糸井 |
三島由紀夫さんが、 自衛隊のバルコニーから演説しましたが、 あれで決起を促す人の数って、 すごく少なかったと思います。 でも、もしもいま クーデターのようなことをやるんだったら、 テレビ局を占拠して、 大勢に人に呼びかける方法を 取るんじゃないでしょうか。 三島さんがやったのは、 吉本さんの言葉でいうと、 より自己表出に近いと思います。 |
吉本 |
ああ、そうだと思います。 |
糸井 |
機能を考えて、価値を考えたら、 大勢に伝わるテレビカメラに向かって 決起を促すほうが、千万人に言えるでしょう。 けれどもあのとき、三島さんは そうしませんでした。 いまは、自己表出と指示表出でいうと 指示表出のほうに、価値のすべてが 置かれてしまいます。 三島さんがあそこにいた人たちに伝えたことが、 あとになって、もういちど指示表出化されて、 間接話法で伝えられていくことで、 あの事件が有名になりました。 でも、三島さんがやったことは、 「目の前にいる人たちに伝えた」んです。 あのあたりに、この考え方の、 大きな分かれ目があった気がします。 村上一郎さんが無力感を感じたのは、おそらく 自己表出の部分で言いたかった部分が 指示表出の側から制約を 受けたからではないでしょうか。 |
吉本 |
そうかもしれません。 |
糸井 |
ぼくもそう経験はありますが、 それは、テレビに限らず、 社会と接点持つときにそれはよくあることです。 |
吉本 |
そうですね。 |
糸井 |
守ったほうが、多くの人がうれしいし、 効果もあるでしょう。 しかし、本当は、守りにくいんです。 今回の吉本さんのいらだちは、 懐かしさも感じましたけど、 ああ、本当はそう言いたい自分がいる、 ということに気づきました。 |
吉本 |
そうでしょうね。 ぼくは糸井さんよりは少しうぶで、 村上さんよりは、 ごまかせるものがあったのかもしれません。 |
糸井 |
ええ、村上さんは、もっとでしょうね。 |
吉本 |
もっと真面目な人ですし、 あの人の考えてることは いつでも死と隣り合わせみたいなところがあって、 そこに達する考えが、 なおさら齟齬感をひどくしたんだろうと思います。 |
糸井 |
でも、テレビは、 性質をちゃんと意識して努力すれば 表現として、なかなかのもんだといえることも ちゃんとできるような気がするんです。 例えば、スポーツもそうだと思います。 野球中継では、バッターが放った打球が ライトスタンドに入っていくのを 球場で生で観るのとはちがう表現として、 テレビは描けるわけです。 ホームランって、カメラマンが 修練しないと映せないです。 じかに見るよさとはまた違う、新しい物語を テレビという道具によって お客さんは得ることができたと思うんですが。 |
吉本 |
うん、うん、わかります。 そこをもっと、テレビをつくっていく人が 考えたほうがいいということがあります。 ぼくはね、一度だけ お相撲を、現場で観たことがあります。 相撲っていうのは、つまり、芝居ですよね。 歌舞伎みたいなものの一部分です。 テレビで映してる、勝負のところは、 ほんとに部分だけで、 本当は、観客も全部入ってる ひとつの芝居の場面ということになる ということが、行ってみてわかりました。 |
糸井 |
そうですね。 みんな、飲み食いもしてますし。 |
吉本 |
あれを八百長だとか、 八百長じゃねぇとか言うけど、 芝居の舞台なんだから‥‥ まぁ、あのお相撲さん達は、本気になって それを、生涯の仕事としてやってる人たちだから、 ちょっと好意をもったり、 よく知ってる相手だったら 「ここは負けてやらないとこの人、 下がっちゃうよ」 くらいのことは、たいてい知ってるでしょう。 そういうときでも、八百長に見えるように 相撲を取ることはできると思うんです。 ぼくはそのとき、枡席で観たんですが、 みんな、枡の中で 相撲とは関係ない別のことしゃべりあって、 それでときどき、観るんです。 |
糸井 |
そうですね。 |
吉本 |
芝居や歌舞伎みたいなもんなんだ、 という観点でいかないと、 少なくとも、八百長だったろうとか、 そうじゃないとか、 そんなことは問題にならない感じはします。 |
糸井 |
そうか‥‥あれを芝居だと言える人が いなくなっちゃったんですね。 |
吉本 |
そうそう。 テレビに映ってる、 組み合ってどうとかいうことが お相撲なんだと、思ってるわけですよ。 それだけの影響を テレビが与えてるわけです。 |
糸井 |
うーん、そうですね。 |
吉本 |
これは、そうとう大きな錯覚で、 そこのところについて、 テレビをつくる人が 徹底的にわかってくれるといい。 そうすると、ちょっと 問題がちがってくるぞ、と思います。 |
糸井 |
それはすごい大事なことですね。 |
吉本 |
ええ、大事なことなんだと思います。 つい、これでいいんだと思ってね、 音がよく伝わるとか、 近くでよく映して 如実に筋肉が見てわかるとか、 そういうことばっかり追求していても それは意味がないと、ぼくは思います。 相撲は芝居の一部である、というようなことを どうしても追い詰めていかないと、 ダメだと思います。 |
糸井 |
それは、吉本さんのおっしゃる言語の研究が 経済の価値論からはじまってることと 対応した話ですね。 つまり、「雰囲気」って、 価値として算出しにくいから 後回しになるんです。 |
吉本 |
雰囲気なんだけど、 言いようがないっていう。 |
糸井 |
でも、そここそが、おもしろいんですもんね。 |
吉本 |
ええ、おもしろいんだと思います。 |
(つづきます) |