第1回「リズム感は、取り戻せる」

つんくさんは、対談の仕事って
けっこうあるんですか?
いえ、そんなにたくさん
やってるわけじゃないですね。
ああ、そうですか。
あの、今日はぼくが相手なので、
たぶん、ちゃんとした対談には
ならないんじゃないかと思いますけど。
(笑)
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
あの、ものすごく興味あるんですよ、あの話。
つんくさんの、「リズム論」。
ああ、そうですか。
うれしいですね。
まあ、すごく簡単にまとめると
「世の中には生まれつきの
 リズム音痴なんていないんだから、
 ちゃんと鍛えていけばリズム感はよくなる」
という話で。
はい。そうですね。
どういったらいいんですかね、
ああいう考え方を知ると、
あらゆる生き物の可能性を探りたくなるというか。
大げさに言えば。
はい、はい、はい。
実際に、モーニング娘。という、
もともとは素人だった女の子たちを、
ちゃんと鍛えた人がそれを言うと、
ものすごく興味がわくんですよね。
いわば、つんくさんの「リズム論」っていうのは、
人がもともと持っているリズム感を取り返せるんだ、
っていうことですよね。
そうですね。
だから、ぼくの理論でいうと、
まず、黒人のダンサーが持っているようなリズム感、
いわゆるネイティブには、まあ、なれない。
うん、うん。
ネイティブにはなれないけれども、
たとえば小林克也さんが
英語をかっこよくしゃべる、みたいな
「うまい人」っていうところには
がんばればたどり着けると思うんですよね。
わくわくする話ですよねぇ。
あの、そういうことは、
いつごろから思ってたんですか。
いつごろからでしょうね。
さかのぼっていくと、
たとえば小学校や中学校のころに
自分が「かっこいい!」って思うような人の
動きとか仕草とかマネしますよね。
ギターの弾き方とか、歩き方とか。
アメリカのバスケットボールの選手が
ボールを持って歩いてるだけで
「かっこいい!」と思ったら、
バスケットボール持って歩いてみたりとか。
マイケル・ジャクソンの踊りを
単純にマネしてみたりとか。
うん、うん。
そのときに、マネするだけなんですけど、
やっぱり近づこうとすればするほど
練習が必要なんですね。
でも、そのときは当然、理論はないわけです。
「そうなりたい」とは思うけど、
そうなるためのメソッドはない。
はい。
そういう状態だったと思うんですけど、
自分が二十歳を超えて、
ある程度体力の限界がくるというか、
体のピークを超えたころになると、
ときどき、いままでできてきたことが
どういうわけか、できなくなるんですよ。
それまで完璧にマネできていたものが
理由もなく、ずれはじめるんです。
これは、なんでずれるんだろうか、と。
うん。
もしくは、もっと単純に、
バンドの練習をしていて
「せぇの!」ではじめた人たちの演奏が
なぜ、ずれるのか。なぜ、合わないのか。
っていうのを、すごく考えはじめたんです。
それは、やっぱり、東京に来てからですね。
え、東京に来てからなんですか?
はい。ぼくは1992年に東京に来たんですけど、
理論として意識しはじめたのはそのころですね。
そのころからすごくリズムに興味を持ちはじめて、
音楽の歴史とリズムがどうなっているか、
みたいなことをすごく考えるようになったんです。
戦後のジャズが流行った時代から
ロカビリブームがやってきて、
ビートルズがあって、GSがあって、フォーク、
っていうふうに音楽って変わっていきますよね。
で、「人間が演奏する音楽」ということに絞ると、
1980年代の中盤くらいに、日本の音楽は
一回ピークに達してると思ったんです。
それは、単純に演奏する速度として。
ああ、はい。止まってますね。
まあ、パワーメタルとかが
流行ったりはしましたけど。
その後にコンピューターが登場するので
音楽のスピードはどんどん速くなるんですけど、
人間が普通に独力で演奏できるのっていうのは
その時代で止まってるんですね。
だから、その1980年代というのは、
演奏家のクオリティはものすごく高いんです。
うん、うん。
でも、その演奏家をバックにする歌手のほうは、
そのころから次第に鈍くなっていくんですね。
つまり、演奏家やダンサーのほうが
歌手よりも明らかに秀でている時代。
で、その前のソウルミュージックのころは
どうかというと、演奏も歌も
明らかに「かっこいい!」んですね。
これは、なんでかなと。時代は古いのに。
なるほど。
そういうことを考えながら、
音楽とリズムをいろいろ分析していくと、
いろんなことがわかってくるんですね。
白人と黒人のリズムの違いとか。
その中で日本人はどのへんのリズム感なのかとか。
考えてみると、デュラン・デュランって、
リズムに関してはドタバタやったなと。
黒人のネイティブなリズム感に比べると
やっぱり鈍いんですよね。
ああ。
でも、逆にそれが日本人には
ウケたんだろうなあと思うんです。
わかりやすかったから。理解しやすかったから。
つまり、理解できないくらい
「すごいリズム感」よりも、
デュラン・デュランくらいの、
ちょっとぬるいリズム感が
ちょうどよかったんだと思うんですよ。
で、それはビートルズもしかりだと思うんです。
人々が理解できる範囲のリズム感なんです。
そうですね、うん、うん。
なるほどなーと思いながら、
いろいろと分析していくと、
日本人は、黒人のネイティブなリズム感は
出せないかもしれないけど、
ビートルズやデュラン・デュランが持ってたような、
ああいうリズム感は出せるはずなんですよ。
ああ。理解できる範囲だから。
はい。ぼくの理論でいえば。
うん。ここまでの話、全部おもしろい(笑)。
(笑)
思うんだけど、徹底してるのは
ほとんど「自分」が出てこないことですね。
ああ(笑)。
「オレはこういう人間だから」
からはじまってるんじゃなくて。
はい、はい、はい。
脈々と流れている事実だけを
もーのすごく冷静に見てて、
「こういうオレを伸ばすために」
あるいは「補うために」っていうふうに
動いているわけじゃないじゃないですか。
発想の基準があくまでも
「一般的な日本人」ですよね。
そうですね‥‥。
たぶん、自分が凡人の域にいるからこそ、
そういう研究したと思うんですよ。
うん、そう。だからすごいと思うんですよ。
こういう芸能の商売をしている人が、
自分を「凡人だ」と思うのって大変なことですよ。
ワーキャー言われる立場でありながら、
凡人だっていう立場をキープして、
事実の流れを冷静につかんでいくっていうのは
ものすごくむつかしいことだと思う。
そうですね。
それは、つんくさんの著書の
『ラブ論』を読んでもそうなんだけど、
一貫して、「オレはすごい」っていう話が
出てこないんですよね。
あああ、出てこないかもしれないですね。
そうなんですよ。
(続きます)

2006-12-14-THU

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