- 松家
- 皆川さんは、若いころ、
自分はこれからどうなるんだろう、という
不安はありましたか?
それとも、将来のビジョンがあって
一歩ずつつないでいこうと
考えていたのでしょうか。
- 皆川
- そもそも、自分が
「ミナ ペルホネン」のような
ブランドをつくることは
いっさい考えてなかったです。
- 松家
- いっさい、ですか。
- 皆川
- はい。
自分は、何かを縫ったりつくったりする
アトリエ仕事が好きだったので、
それがずっと続けばいいとは思っていました。
「将来こうなりたい」という目標も
特になかったので
不安もなかった気がします。
- 松家
- 手を動かすことは、
会社員としてはたらくこととは少し違う、
身体的な、別の何かを含みますよね。
もちろん、会社員にも
身体性はあるのですが‥‥。
- 皆川
- そうですね、
それでもう、満足できちゃう。
しかも少しずつうまくなっていくので、
さらに満足します。
- 糸井
- はたらく前に不安を抱えている状態とは
ずいぶんちがうものですね。
- 松家
- そうなんですよ。
まずは、人が思いつめるように
「はたらくこと」を考えるのはいったいいつか、
という問題があります。
- 糸井
- それは、ありますね。
- 松家
- ぼくは新潮社に入社して
28年はたらきましたが、その間は
「はたらくってどういうことだろう?」
なんて、いっさい考えませんでした。
仕事をするのに精一杯だったのです。
はたらくことについて真剣に考えるのは
じつは「はたらく前」なんだと思います。
社会人にならなきゃいけないのかな~?
というタイミングで、考えるのです。
それから、ぼくにとっては、
もう一回、はたらくことについて考える機会が
やってきたんですね。
- 糸井
- それ、転職のときですか?
- 松家
- そうです。
新潮社を辞めた、51歳のとき。
「会社を辞めることは決めたが、
食べていかなくちゃいけない」
そのときに、かなり考えました。
- 糸井
- つまり、人は
「すごくはたらいているとき」には、
はたらくことについて考えないんですね。
- 松家
- そうなんですよ。
きっといまの若者も、
大学3年くらいでリクナビに登録して、
はたらくことについて一斉に考えだします。
そして会社員が終わる60歳を目前にすると、
「定年になったらどうしよう」と、また
考える機会がやってくるんだと思います。
60歳ではたらくのをやめるのはもったいないと
皆川さんがおっしゃるのは、
そのとおりだと思います。
60年間築きあげた、いろんな知恵や経験を、
はたらくことで生かせるはずですから。
- 皆川
- じつは前から、
はたらく人たちの年齢制限については
糸井さんによく相談していました。
「call」はいよいよほんとうに
年齢制限を設けない職場にしてみたいのです。
- 糸井
- ぼくも少し前まで、「ほぼ日」で
皆川さんと同じようなことを考えていました。
年齢の高い、経験豊富な人と出会う方法を
ずっとさぐっていたのです。
第一、社長をやってるぼくはもう、
本来なら定年退職してる年なんですよね。
年を取るとガンコになるという
一般論があるでしょう?
それは自分にも思いあたるところがあります。
けれども、たとえば和田誠さんのように、
そうじゃない人がいるってこともよくわかります。
和田さんは、譲らないところは譲らないけど、
あんなにやわらかい人はいない、
というくらいの人ですよね。
ですから「ほぼ日」は、意識的に
年齢の高い人にも入ってもらおうとしてきました。
若い子といっしょにダンゴになって、
うまく動いてくれる年長の人が、
もうちょっと必要かなと思います。
- 松家
- 皆川さんのなかに、
年齢の高い方と同じ職場で作業する、という
ご経験はあったのでしょうか。
- 皆川
- そうですね、若い頃、
目白で勤めていたときに、
70代くらいの人たちが
洋服の「まとめの仕事」をしてくださっていました。
- 松家
- まとめというのは、どういうお仕事なんですか。
- 皆川
- 裾をまつったり、アイロンをかけて袋に入れたり、
洋服づくりの最後のしあげをする仕事です。
パートタイムのお仕事として
手伝いに来てくださっていた方々でした。
その人たちの服のたたみ方が
とてもていねいで、きれいで、早かったんです。
それは、洋服にとって
「最後の見た目」になるので、
とても大事な作業です。
いまだにその方は、うちの展示会にも来てくれます。
- 糸井
- ああ、いいですねぇ。
- 松家
- 皆川さんは、
そういう仕事をしている方が
いらっしゃるということを
見逃さないんですね。
- 皆川
- そうですね、目がいきますね。
ぼくの祖父母は家具店で、
70代までずっと毎日お店に出て
働いていましたし‥‥。
- 糸井
- 高齢の方々がはたらくお姿が
実感としてあったんですねぇ。
- 松家
- ぼく個人は、はたらく前に
はたらくことの実感を得たのは、
結局、父親からでした。
サラリーマンで、いつも判で押したように
7時に帰ってくる人でした。
「疲れた」「嫌になっちゃうな」が口ぐせで、
定年をすぎて、役員なんてべつに断ればいいのに、
役員として70歳まではたらきました。
「もう俺、辞めたいよ」
と、ほんとうに最後まで
何のプラス発言もありませんでした。
それを毎日聞かされたので、
「会社勤めってよっぽどひどい難行苦行なんだろう」
と思ってしまった(笑)。
親がそんなにネガティブなことばかり言うから、
はたらくことがすばらしいとは、とても思えなかった。
- 糸井
- うん、親の影響って大きいですよねぇ。
ぼくは、二日酔いの父親がいつも
「いってくるわ‥‥‥‥」と(笑)、
家を出ていくのを見てたので、
それがすり込まれたんだと思います。
そのころから漠然と
自由業になることを決めていました。
- 松家
- 最初から自由業というのは、
けっこう勇気が要ることですよね。
- 糸井
- いや、それがそうでもなかったです。
皆川さんは、足腰がしっかりしてたと思うけど、
ぼくはそうじゃなくて、
「はたらくのは嫌だ」というところから
はじまっただけのことです。
高校を卒業して大学に入るとき、親に、
「100万円あげよう」と言われたんですよ。
- 松家
- え? 100万円!
- 糸井
- 「大学に行かなければこの100万をやる。
大学に行くんだったら
その金を受け取らないで、行けばいい。
どっちかお前が決めろ」
そう言われたんですよ。
それでぼくは、1も2もなく
「大学に行く」と言いました。
理由はやっぱり、はたらくのがつらそうだったから。
元手があれば商売ができるという発想は
おもしろいかもしれないけど、
それはほんとうの自立を意味します。
大学は友達も行くし、遊んでいられる。
最初に逃げたのは、そのときです。
はたらくということを、
ものすごく難しいことだと思っていたのでしょう。
けれども仕事は、やってみたら、
ひとつずつ愉快だし、爽快感もあります。
みんなにそれを味わわせたいなぁ、という気持ちが
いまリーダー役をしている自分に、
ものすごくあります。
- (つづきます)
2016-06-29-WED
©HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN