テレビと落とし穴と未来と。 ーー価値・無価値・反価値のはなしーー  吉本隆明+糸井重里

2009年1月4日には、NHK教育で、 吉本隆明さんのドキュメンタリー放映がひかえています。 また、吉本さんは、10月に行った 「映像で生中継」という形式を取った講演 「芸術言語論 その2」について 失敗だったという感想を持っています。 このふたつのことがきっかけとなって、 吉本さんと糸井は、テレビや映像について、 また、多くの「文化的メディア」がかかえる 共通の問題について、話し合いました。 吉本さんの考えを伺ううちに、 なぜ糸井重里が「ほぼ日」で 吉本さんのプロジェクトをやっていきたいのか、 その動機の部分もあらわになっていきます。 「ほぼ日」10周年の年のしめくくり、 2008年の大晦日までの連載です。


心残り。 2008-12-25
「観客のため」という要求。 2008-12-26
価値になりにくいもの。 2008-12-27
やりやすい、励みになる、飯の種になる。 2008-12-28
価値、無価値、反価値。 2008-12-29
文化はいいことだ、の落とし穴。 2008-12-30
高村光太郎のペンギン。 2008-12-30


糸井
吉本さん、84歳を迎えられましたが。
吉本
うちの親父さんは76ぐらいで、
おふくろさんもそのくらいで亡くなりましたし、
まぁ、いまの平均寿命くらいにはいった、
と言えるんじゃないでしょうか。
糸井
いや、超えてますよ。すごいですよね。
吉本
糖尿があるくせに
よく生きてるね、って言われます。
糸井
「平均までいく」というのは、ぼくも
ひとつの目標として、あります。
吉本
ええ、そうですよね。
実感で言えば、70を終わって、80代になった頃に
なんか急速に年寄りになったというか、
年が影響してきたというか。
糸井
60、70、80、と老年の節目はありますが、
80は大きいですか。
吉本
たいていの場合、60代は真っ盛りです。
で、70代が終わって、
この続きでいくだろう、と思ってると、
ちがっちゃうんです。
急に、年寄りになるんですよ。
足腰から、歩く度合から、
格段にちがってきちゃう。
でも、そこらへんを、うまくできる人が
いるのかもしれませんね。
そうできる人は、自然にだんだん歳取ってきた、と
いうふうになれるんでしょう。
糸井
いやだなぁ。
吉本
ははは。
からだのほうがそうなっちゃうんですよ。
精神のほうはちっとも成長しないんですけどね。
いまの年寄りは、体のほうだけ成長‥‥というか、
老いていって、寿命は延びていって、
精神のほうは成長しないです。
糸井
吉本さんは、よく、
親鸞が90以上まで生きた話をなさいます。
あれは、励みになりますよね。
吉本
あの人は、すごいですね。
ぼくの判断では、中世期前後は平均寿命が
たいだい38か9だと思いますので、
そうだとしたら、親鸞は格段にすごいです。
糸井
平均の倍以上、生きたことになりますね。
吉本
なんか、うまくやったんですね。
認識してたのかもしれないし、わかんないけど、
生き方が、うまいと言うなら、
うまかったんでしょうね。
糸井
生き方にうまいへたがあるものなら
知りたいです。
吉本
ひとつ、あるんですけど、
少なくとも見かけでは
親鸞という人は、決断があっさりしてるんですよ。
糸井
はい。
吉本
そのとき、親鸞は、人びとの家を
歩いてまわっていました。
でも、年を取ると、足がきかなくなってきて、
歩くのが不自由になったと感じたんでしょう、
スパッとやめちゃうわけですよ。
糸井
なるほど。
吉本
スパッと説教もなにもしなくなって、
京都へ帰るんです。
京都へは、なにも用事があって
帰ったわけじゃないんです。
京都は本場だから、本当だったら
お説教したり、教えたりするはずなんだけど、
親鸞はなんにもしないわけですよ。
まぁなんにもしない、布教は全然しない。
糸井
吉本さんはそうじゃないんですか?
吉本
いや、ぼくは、そんな偉くなれないから、
なにやっても心残りだって、
こないだの講演だって、
心残りだ、と思っちゃいます。
「あ、これは失敗だ」とか。
糸井
10月27日に、紀伊國屋ホールと
ご自宅をつないだ中継の講演ですね。
吉本
カメラに向かって話すというのが
どうにもちがうと思いましたし、
たいへんくたびれました。
やっぱり、こういうくたびれ方っていうのは、
これまでなかったと思いますし、
それはずいぶん参考になった、というか
得るところがあったような気がします。
糸井
あの講演については、
大事なことだったと思うと同時に、
申し訳なさが、やっぱりあります。
中継の映像を講演に使うことについて、
ぼくたちもはじめてのことでしたし、
講演する吉本さんご自身も
慣れていないものだったんです。
そこにもっと気づくべきでした。
吉本
ああ。
糸井
ぼくなんかも、
慣れたように思われてるかもしれませんが、
いやいや、そうでもないんです。
例えば、旅行にカメラが入って
「歩きながらしゃべってください」
ということになったら、
それは、もう演技なんですね。
実際には
「わたしは、いまウィーンに来てて
 こういうことを考えるんですけど」
って言いながら歩くなんてことは、
ないわけですから、ぼくにはできないんです。
ぼくはできないけども、
もっと素人の人はできていたりするんです。
吉本
ああ、ありますね。
糸井
ぼくは、個人的には
どこまでやるのかな、ということを
頼まれるごとに、その都度、
都合をつけてきました。
でも、吉本さんはたぶんこれまで一回も
都合つけないで来られたわけだし。
吉本
うん。
糸井
そこをもっと
話しておくべきだったかなぁと思います。
だって、人というのは、下手したら
シナリオに書いてあるとおりのことを
思わなくたって、言いますから。
吉本
そうです、そうです。
糸井
カメラを前にしたときに、
どの場所に自分が立つかな、というあたりに、
きっと、なにか答えがあると思います。
ぼくも勉強になりました。
吉本
ぼくもずいぶんわかったことがあります。
はじめての疲れ方でしたし、
それがこういうものか、という感じもありました。
それから、テレビというものについて、
だいたい、まだ考えが至らなかったけど、
これでそうとうよくわかったな、って感じを
持ちましたね。
(つづきます)

2008-12-25-THU


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