「モナリザ展」初日に2万人
8月・三菱重工本社爆発事件
10月・長嶋茂雄、現役引退


・「ニュースセンター9時」
・「傷だらけの天使」


・「エクソシスト」
・「砂の器」


・狂乱物価
・ストリーキング
・超能力ブーム
・サーティワン1号店


・「クイントリックス、あんた外人だろ? 英語でやってごらんよ」(ナショナル)
・「ホッカホカだよおっかさん」(大正製薬)
・「それにつけてもおやつはカール」(明治製菓)


・「なみだの操」(殿さまキングス)
・「あなた」(小坂明子)
・「うそ」(中条きよし)
・「ふれあい」(中村雅俊)
・「学園天国」(フィンガー5)
・「ジャンバラヤ」(カーペンターズ)

1974年(昭和49年)はこんな年


3月・山陽新幹線 岡山・博多間開通
4月・ベトナム戦争終結
5月・エリザベス英女王夫妻来日
7月・沖縄国際海洋博覧会開催
9月・天皇・皇后両陛下 初の訪米
11月・第1回(パリ)サミット


・「欽ちゃんのドンとやってみよう」
・「前略おふくろ様」
・「ウィークエンダー」
・「パンチDEデート」
・「大草原の小さな家」
・「刑事コジャック」


・「タワーリングインフェルノ」
・「ジョーズ」
・「エアポート'75]
・「大地震」
・「新幹線大爆破」
・「伊豆の踊子」


・「昭和枯れすゝき」(さくらと一郎)
・「シクラメンのかほり」(布施明)
・「想い出まくら」(小坂恭子)
・「時の過ぎゆくままに」(沢田研二)
・「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
  (ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)

2013-08-15-THU