吉本 | 好きだから、よくテレビは見てますけど(笑)、 なんかずいぶん中途半端なところで 見てたな、ということが 今度のことではじめて 実感的にわかってきたと思います。 |
糸井 | 絵筆と書道の筆はちがうように、 テレビはテレビとしての道具の役割があると 思うんです。 道具としてのちがいを もっと意識してなきゃいけなかった。 これは本当にでかかったです。 |
吉本 | ああ、それは同じだな。ぼくもそうです。 |
糸井 | ある意味では、いまのテレビの持つ緊張感は、 完成品を作るには、すごくよくできています。 完成品でさえあれば、 質のことを考えるのは次、ということだって ときにはあるのかもしれません。 |
吉本 | うーん‥‥。 |
糸井 | テレビや映像の道具の使い勝手について 吉本さんがいらだったりしてるのを見てて、 やっとわかったんです。 |
吉本 | ははは。 |
糸井 | まずは、カメラに向かって あたかもそこに人がいるがごとくにやることは 「そりゃ芝居だよ」と、 みんなが言うのを忘れていました。 ぼくは「できない」ということで、 批評はしていましたが、吉本さんは、 この芝居はオレはできないと言って、 いらだったんですよ。 |
吉本 | そうなんでしょうね。 |
糸井 | カメラが映しているということは 忘れられるはずがないんです。 だけど、心頭滅却すれば それを「忘れてる」ところまでできる、って 思うんですね。 ドキュメンタリーに参加する人って 「みんな心頭滅却すれば」って思ってるんですよ。 カメラが横目に入っちゃったときには、 自分が悪いって思うんです。 |
吉本 | うーん。 |
糸井 | しかも、無意識でやる わけのわかんないものは、映らないし、 テレビは消化しませんから、消えてしまう。 |
吉本 | あのね、ぼくが知ってる人で、 自殺した方がいるんです。 |
糸井 | 村上一郎さんですね。 |
吉本 | ぼくは、村上さんが亡くなってから、 何週か経ったとき、拝みに行きました。 そのとき、奥さんが言ってくれたんですよ。 村上さんが、急に、 家でも、自分に対しても、 言葉が少なくなって、憂鬱そうになったのは テレビに出てからなんです、と。 あの人は、ぼくなんかより、 はるかに純粋な人で、 純粋なことが好きな人ですから。 |
あれは、三島由起夫さんが亡くなった 前後の頃ですよ。 村上さんが、NHKに呼ばれて おしゃべりするということが あったらしいんです。 そのときに、どういう不調和があったのか、 わかりません。だけど、奥さんが言うには、 そのあとからしゃべりも少なくなって、 自分に対しても、 なんとなく何かを考え込んでるとか、 考えこまされてるとかいう感じに なったそうです。 奥さんは、それが、 村上さんが自殺を考えた きっかけじゃないかと思うと おっしゃっていました。 そばで一緒に生活してた 奥さんの見方です。 |
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糸井 | はい。 |
吉本 | それで、奥さんは、 よっぽど、こうしてくれ、ああしてくれと、 自分に不慣れなことを言われたんじゃないか、 そのことが原因じゃないかと思ってる、と おっしゃいました。 |
糸井 | 結局、「受け手のため」という理由で 要求されることに、 踊らされることになって。 |
吉本 | そうなんでしょうね。 そこを、あの人は純真な人ですから‥‥ |
糸井 | そのまま受け入れて、 やったんですね。 |
吉本 | そうなんでしょうね。 それで、それからなんか、 沈んでいっちゃって、そのあと自殺した。 「そのあと」と言っても、 ぼくから見れば、もう相当な期間ですけどね。 村上さんは、テレビに出たときに、 なにか感じたり、 これは自分には不都合だとか、 そういう実感が出てくるようなことが あったんだと思います。 |
(つづきます) |