テレビと落とし穴と未来と。 ーー価値・無価値・反価値のはなしーー  吉本隆明+糸井重里

03 価値になりにくいもの。
糸井
三島由紀夫さんが、
自衛隊のバルコニーから演説しましたが、
あれで決起を促す人の数って、
すごく少なかったと思います。
でも、もしもいま
クーデターのようなことをやるんだったら、
テレビ局を占拠して、
大勢に人に呼びかける方法を
取るんじゃないでしょうか。

三島さんがやったのは、
吉本さんの言葉でいうと、
より自己表出に近いと思います。
吉本
ああ、そうだと思います。
糸井
機能を考えて、価値を考えたら、
大勢に伝わるテレビカメラに向かって
決起を促すほうが、千万人に言えるでしょう。
けれどもあのとき、三島さんは
そうしませんでした。
いまは、自己表出と指示表出でいうと
指示表出のほうに、価値のすべてが
置かれてしまいます。

三島さんがあそこにいた人たちに伝えたことが、
あとになって、もういちど指示表出化されて、
間接話法で伝えられていくことで、
あの事件が有名になりました。
でも、三島さんがやったことは、
「目の前にいる人たちに伝えた」んです。
あのあたりに、この考え方の、
大きな分かれ目があった気がします。

村上一郎さんが無力感を感じたのは、おそらく
自己表出の部分で言いたかった部分が
指示表出の側から制約を
受けたからではないでしょうか。
吉本
そうかもしれません。
糸井
ぼくもそう経験はありますが、
それは、テレビに限らず、
社会と接点持つときにそれはよくあることです。
吉本
そうですね。
糸井
守ったほうが、多くの人がうれしいし、
効果もあるでしょう。
しかし、本当は、守りにくいんです。
今回の吉本さんのいらだちは、
懐かしさも感じましたけど、
ああ、本当はそう言いたい自分がいる、
ということに気づきました。
吉本
そうでしょうね。
ぼくは糸井さんよりは少しうぶで、
村上さんよりは、
ごまかせるものがあったのかもしれません。
糸井
ええ、村上さんは、もっとでしょうね。
吉本
もっと真面目な人ですし、
あの人の考えてることは
いつでも死と隣り合わせみたいなところがあって、
そこに達する考えが、
なおさら齟齬感をひどくしたんだろうと思います。
糸井
でも、テレビは、
性質をちゃんと意識して努力すれば
表現として、なかなかのもんだといえることも
ちゃんとできるような気がするんです。
例えば、スポーツもそうだと思います。

野球中継では、バッターが放った打球が
ライトスタンドに入っていくのを
球場で生で観るのとはちがう表現として、
テレビは描けるわけです。

ホームランって、カメラマンが
修練しないと映せないです。
じかに見るよさとはまた違う、新しい物語を
テレビという道具によって
お客さんは得ることができたと思うんですが。
吉本
うん、うん、わかります。
そこをもっと、テレビをつくっていく人が
考えたほうがいいということがあります。

ぼくはね、一度だけ
お相撲を、現場で観たことがあります。
相撲っていうのは、つまり、芝居ですよね。
歌舞伎みたいなものの一部分です。
テレビで映してる、勝負のところは、
ほんとに部分だけで、
本当は、観客も全部入ってる
ひとつの芝居の場面ということになる
ということが、行ってみてわかりました。
糸井
そうですね。
みんな、飲み食いもしてますし。
吉本
あれを八百長だとか、
八百長じゃねぇとか言うけど、
芝居の舞台なんだから‥‥
まぁ、あのお相撲さん達は、本気になって
それを、生涯の仕事としてやってる人たちだから、
ちょっと好意をもったり、
よく知ってる相手だったら
「ここは負けてやらないとこの人、
 下がっちゃうよ」
くらいのことは、たいてい知ってるでしょう。
そういうときでも、八百長に見えるように
相撲を取ることはできると思うんです。

ぼくはそのとき、枡席で観たんですが、
みんな、枡の中で
相撲とは関係ない別のことしゃべりあって、
それでときどき、観るんです。
糸井
そうですね。
吉本
芝居や歌舞伎みたいなもんなんだ、
という観点でいかないと、
少なくとも、八百長だったろうとか、
そうじゃないとか、
そんなことは問題にならない感じはします。
糸井
そうか‥‥あれを芝居だと言える人が
いなくなっちゃったんですね。
吉本
そうそう。
テレビに映ってる、
組み合ってどうとかいうことが
お相撲なんだと、思ってるわけですよ。
それだけの影響を
テレビが与えてるわけです。
糸井
うーん、そうですね。
吉本
これは、そうとう大きな錯覚で、
そこのところについて、
テレビをつくる人が
徹底的にわかってくれるといい。
そうすると、ちょっと
問題がちがってくるぞ、と思います。
糸井
それはすごい大事なことですね。
吉本
ええ、大事なことなんだと思います。
つい、これでいいんだと思ってね、
音がよく伝わるとか、
近くでよく映して
如実に筋肉が見てわかるとか、
そういうことばっかり追求していても
それは意味がないと、ぼくは思います。

相撲は芝居の一部である、というようなことを
どうしても追い詰めていかないと、
ダメだと思います。
糸井
それは、吉本さんのおっしゃる言語の研究が
経済の価値論からはじまってることと
対応した話ですね。
つまり、「雰囲気」って、
価値として算出しにくいから
後回しになるんです。
吉本
雰囲気なんだけど、
言いようがないっていう。
糸井
でも、そここそが、おもしろいんですもんね。
吉本
ええ、おもしろいんだと思います。
(つづきます)

2008-12-27-SAT

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